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「FRAME」 ――邂逅録5 蒼天編

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 士郎がいくらそう思っても、どうしようもないのだが、思わずにはいられない。あれは間違いだ、あれはたった一度の過ちだ、と。
 眠れずに、士郎はずっとそんな言い訳を思っていた。



 湯が沸くのを待ちながら、士郎は小さなため息をつく。
(気づいていないと思ってるのか……)
 士郎は先ほどから感じている視線に、神経を尖らせる。
 視線が逸れたのを見計らって、ちら、とテーブルに頬杖をついてぼんやりしているエミヤに目を向けた。
 まるで、舐め回されているような感じがする視線だった。
(俺が気づかないとでも思っているのか……?)
 士郎はその種の視線には敏感なのだ。何しろ、下水溝の組織にはやたらとその手合いが多く、言い寄られてきた経験がある。あれはマズイこれは大丈夫、と士郎は常に神経を使っていた。
(そういうことを、望んでいるのか……?)
 確かに士郎は自身にとっての、エミヤの存在の大きさには気づいている。だが、それは、一概にそういった即物的なことで解決することなのかがわからない。
「わからない、けど……」
 士郎は、ぽつり、とこぼす。
 エミヤと契約することは、士郎にとって何より願ったことだった。しかも、記憶を持ったままのエミヤと契約をしたのだ。
 聖杯戦争の後に三度、出会ったことも知っている。エミヤは全てを覚えている。
 エミヤには空港で謝られた。
 謝罪が欲しかったわけでもないのに、士郎はうれしかった。そんなふうに気にかけてくれていたことが、何よりもうれしいことだった。
 その上、士郎の願いを叶えると言ったエミヤと旅に出ることができたのだ。
(何より願った、夢みたいな出来事だった……)
 士郎が持って出た荷物には二人分の携帯食器を詰めたままだった。決して士郎は期待をしていたわけではない。ただ、荷ほどきするのが億劫だったというだけで、と言い訳する。
(けど、どこかで、俺は、いつか、なんて期待を持っていたのかもな……)
 次に出会うことがあったなら、記憶などなくていいから、無理やりにでも契約してやろうと、どこかで思っていた。
 それほどに士郎もエミヤを求めていたのだ。
(だけど、結局、記憶がないことに俺は打ちのめされて、また、アーチャーを傷つけてしまうんだろうし……、記憶があったことはうれしいと思うけど、こういうのは……)
 コーヒーを淹れる間、ずっとエミヤの視線に士郎は晒されていた。
(俺が、慣れてるって、思ってるんだろうな……)
 最後にいた組織は、ガラの悪い連中ばかりで、いちいち相手にしていたらきりがないほど、ねっとりした視線を送ってくる者が多かった。確かに口淫は許した。あまりにもキリがないから。
 だが、それ以上のことを許した者はいない。押し倒そうものなら、即座に銃を頭に突きつけ、もしくは剣を喉に当てて追い払った。
 エミヤがつけた首筋の痕が熱を持っているように感じる。その熱が顔にまで上がってきそうで、そっと首を振った。
(アーチャーでも、そんな気になるんだな……。でも、なんで俺なんだ……? ああ、手っ取り早いってことかな……)
 カップを温めながら、士郎は考える。エミヤの意図はよくわからない。
(溜まってて、ヤりたいってことなのか? 守護者の仕事中はそんなことできないから……? それにしても、英霊になっても性欲って湧くんだな。だからって、俺? まあ、一回ヤったし、二回も三回も変わらないだろってことか……。けど、あの時、俺はクスリを飲まされていたわけで、正気の沙汰じゃなかったって、知ってるはずだろう。あれが通常だとでも思っているのか? だとしたら、失礼な話だ……)
 士郎は少し腹立たしくなってきた。
(クスリ飲まされて、色々飛んでるときに、アーチャーとヤったなんてな……。今思うと、ほんと、後悔しかないな……)
 エミヤに見咎められないように、士郎はそっとため息をついた。



 シャワーを浴びて、士郎はふらつきながらベッドに辿り着く。右腕も右脚も重く、ベッドに座ってから、士郎は壁に身体を預けた。
 濡れた髪をタオルで拭いて、魔力の流れを止めた。途端に右腕と右脚が重くなる。
 回路と魔力量の調整が上手くいかず、夜になるとほとんど動かせなくなっている。一日の終わりにシャワーを浴び、ベッドに座ったころには、腕も脚もただの肉塊になっていて、視界はとっくに真っ暗だ。
「は……」
 ぱたり、と身体を横たえる。
(炊事は担当したい、か……)
 やはり、たどたどしいのが気になるのか、と士郎は落ち込んでしまう。仕方のないことなのだ、食事を作ることは一番大変な作業なのだから。
 食事を作りたいと希望してきたエミヤは、見ていられなくなったのだろう、と士郎はさらに気が滅入る。
(わかっているけど、複雑だな……)
 結局、エミヤは士郎の世話をするためにここにいるようなものだ。
(アーチャーが望んだことだからって言ってもな……。ああ、なら、ヤらしてやった方がいいかな。溜まってるんだろうし、他に捌け口とか見つけられても困るし……。俺の身体で済む話なら、そうした方が……)
 守護者であるエミヤを縛っていることには違いないのだから、と士郎は唇を噛みしめる。
「アーチャー……、ごめんな……」
 浴室に消えたエミヤに謝る。
 本人がいないときだけ、士郎はエミヤをアーチャーと呼んでいる。いい加減にやめなければ、と思うが、なかなか癖が抜けない。
 そして、エミヤは士郎の謝罪に聞く耳を持たないので、いつもエミヤがいないときに士郎は謝らせてもらっている。
 何度も謝った。自分の世話役などさせるつもりはなかった。エミヤは守護者としてがんばっていたのだし、それでいいと思っていた。
「なんで、アーチャーを喚んだんだよ、遠坂……」
 本当にお節介だ、と思いながら士郎は感謝もしている。
「ああ、まずい……」
 泣きそうだった、凛の気遣いが痛いほどにわかってしまって。
(俺はそんなに弱っていたんだな……。遠坂にリスクを負わせるほど、協会の目を盗むような無茶をさせるほど……)
 エミヤを座に還してから、凛が頻繁に顔を見に来てくれていた。何を話すわけでもないのに、凛はどうでもいいような話をいつも士郎に聞かせてくれた。
「俺が、ダメだから、遠坂もアーチャーも、俺に手を差し伸べるんだよな……」
 ひとりで大丈夫だと言わなければならない。
 エミヤに世話をかけ続けるわけにはいかない、と士郎はそればかりを思った。



「士郎、もう……」
 肩を掴まれて唇が離れていく。魔力が少ないエミヤに経口摂取で魔力を渡していた士郎は驚く。
「え、でも……」
 いつもなら、軽く五分は続けることなのに、と士郎は左目に魔力を流してエミヤを見上げる。
 ふい、と視線が逸れ、エミヤはキッチンへ向かう。
(まだ、あんまり、流れていないはずだけどな……)
 エミヤへの魔力量は少しずつ増えているはずだか、まだ十分というわけではないだろう。
「エミヤ、手伝お……」
 半歩退いたエミヤに、士郎の声はしぼんだ。
「問題ない、座っていろ」
 静かに言われ、士郎はおとなしく従った。
(俺……、避けられてる……のか?)