彼には内緒で
いつの間にか取り出していたらしいミネラルウォーターをルヴァにほいと手渡して、ゼフェルは椅子を跨いだ。
ルヴァは困ったように眉尻を下げて、ぺこりと頭を下げる。
「ゼフェル、先ほどはすみませんでした。私の勘違いですっかり迷惑をかけてしまって……」
「あー? 別に気にしてねーぜ。アンジェが全く言ってなかったのには驚いたけどな。ありゃ誰でも誤解する」
さして気にする様子もなくけらけらと笑うゼフェルを見つめて小さく微笑むルヴァ。
「……最初はさ、アンジェも部屋でダシ取ってたらしいんだけどよー、オレが行ったときは寮の廊下までカツオダシの匂いダダ漏れ」
背もたれに腕と顎を乗せてつらつらと話すゼフェルに、ルヴァはなるほど、と相槌を打つ。
「それなら私じゃなくてもすぐに気付いてしまいますねー」
「だろ? 他の守護聖から話が回るかもとか心配してたから、オレのとこ使えつったワケ。軟水つっても結構種類あるから、いちいちダシ取って味試してたみたいだぜ」
「お味噌も幾つか置いてありましたよね。……まさか、あれも」
すぐに頷いたゼフェルをひたと見据え、ルヴァは驚きと感激で出すべき言葉を失う。
「ダシが決まったら、次は具とどの味噌が合うのかまで調べてたんだぜ。ほんと無駄に根性あるわ、あいつ」
自分の好物を作るためだけに時間を割き、素材から厳選し、こっそり何度も練習を重ねていた────その事実に胸がじんと熱くなる。
そして扉が開いて、トレイを持ったアンジェリークがそろそろと戻ってきた。
「お、お待たせしましたぁ」
ふわんと室内に拡散する香りに、ルヴァの目尻が思い切り下がっていく。
「美味しそうにできていますねー、早速いただいてもいいですか?」
「はい、どうぞ召し上がれ。ふふっ」
どうやら満足のいく仕上がりだったらしく、花開くような微笑みのアンジェリーク。
「オレももーらい。お、綺麗に切れてんな、よしよし」
「ゼフェル様の仰った通り、お豆腐半分にしたら落とさなくなりました!」
「おめーの手よりはみ出てるもん切ったら落ちるのトーゼンだろ。ちょっとは頭使えよ、そこにいる知恵の守護聖が泣くぞ」
「もうっ、言いすぎですよ、ゼフェル様ー。ルヴァ様、お味はどうですか?」
ゆっくりとアンジェリークを見つめるルヴァの視線は、一瞬でも逸らすのが惜しいと言わんばかりの熱さを伴って真っ直ぐ彼女へと注がれていた。
「とても美味しいですよ、アンジェ。素晴らしい出来だと思います」
アンジェリークの頬にさあっと朱が差して、嬉しそうに顔を綻ばせて小さく「よかった」と呟いた。
ゼフェルも味を見て頷いている。
日頃はジャンクフードや辛いものに慣れているのに彼の味覚は鋭敏だ。昆布や緑茶に含まれるグルタミン酸を初めとして鰹節に含まれるイノシン酸などの旨み成分をしっかり識別する。
「うめーな。やっぱ水が違うってのも大きいか?」
その言葉にアンジェリークがこくりと頷いてトレイを抱えた。
「そうみたいです。普通の水道水と、硬水でも比べてみたんですけど、どちらもおダシが薄い感じがしました」
「ここと聖地の水は軟水寄りの硬水だからなー。悪くはねーけどよ」
あっという間に飲み干したルヴァが両手を合わせている。
「ご馳走様でした。良かったらまた作って下さいね、アンジェ」
「オレもごっそーさん、そろそろ作業に戻るわ。ルヴァ、冷蔵庫の横に軟水のボトルがあるから全部持ってけ、茶にも使えるからよ」
オレは硬水のほうが好きだから飲まない、と言うゼフェルの言葉に甘えることにした。
「おや、いいんですかー? ではありがたくいただきますね。さあ行きましょうか」
軟水のボトルが入った箱を見てルヴァはあっと声を出した。あの日ゼフェルが肩に担いでいた箱だということに気付いたためだ。