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「FRAME」 ――邂逅録5 蒼天編

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 不意に士郎の手がエミヤの腕に触れた。
「冷たい」
「あ、ああ」
「シャワー、浴びたんだろ? 全然、温まって……、ああ、湯が、出なかったか」
 冷静になるために水を浴びたとは言えない。このアパートのシャワーは湯が出ないこともまれにある。士郎がそう思っているのなら好都合だ、とエミヤは何も言わなかった。
 士郎の左手がエミヤの肩を引き寄せる。
「士郎?」
「あっためてやるよ」
「なに……を……」
 士郎の意図がわからず狼狽えるものの、その温もりが恋しいのは紛れもない事実だ。エミヤは腕を回して士郎を抱きしめた。
「つ、冷たっ!」
「す、すまない」
 背中に直に触れたエミヤの冷たい手に、士郎は鳥肌を立てたが、もう何も言ってこない。
「士郎、温かい……」
 士郎の髪に顔を埋め、エミヤは吐息をこぼす。
「なあ……、ヤりたいか? だったら、いいよ、俺は……」
 エミヤは答えられない、確かに士郎を求めてはいるが、そんなふうに妥協的に言われては、エミヤも二の足を踏んでしまう。
 それきり士郎は何も言わず、抗いもしない。
「いや、違う、士郎、私は……」
 何を言っても言い訳のような気がして、エミヤは口を閉ざした。
 士郎を抱きしめたまま、その温もりを感じて、身体が温まってきているはずなのに、エミヤはどこか寒いと感じていた。



「溜まっている……か……」
 夜空を見上げ、エミヤはため息をつく。
 士郎に訊かれて、そうだ、と答えた。士郎はヤりたいのならいいと言ったが、全くそう思っているようには見えなかった。
「できるか、たわけ……」
 士郎を傷つけたいわけではない。まして、そんな捌け口でも提供するような言い方をされて、ほいほいコトに及べるものか、とエミヤはムッとする。
 だが、士郎に触れたいという欲求は抑えきれないものであり、こうしてエミヤは週に二、三度夜の街をうろつく。
 目的地などはない。ただ己の欲を抑えこんで、気持ちを静めるために夜の闇の中を歩いているだけだ。
 アパートに戻るころには士郎は眠っている。回路と魔力の調整の上に、筋力アップを言い渡された士郎は疲れ切っているのだ。
「そろそろ、戻るか……」
 丸い月が夜空高くに昇ったのを確認し、エミヤは帰路につく。
 そっとアパートの玄関を開け、間仕切りの合間からベッドを覗き込む。やはり士郎は眠っていた。
 ほっとしてシャワーを浴び、再びベッドに戻る。
 薄い上掛けを士郎の肩にかけ直し、そっと赤銅色の髪を撫でた。
「士郎……」
 この街に住み、“リハビリ”を続けてひと月ほどが経った。
 ずいぶん士郎の筋力もついてきて、魔術回路の調整もてこずっているようだが、どうにかなってきている。
 だが、二人の関係性はギクシャクしている。
 何か大切なことを忘れている、とエミヤは思う。
 何より士郎が日を追うごとに思い詰めているように見える。
 もともと二人には実のある会話は少ない。要らぬ言い合いは、いくらでもできたのに、肝心なところを二人ははぐらかしている。
 エミヤは、これではだめだ、と思いはじめている。おそらく、士郎もそうだろう。だが、
「何を……どう言えば……?」
 窓辺のソファへ移動し、夜の更けた街を見ながら、エミヤは思わず呟いていた。



***

「行ってくる」
「気をつけてな」
 笑顔で見送り、士郎は急激な吐き気に襲われる。トイレに向かおうとして、脚を踏み出せば、右脚は役に立たず、倒れ込んだ。
「い、た……」
 壁の角で背中を打ちつけた士郎は、呼吸を整えながら這いつくばってトイレへと向かう。買い物に出たエミヤを見送ると、途端に士郎の回路と魔力量は不具合を起こし、酷い吐き気に襲われる。もう毎日のように繰り返しているので、士郎の対応は慣れたものだ。室内で吐くわけにはいかないので、何よりも先にトイレを目指す。
 胃の中のものを全て出し終えても吐き気はおさまらないが、筋力トレーニングを怠るわけにはいかない。キリキリと痛む胃を押さえながらトイレを出て、筋力をつけるためにトレーニングに勤しむ。
 そうやって何かに集中すれば、そのうちに吐き気もおさまってくるのだ。
 ようは、エミヤのことを考えなければいい。それは士郎もわかっているのだ。だが、二人で住んでいる以上、顔を合わせないわけにはいかない、言葉を交わさないわけにはいかない。
 エミヤは必要以上に触れてこなくなった。あの視線も無くなった。その上、距離を取るようになった。
(助かる……)
 そう思いながら、士郎は胸のあたりの重苦しさに喘いでいる。
 どうにかしてくれ、と内から責め立てられている。
「俺は、何を望んでいるんだよ……」
 エミヤの何を望むのか。その存在だけなのか、それとも、その全てなのか。
「そんなの……」
 欲しがるわけにはいかない、と士郎は理解している。それでも、どこかで望んでいる自分がいるということもわかっている。
 手を伸ばさない、極力見ない、表情には出さない。全て堪えて抑え込む。
 それが苦しくて仕方がなくて、エミヤがいなくなると、回路も魔力も暴れ出す。
「縛っているだけでは飽き足らず、俺はどうしてこんなに貪欲なんだ……」
 再び魔力の流れが乱れてくる。吐き気をどうにか抑えようと、深呼吸を繰り返す。
 すでに呼吸法では自身が落ち着かないことはわかっていたが、それでもそうやって、少しでもエミヤが買い出しから戻る前に、正常に戻らなければと、士郎は歯を喰いしばっていた。



 午後になると人通りが減るから、とエミヤに誘われて士郎はともに買い物に出た。いつもはエミヤが一人で買い出しに行っている。
 回路の調整はほぼ終わり、微調整も整ってきているので、あとはもう少し慣らせば問題なく動けるようになる、と士郎はエミヤに伝えている。
 本当は大きな不安を抱えてはいたのだが、口にはしなかった。これから先、エミヤとともに歩くためには、こういう慣らしも必要だと思ったからだ。
 すぐ傍にエミヤを感じながら、何をするのも冷静でいられるように慣らしておかなければならない。
 士郎が、ふと顔を上げると、少し前を行くエミヤの背中が見える。
(ああ、俺……)
 その背中を追った。ずっと追い続けた。強くなるために、理想を叶えるために。
 いつしか、その背中を見ているだけでなく、肩を並べたいと思っていたことを思い出す。
 なのに、その背中をこんなところで、自分の目の前で歩かせている。
「アーチャー……」
 たまらずに声に出てしまっていた。エミヤが否定した呼び方が。
 微かな声に振り返ったエミヤに、士郎は謝ることしかできない。
「ごめん……。俺があの時、引き留めなければ、アンタは……」
「士郎?」
 ぐら、と右側に傾く身体をエミヤが支えてくれる。
「アンタを、俺が……」
 膝をつきそうな士郎をエミヤは抱え起こす。
「士郎、どこかで休むか? それとも、戻った方がいいか?」
「も、戻りたい、吐きそう……」
「わかった」
 士郎を背負い、エミヤはアパートへ戻る。
 動揺して集中を欠いて魔術回路と魔力量が乱れた。士郎は酷い吐き気に襲われながら、何をやっているんだ、と自責の念に苛まれる。