「FRAME」 ――邂逅録5 蒼天編
困惑しながらエミヤから距離を取ろうとするが、窓際に追い込まれていて、うまくいかない。
「士郎、頼むから!」
懇願するエミヤの声に、士郎は仕方なく回路を調整する。
「ア、アンタを、み、見たって……」
回路を伝って魔力が左目に集まる。薄く瞼が開き、そこには緑光の瞳。
「っ……」
士郎は息を呑む。鈍色の瞳がすぐ目の前にあった。
「士郎、お前に私は、どう見える?」
真っ直ぐに見つめてくる瞳には、熱く滾る炎の揺らめき。士郎だけを映すその曇天のような色に、獰猛な獣を宿している。
「士郎……」
すでに射程内に獲物を捕らえた、爪を砥ぐ肉食獣と同じような危険な雰囲気。それでいて眩暈を起こしそうな甘さを薄い唇にのせて、甘露のような声で呼ぶ。
こういう瞳をしたエミヤを士郎は確かに覚えている。壊れた遺跡で抱き合った夜、乗り気ではなかったはずのエミヤが見せた熱さに、薬のせいだけではない昂ぶりを士郎も感じていた。
顔が赤くなっていくのがわかった。熱くなる頬をエミヤの親指が撫でる。
「エミヤ、俺……、俺は……」
息苦しくて、うまく声が出せない。
「俺……、は……、どう、したら、いいか……、わから、な……ぃ……アンタを、縛りつけた、のに……」
「士郎?」
全てに蓋をしてしまった。
一度埋め尽くされた心に開いた穴を、また埋めていくエミヤという存在を座に還して、士郎はもう埋めるものなど要らないと、もう蓋をしてしまうからと、何も望むつもりはなかった。
心の奥底で、エミヤと会えることを願ってはいても、自ら叶えようとは思わなかった。
結局、士郎の願いを叶えたのは、凛とエミヤで、士郎は何一つ自ら動き出すことはなかった。
怖かったのだ。また求めて、失うことが。また失うくらいなら、いっそ何も要らないと士郎は、全てを諦めた。
仲間を失って、闇に潜んで生きた日々と同じく、また空っぽのままで、いつか迎える死を待つだけで。
ただその間に、エミヤと見たいと思った光景を探してみようとした。単に死を待つだけというのは、自分を支えようとしてくれた、ともに歩いてくれようとしたエミヤに対して、顔向けができないと思ったからだ。
「だけど…………ワガママ、だけど、……ここに、いて、ほし……傍にいて、ほし……い……」
真っ直ぐに見つめる鈍色の瞳に応えるように、士郎も真摯に向き合う。
「ごめん……俺は……アンタを、置いていく、けど……最期まで、俺が……死ぬ、その時まで、いてくれ……」
「ああ、了解だ、マスター。私がお前の最期を見届ける。お前を抱きしめて、見送ってやる」
「そ……な、こと、されたら、未練、タラタラで、化けて出る、ぞ……」
「ああ。化け物であっても、お前に会えるのなら、うれしい」
エミヤは笑った。この笑顔を見たのは、いつぶりか。
達者でと言って消えた、ともに戦うことができてよかったと言ったエミヤが残した笑顔。
「バ……カ……だろ……アンタ……」
頬を滑った雫をエミヤの唇が掬う。そのまま額に口づけるエミヤの唇を感じて、士郎は首を竦める。何をしているんだ、とは言わなかった。エミヤのその仕草が、とても心地好かったから。
「なあ……、アーチャー……」
士郎が呼ぶと、エミヤは少し驚いて士郎を見つめる。
「どうした?」
「アーチャーって、呼んでいいか?」
一度、瞬いたエミヤは、ふ、と笑う。
「まったく、お前という奴は……。確認などいらない、私はお前のものだ。どう呼ばれようとお前に答える」
「アンタ、恥ずかしいこと、平気で言うよな……」
士郎は俯く。
「士郎?」
