彼には内緒で
翌日、鋼の守護聖の執務室を訪ねた。
ノックをしても大概返事がないため、一声かけてそっと扉を開けた。
「ゼフェル、いますか────」
開けた瞬間にぱたぱたと駆けていく足音、そしてすぐに奥の扉が閉まる音がした。
あまりにも聞き覚えのあるその足音に、ルヴァは絶望のどん底へと突き落とされていく感覚がした。
「ゼフェル、あの……ここにアンジェが来ていますよね」
ちらりと赤い瞳をこちらへ向けるものの、その視線はいつも通りだ。
「ん、奥にいる。けどちょっと待ってやってくれ」
嫌な想像が瞬時に頭を駆け巡り、ふらつきそうになるのをどうにか堪えた。
「……ちょっと失礼しますよ」
そのままつかつかと奥の部屋へと足を向け、その勢いのまま扉を開けると、中にはアンジェリークがいた──着衣が少し乱れた状態で。
小さな悲鳴を上げて背後に何かを隠し、真っ赤な顔をしている。
「ル、ルヴァ様……!」
後ろ手に扉を閉めた後、ゆっくりと彼女へと歩み寄る。
「お久し振りですね、アンジェ。私たちのことについて話し合いが必要だと思いましてね。今から少し時間をいただけますか」
アンジェリークが瞬きをしてルヴァの困ったような表情に浮かんだ翳りを見ていた。
紙よりも蒼白なルヴァの顔色に、これはただ事ではないと緊張に身体を強張らせる。
「わ、わたしたちのこと……?」
ルヴァの掌に嫌な汗がじわりと滲んで、ばくばくと心拍数が上がっていく。
一度開いた口から言葉が出ることはなく、再度呼吸を整えてからようやく掠れた声が出た。
「心変わりをしたのでしたら、今……そう言って下さい。私の告白が迷惑だったのなら謝ります」
アンジェリークが訝る表情を見せた。
「心変わりって、どういうことですか? ごめんなさいルヴァ様、仰っている意味がよく分かりません」
「あなたが、他の誰かを愛したのでしたら、はっきりそう言って欲しいと言っているんです」
言葉にして酷く堪えた。ずきりと鋭い痛みが胸を貫いていく。
言われたアンジェリークはそれこそ零れそうなくらいに大きく目を見開いて、それから何度も首を振った。
ふわふわと左右に振り乱れる金色の巻き毛を、ルヴァはどこかぼんやりと見つめていた。
「わ、わたしが好きなのは、ルヴァ様だけです! どうしてそんなこと言うんですかっ……」
「当たり前でしょう? ちっとも逢えないし、逢いに行ってもいつも留守だったり断られて……挙句、ここで何をしていたんですか。服が乱れていますよ」
慌てて着たのか、内側に折れ曲がったブラウスの襟、掛け違えたボタン……状況証拠が揃いすぎている。これで疑うなと言われても────。
喉の奥から低い笑いが込み上げてくる。自分が滑稽で哀れなピエロのように思えた。
「ちがっ……違います、これは!」
そこで突然扉が開いた。
ゼフェルが扉からひょっこり顔を覗かせて、驚いて硬直している二人に声をかける。
「おーいお二人さんよぉ、悪ィけどあとは余所でやってくんねえ? ここで痴話喧嘩はノーサンキューだぜ」
気だるげにヘックスレンチで肩を叩きながら発された言葉に無責任さを感じ、ルヴァの頭にかっと血が上る。
「余所でって……あなただって当事者でしょう!」
ゼフェルは「あーもーやっぱりかよ」と小さく呟いて、がりがりと頭を掻き言葉を続けた。
「当事者ときたか。……アンジェ、だからちゃんと言っとけつったろ。余計な心配かけるだけだってオレ言ったよな?」
一体何のことかと握り締めたこぶしを元に戻せないまま、成り行きを見守るルヴァ。
アンジェリークはおろおろと視線を二人の間で彷徨わせながら呟く。
「だ、だって……サプライズしたかったんです」
「そりゃ分かるけどよ……相手に心配かけてまでやらなきゃいけないことか? おめーのそのカッコ見たら、オレだって誤解するぜ」
「ごめんなさい……」
首を竦めて縮こまり、しゅんと項垂れるアンジェリーク。
「それと、ルヴァ」
「なんですか」
じろりと睨む視線に、肩を竦めるゼフェル。
「オレに怒ってもしゃーねえだろ。ルヴァが思っているようなことはなんもねーから安心しとけ。アンジェの後ろ、よっく見てみ」
「後ろ……?」
そろそろとアンジェリークが横に移動して、先程隠していた場所がはっきりと視認できた。