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「FRAME」 ――邂逅録5 蒼天編

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「わ、わかった、わかったよ! 言い訳はいいから! それじゃ、食事の支度はエミヤに任せる。正直、疲れるんだよ、視力と腕も脚もフル活用だから」
 渋ることもなく、助かったと、士郎はキッチンを譲ると言った。
 それから士郎は魔術回路と魔力量の調整と筋力アップに勤しむことになり、家事のほとんどはエミヤが担当することになる。士郎はリハビリがてら手伝う、という位置づけで強制はない。
 だが、士郎にもやはり家事感覚は染み付いたものなので、エミヤに丸投げすることはなかった。食後の後片付けや、洗濯や、掃除などできる範囲で士郎は家事をこなした。

 昼食後、士郎のカップに茶を注ぎ、エミヤは向かいの椅子に腰を下ろす。
「アランという男を知っているか?」
 エミヤは、ずっと心にわだかまっていたことを口にした。
 このアパートに住み、士郎の“リハビリ”をはじめて一週間、士郎と再契約を叶えて、半月が経っていた。
「え……?」
 士郎はすぐにはピンと来なかったようで、しばらく宙を見つつ記憶を辿っていた。
「あ! ああ、アランか!」
 ようやく思い当たった士郎に、そんなに思い出すのに時間がかかる程度の者だったか、と、ほっとしたのもつかの間、士郎が、ふ、と浮かべた微笑に、エミヤは言い様のない苛立ちを覚えた。
(やはり……)
 エミヤは心中で得心する。士郎は、あのアランという男とただならぬ関係だったのだと、拳を握りしめた。
「エミヤ? どうかしたか?」
「……いや」
 士郎の顔を見ることができなかった。
 視線を落としたままで、士郎からアランという男の話を聞かされる。エミヤは皆目、聞いてなどいなかった。
 己で訊ねておきながら、聞きたくなどなかった。士郎の口からその名を聞いていることが、苦痛で仕方がない。
「――――で、あの下水溝の組織の創始者なんだけど……、エミヤ?」
 士郎の手がテーブルについた腕に触れる寸前、エミヤは椅子を蹴って立ち上がった。
「エミ……ヤ?」
 驚きに見開かれた緑光の瞳から逃れるように顔を背ける。
「どう……した?」
「いや……」
 倒した椅子を戻し、買い出しに行くと言ってそのままエミヤはアパートを出た。
 士郎が触れようとした腕を握り締める。
(あの男に、触れたのか……?)
 喉の奥が焼けついたように息苦しい。頭の奥が熱くて、まともに思考もできそうにない。
「士郎は、あの男と……」
 思い浮かぶのは、あの光景だ。アランという男が士郎を抱きしめた、あの胸糞の悪い……。
 士郎があの男に触れていた。その手で己に触れようとした。それが酷い嫌悪感を湧き起こした。
 士郎は驚いただろう、エミヤはまるで避けるように立ち上がったのだから。
「士郎、なぜた……」
 どうしてだ、と過去の事に拘ったとしても今さら仕方がないのはわかっている。
 だが、あの空爆で生きている可能性は低いだろうが、生存者がゼロだったわけではない。げんにエミヤはあの組織にいたという男に会っている。だから、もしあの男が生きていて、どこかで偶然出会ったとしたら、その時、士郎はあの男に笑いかけるのだろう、と益体もない考えに囚われる。
「……っくそ」
 己がくだらない嫉妬をしているとわかっていても、エミヤにはどうすることもできない。己の感情すらコントロールできない。
 士郎を求め続けた時間は長すぎて、己を抑えることを不可能にしてしまった。士郎を独占したいという思いは、日に日に募るばかりで、このままでは、士郎をどうにかしてしまう。
「距離を……取らなければ……」
 あの男に触れた士郎が目の前にいると、どうしても過去のことを蒸し返して苛立つ。身勝手だと重々承知している。だか、抑えきれそうにない。
 目の前にいるのだ、士郎は。探し求めた存在は、簡単にこの腕の中におさめることができる。やろうと思えば、無理やりにでもモノにできる。
「だからこそ、だ……」
 士郎と歩き続けるために、今ここでしくじるわけにはいかない。これからも、士郎の傍にいるために。
 エミヤは士郎に必要以上には近づかず、不用意に触れることもせず、距離を取ることにした。



***

 瞼を上げて左目に魔力を流す。薄っすらと暗い室内が見えはじめる。
 このアパートの部屋は、仕切りのないワンルームで、玄関を開ければ部屋の奥までが見える造りになっているため、ベッドを部屋の角に付け、天井から二方向に吊るしたタペストリーを間仕切り代わりとして“寝室”を作っている。
 士郎は気にもしなかったのだが、せめてこのくらいは、とエミヤが譲らなかった。そんなこだわりを見せておきながら、エミヤはベッドを使わない。眠る必要のないエミヤは窓際に置いたソファで夜を明かす。交代しようかと士郎が提案すれば、必要ない、と言い、エミヤは士郎だけにベッドを使えと言う。士郎一人が眠るのでせいぜいなシングルベッドでは分け合うこともできない。そういうわけで、ベッドは士郎の専用となっていた。
 タペストリーの合間に目を向ける。その向こうには二人掛けの古いソファが置いてあり、夜中はいつもそこにエミヤがいる。本を読んでいることが多いが、夜空を見上げていることもある。
 今夜は肘掛けに背を預け、腕を枕に窓の向こうの星空を見ているようだ。
(アーチャー……)
 呼ぶことのできなくなった呼び方を、士郎はいまだに続けてしまう。
 口にする時は“エミヤ”と、口に出さない時は“アーチャー”と、まだ直らない癖を士郎はどうにかしなければ、と思ってはいる。
 契約をして、旅に出ることができた。エミヤは士郎との記憶を全て持っている。
(望んだ……、記憶があればって……、だけど……)
 本当にこれでよかったのか、と士郎は思いはじめている。
 エミヤが契約を望んだからと言って、それに応えることが本当に正しかったのか、と。エミヤの理想を奪ってしまって、本当にいいのか、と。
(だって、俺……)
 その先を考えたくなくて、視力を消す。真っ暗な世界に思い浮かぶのは、やはりアーチャーであったエミヤの姿で、士郎はそっとため息をこぼす。
 魔術回路と魔力量の調整がうまくいっていない。原因はわかっている。士郎が思い悩むために、心が冷静さを保てないからだ。
 喜怒哀楽を押し込めるほどではないが、ある程度の限度を超えないように士郎は感情というものをずっと押し殺してきた。でなければ、身体が動かなくなるからだ。
 紛争地で動けなくなることは致命的。そして、士郎の所属していた組織で身体が動かなくなると、どういう目に遭うか、わかりきったことだった。
(言葉遣いを汚くしたのは、いつからだったかな……、強がって、擦れたフリをしたのは……)
 自分の身を守るために常に気を張って、ナメられないために動じないフリをして、士郎はあの下水溝の組織の中で、いつ踏み外してもおかしくないような綱渡りを繰り返していた。エミヤが現れたのは、その綱を踏み外した瞬間だった。
 堕ちる寸前、エミヤに救われた。
(なのに……、あんなこと、して……)
 遺跡の穴ぐらでエミヤと抱き合った事実を、士郎は消してしまいたい。あんな記憶こそ、エミヤには忘れてほしい。
(あんなの、俺じゃない……)