「そんなこと、言うから、顔が熱い……」
少し腰を屈めたエミヤは、俯いた士郎の顔を覗き込んでくる。掬い上げるように軽く口づけてきて士郎の顔を上げさせ、じっと窺っている。
「なに……してるん、だよ……」
真っ赤になる顔をどうすることもできず、士郎はうろたえるだけだ。
「ああ、まあ、魔力の補給、というか……」
すでにエミヤへの魔力供給は問題なく行われているはずなのだが、エミヤはそんな言い訳をして、何度も慣らすように軽いキスを繰り返す。
士郎は戸惑いながらも、逃れることはせず、エミヤのキスを受け取っていた。
「士郎、おさまりが、つかなくなってきた……」
やっとキスから解放されたと思えば、エミヤが間近で見つめて、そんなことを言ってくる。
「え……?」
「しようか」
その声と言葉だけで、士郎の脚から力が抜けたのをさいわいと、エミヤは士郎の腰を抱き寄せる。
「バッ、カやろ! も、アンタ、発情期かよ!」
「まあ、違いないかもしれんな」
士郎を抱き上げてベッドに向かうエミヤに、
「そこは、否定してくれよ……」
士郎は呆れて額をエミヤの肩に預けた。
「何を泣いていた?」
ぎくり、として士郎は首を振る。
「士郎?」
圧し掛かられて士郎には逃げ道がない。鈍色の瞳がじっと士郎を見つめる。
「アンタこそ、出かける、って」
「ああ、気が変わってな、早々に戻った」
「でも、音、しなかった」
「霊体で戻った」
だからエミヤが部屋にいることに気づかなかったのか、と士郎は納得した。
「それで?」
「え?」
「何を泣いていた?」
はぐらかすことができず、士郎は言いにくそうに口を開いた。
「誰かと……してるんだと、思って……」
「は?」
エミヤは意味を測りかねているようだ。
「だ、だから! どこかで、捌け口を、見つけたんだろうなって……」
「それが、どうやったら、誰かとしているなどと……」
「だって、溜まってるって、言っただろ!」
「言ったが、なぜ、お前ではなく、誰かと、なんだ!」
「そ、そんなの、俺となんか、」
「たわけ! お前としたいのにできないから溜まっているのだろうが!」
「へ?」
「まったく、お前は、何もわかっていない」
「でも、夜に、出掛けて……」
「お前と二人でいて、何もしない自信がなかった。だから、街を歩いていた」
冗談じゃない、とエミヤは早口で説明する。
「アンタ、不審者、みたいなこと……」
「やかましい。それもこれも、お前がそんなだからだろうが!」
「なんだって、俺のせいだよ?」
「お前が、無自覚だからだ」
エミヤは言い切るが、士郎にはなんのことやらわからない。
「い、意味がわからない」
「まあ、どうでもいい。では、遠慮することなどないのだな、士郎」
「は? ちょっ、え?」
「お前も望んでいるのだろう?」
エミヤはいきなりジーンズを士郎の脚から抜き取った。
「ま、待て、バカ、急にっ」
逃れようと士郎は身体を反転させる。
「逃がさない」
逃げようと伸ばした手首を握られ、背後から痛いほどエミヤの片腕に締めつけられる。
必死な声、必死な腕。
(なん……で……?)
士郎は驚くばかりだ。
「ここにいろ。私の腕の中に、ずっといろ!」
(なに……言って……)
急にエミヤが、わけのわからないことを口走っている。
「士郎……っ、お前の全てが……」
項に噛みつくエミヤをどうにか振り向く。
「……あ……の……?」
「っ欲しい……」
辛そうに、士郎だけをその鈍色の瞳に映して、泣くんじゃないかというくらい必死な顔のエミヤがいる。
作品名:「FRAME」 ――邂逅録5 蒼天編 作家名:さやけ