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「FRAME」 ――邂逅録4 彷徨編

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 瞼を開くとともに、声が聞こえる。
「久しぶりね、アーチャー」
 その声にエミヤは、微笑を浮かべた。



***

「士郎ー、勝手に上がるわよー」
 凛の声が衛宮邸に響く。
「士郎ー?」
 返事がないのはいつものことか、と凛は居間へと向かう。
 障子は開け放たれたままで、もぬけの殻だった。
「ここにいない、ということは……」
 凛は廊下を進む。
「見つけた」
 縁側に座る姿に歩み寄る。
「たい焼きを買って来たわよ。食べましょ、あったかいうちに」
「ああ」
 士郎は頷くものの、手を出してこない。小さくため息をついて、凛は士郎の手を取り、たい焼きを持たせた。
「まだ怒ってる?」
「何が?」
「何がって……」
 凛は言葉を紡げず、押し黙った。
 その気配を感じたのか、士郎は苦笑いを浮かべる。
「遠坂はやるべきことをやっただけだろう? なんだって、俺が遠坂に怒るんだよ?」
「だって、アーチャーを還してしまったでしょ……」
「アイツは還るべきだったんだよ」
「……じゃあ、どうして、いつまでもそうやって腐っているのよ!」
 凛が声を荒げると、士郎は、ふ、と笑った。
「……そうだな」
「士郎、あのね、私、今度――」
「悪かったな、これじゃ、八つ当たりしてるみたいだな。遠坂に気遣わせてさ」
「ちょっ、ちょっと、そういうことじゃなくて、」
 お茶を淹れる、と言って士郎は居間へ歩いていってしまう。その足取りは片足が不自由とも、全盲とも思えないしっかりとした足取りだった。
「全然話、聞いてくれないのね……」
 士郎はあれから凛とはまともに会話をしない。
 いや、士郎が時計塔を出てから、話す機会など、なくなっていた。
 弟子であったのはもう過去のことで、凛がこうやって押しかけでもしなければ、士郎からは電話の一本も入らない。
 そんな希薄になった関係であっても、今ほど拒絶されることはなかった。
 出ていけ、などと直接的に何かを言われるわけではないが、士郎の放つ空気感が凛を拒絶している。
 いや、凛だけではなく、士郎は全てを拒絶しているのだ。
 何度か経過観察と調査に訪れていた魔術師には黙して語らず、凛が手配したカウンセリングの医師にも、身体的なリハビリの技師にも、全く反応を返さない。
 何もかもがお手上げで、結局、凛がこうして、時折、訪ねるだけになった。
 これならば、怒り狂って二度と来るなと言われた方がマシだ、と凛は思う。怒りすらぶつけることをしない士郎には、もう感情というものが見あたらない。
「まるで、抜け殻みたい……」
 凛はやるせなくなって呟く。
 エミヤが消えた後、士郎に駆け寄り、その目を治癒しようとしたが、瞼の傷は治せたものの、視力を戻すのは無理だった。
 ――見えなくっていい……いないんだから……。
 病院に行こう、と凛が強引に腕を引いた士郎の微かな呟きを凛の耳は拾っていた。
 そして、行かない、と静かに首を振った士郎には、なんの表情もなかった。ただ、その声はとても悲しい声だった。
「アーチャーがいれば、少しは変わったの?」
 ため息をついた時、
「遠坂、お茶が入ったぞ」
 居間から声がかかる。足早に居間へと凛は向かった。



***

「腐ってる、か……」
 ぽつり、とこぼして小さく笑う。
「そう見える、だろうな……」
 そっと指先で唇に触れる。
 何度もエミヤとキスをした。あの短い日々の中で、たったひと月ほどの間で。
「好きだったのかなぁ、アンタのことが……」
 キスが好きだと言ったのは、本当はエミヤのことが、と言いたかったのだろうか、と士郎は思い、ふは、と笑う。
「そんなこと、言われたって、なあ?」
 英霊を困らせてどうするんだ、と士郎は苦笑する。
「言えば、アンタは、応えてくれたんだろうか……」
 思い出すのは熱の籠もった鈍色の瞳。
「アンタは……どうだった……?」
 答える声のないことはわかっていても、訊いてしまう。そして、自嘲の笑みを浮かべる。
 SAVEにいた時に出会ったエミヤに士郎は拘りすぎていた。今、エミヤの存在自体を失って気づいている。契約をかわしたエミヤがこれほどに士郎の全てを占めていたことに。
 諦めて、取りこぼしてから気づく、どれほどにその一握りが大きなものだったかを。
 どうして必死に戦おうとしなかったのか。
 契約を解除せずにエミヤと逃亡なりなんなり、他に手立てもあったはずだ。
 士郎ははじめから諦めていたのだ、あの時のエミヤではない、という定義に縛られていたから。
 エミヤは、はじめから諦めるなと言った。
 多くを取りこぼしても、残ったものが一握りでもいいのだとエミヤは教えてくれたというのに、士郎はその言葉を素直に受け止めきれなかった。
 手を伸ばしてはならないものに手を伸ばしたから、という罪悪感があった。
(これじゃ、ダメだ……)
 エミヤが教えてくれたことを、無碍にしてはならない。
 机の引き出しを開けて、奥の方からデジタルカメラを取り出した。
「充電しなきゃ、無理か」
 コードを繋ぎ、カメラの電源を入れて画像を再生する。ボタンを押して画像を送っていく。魔力を左目に集中させた。次第に画像が鮮明に見えるようになってくる。
 ずっと士郎はこのカメラを机にしまっていた。エミヤと再会したあの時の思い出が詰まったカメラは、あれから一度も持ち出すことがなかった。
 わざわざ新しいカメラを買って、士郎自身不思議に思うくらい、これだけは、ずっとしまったままだった。
「ふは……」
 液晶画面には、不機嫌にこちらを睨むエミヤがいた。
「一つもまともに笑ってるの、ないじゃんか……」
 笑いながら士郎は画像を送っていく。
「あ……」
 動画があった。再生すると、揺れる画面に苦笑してしまう。
「酔うって」
 言いながら笑っていると、カメラが固定されて、ようやく画面が定まった。
 近くにあった岩の上にでもカメラを置いて固定したのだろう。やや斜めではあるが、揺れはなくなった。
『早く、いいだろ、こっちだって!』
『衛宮士郎、いったい、何がしたい……』
 呆れたようなエミヤの声。
『ちょっとくらいハメ外せよ!』
『貴様、酔ってでもいるのか!』
『そんなわけないだろ! 交代したからって仕事中には変わりないんだぞ!』
 画面の端から士郎に続き、首に士郎の腕を回されたエミヤの迷惑顔が現れる。
『そういえば、アンタは、カメラに写ったりするのか?』
『実体であれば写るに決まっているだろう』
『そっか、よかったぁ』
『何がだ!』
『これで、アンタが映ってなかったら、俺、幽霊と写真撮ってるみたいだろ!』
『たいして変わらんだろうが!』
 しばらく言い合いを続ける二人の姿が、小さな液晶画面に映し出されている。
「はは……、俺……、笑ってたんだな……」
 いくつもの写真。
 エミヤが写りこんでいるものもあれば、ただの荒涼とした景色だけを切り取ったものもある。あの頃の自分が楽しげに生きている、と思える。
 思いもかけずエミヤと共闘することになり、ひと月余りの間、仲間とともにエミヤと過ごした。あの時の仲間はみな、失った。エミヤも座に還った。
「…………」