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「FRAME」 ――邂逅録5 蒼天編

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「大丈夫か? 魔力、足りないのか?」
 首を傾げて、心配そうに士郎が訊く。エミヤはすぐに、いや、と否定する。
「コーヒー淹れる。飲むだろ?」
 言いながらキッチンへ向かう士郎をエミヤは目で追う。シャツの襟からすっと伸びる首筋には赤い鬱血の痕が残っている。今朝方エミヤがつけたものだ。
(あの時の士郎は刹那的だった……。記憶のない私に士郎はたくさんの焦燥を覚えていたのだろう。それまでに、私は士郎と出会っていたというのに……)
 士郎はエミヤをたいして拒まなかった。薬のせいで身体がどうにもならなかったのが原因だろうが……。それにしたってあまりにも流され過ぎではなかったか、とエミヤは思うのだ。
 やはり、ああいった行為はどうということもないのだと、士郎の倫理観に頭痛を覚える。
(今は、どうだろう? 今朝のように突然ではなく、きちんと段階を踏んで、今、私が迫ったなら、士郎は応えるのだろうか?)
 キッチンでコーヒーを淹れる姿を見ながら思う。
(細い腰だ。胸板も薄い。SAVEにいた頃よりも、ひと回り細くなったのではないだろうか。まあ、魔力をフル稼働で使ってしまうために、士郎はいくら食べても身に付かないのだろうが……)
 こくり、と喉が鳴る。
 その姿をじっと見ていると、どうしようもなく手を伸ばしたくなる。
 エミヤは“あの時”のことを、このところよく思い出す。
 士郎の熱い肌と、驚くほど甘い声と、あの心地好さを……。
「ブラックでいいか?」
 突然訊かれて、エミヤは現実に引き戻された。
(だめだな、どうかしている……)
「美味しい豆かどうかわかんないから、ミルクでも足すか?」
 空港で適当に買ったから、と士郎は続けて訊く。
「いや、お前が淹れたのなら、豆がどうであろうが美味い」
「…………」
 士郎がぎこちなく振り向く。
(ん? なんだ? おかしなことを言っただろうか?)
 士郎が驚いた顔でエミヤを見ている。
「ア、アンタ、なに、言って……? そんな褒め方、したって、サービスもなんにもしないぞ……」
 士郎は訝しげな顔で言う。
(そんなにおかしなことを言ったのだろうか?)
 食事からも魔力補給をしておいた方がいいと、士郎は毎食エミヤの分も用意している。士郎の作ってくれる食事は美味いとエミヤは思っている。
(味覚が同じなのだから、口に合うのは当たり前だろうが、なんというか、私にとっては、気持ち的なところが大きい……、ああ、いや、何を浮かれたことを……)
 ため息とも、自嘲の笑いともつかない息が漏れた。
 士郎は今もキッチンに立つ。いいリハビリになる、と言って。
 失われた視力を魔力で補い、動かなくなった右の上下肢も魔力で動かし、日常生活を全く支障のないようにするため、毎日毎回、士郎はキッチンに立っている。
 だが、無理をしているのがエミヤにはわかる。
 身体のほぼ半分を魔力で補う上に、エミヤを維持する魔力を流しているのだ、日が暮れた後くらいからは、いつも疲弊して身体が動かなくなっている。
(私がいるのだから、頼ればいい。いや、頼ってほしい……。何もかもを一人でやることなどない。食事の用意もお茶の準備も、私がやる。もっと私に甘えろ。もっと私に我が儘を言え……)
 思っていても、なかなか口にできない。
「ほい、できた」
 こと、と静かに置かれたカップからコクのある香りが漂ってくる。
 士郎は向かいの椅子によどみなく座った。
 本当に、全盲で右腕と右脚が動かない、とは思えない動きだ。
「あちっ」
 その小さな声に、腰を浮かせそうになるのをエミヤは堪えた。
(コーヒーの熱さに驚いたのか……、自分で作ったくせに……)
 馬鹿だな、と思いながら、エミヤは熱いため息をコーヒーに紛れさせた。
 完璧なようで、そういう、ちょっと抜けたところがどうにもアンバランスで、エミヤは士郎に全てを惹き寄せられていく気がしている。
 つい、エミヤは笑みをこぼした。
「なに、笑ってるんだ」
 不満げな声で言いながら、士郎は軽く火傷した舌先を出す。
 ぞく、とエミヤの腰が震えた。
(お、落ち着け……)
 まただ、と思う。
 このところ、士郎のふとした仕草に昂奮を覚えてしまう。しかもそれは性的なもので、二人きりのこの生活では、ひどく厄介なもの……。
(どうかしている。私もこいつも、エミヤシロウだぞ……)
 ため息をつくしかなくなる。
 何をもって、自分であったものに欲情などしなければならないのか。だが、そうは思っていてもどうしようもなく惹かれてしまうのは仕方がない。
「自分で淹れたコーヒーで火傷など、マヌケだと思ってな」
「……言ってろ」
 不機嫌にそっぽを向いた士郎に、エミヤはまた息を吐く。
(機嫌を悪くしたいわけではないのだが……)
 士郎との会話があまりうまくいかないことに、エミヤは焦りのようなものを感じている。士郎もどこか構えている節が見られ、最初の再会の時のようにくだらないことを言い合って、今は笑うことなどできない。
「やっぱり、あんまりいい豆じゃなかったか?」
 不意に士郎に訊かれ、エミヤは目を上げる。
(私のため息を、そういうふうに取ったのか……。確かに非常に美味い、とは言い難いが及第点だ。濃くもなく薄くもなく、淹れ方はちょうどいい。むしろ、これならもっといい豆を調達したい)
 色々と頭で思ううちに、士郎が少し俯く。エミヤは慌てて口を開いた。
「い、いや、美味い」
「無理するなよ、ちゃんと言ってくれないと、俺にはわからないからさ」
 士郎は笑う。だが、俯いた士郎が一瞬見せた、何かを堪えたような表情に、エミヤは言いようのない不安を覚えた。
(慌てて応えたために、取り繕ったと思ったか……?)
 士郎には、どうにもうまく言葉が伝わらない。
 それもこれも、このおかしな昂奮だったり、動揺だったりが原因だ。
 テーブルに置かれた士郎の手を握る。つい手が出てしまっていた。
「エミヤ? どうした?」
 驚く士郎に、咄嗟に口から出たのは、傷の確認だった。
「火傷を、したか?」
「え? あ、ああ、そんな、大げさなものじゃないって。口の中だし、すぐ治るし」
 赤い舌を出す士郎に、エミヤは眩暈を覚える。
 自重してくれ、と言いたいが、士郎には考えも及ばないことなのだ、自覚がないのは仕方がない。それに、とエミヤは思う。これは確実に己がおかしいのだから、と。
 何か話さなければ、と話題を探し、思いついたことを何も考えずに口にした。
「士郎、食事を作ってもいいか?」
「え? あ、いい、けど……。もしかして、俺のご飯、不味かったのか?」
 士郎は心配そうな顔で訊いてくる。
(しまった。いきなりすぎた。気を悪くしただろうか?)
 焦りながら、エミヤは言葉を探す。
「い、いや、そうではない。こう……、手が疼く、というか……」
「あー……」
 したり顔で士郎は頷く。
「それならそうと、早く言えばよかっただろ」
「士郎が、リハビリのつもりだというのなら、我慢しようと思ったのだが、いかんせん、身に染みついた習慣というのは、どうしようとも抜けそうになくて、だな……」