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「FRAME」 ――邂逅録5 蒼天編

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 アパートに着き、トイレに駆け込み、吐き続ける背中をエミヤはさすってくれる。
「少し、無理をしたか?」
 心配そうなエミヤの声に首を振る。胃が痛くて前屈みのまま、違う、と士郎は答えた。
(俺が集中を欠いたからだ……)
 息苦しさもあって説明ができない。
「も、平、気……、買い物、行ってくれ……」
 エミヤは何も言わずに出ていった。

 ソファに身体を預け、ようやく吐き気がおさまってきたころ、
「雨?」
 雨音が聞こえて、窓を閉めて思い出す。
(アーチャーは傘を持っていなかったんじゃ……?)
 すぐに玄関に向かって傘を持って出た。少し前にエミヤと歩いた通りを右に出て交差点に突き当たる。右、左、と見て、士郎は途方に暮れる。
(アーチャーがどこに買い物に行くのかも知らない……)
 傘を持ったまま、士郎は立ち尽くす。
 右に行けば市場に行けるはずで、左に行けば日用品だったはず、とエミヤとの会話の中での、うろ覚えの知識を総動員する。
(真っ直ぐは、ないと思うけど……)
 可能性はないわけではない。
(どうする)
 視力に最大限魔力を回しても、エミヤの姿を見つけられない。雨も激しくなってきて、視界が悪い。
(こんな雨じゃ、どのみちアーチャーも濡れているか……、今さら傘なんて……)
 どこかで雨宿りでもしているだろうと、士郎は踵を返そうとする。帰ろうと思うのに、足が動かない。
「アー……チャー……」
 声に出すと、一緒に涙が落ちた。
 ずぶ濡れなのをいいことに、士郎は泣いた。泣かないと決めたのに、と何度も自身を責めたが、あふれる涙は止まらなかった。
 心細くて仕方がない。置いていかれたような、そんな子供みたいな衝動で泣いている。
(バカみたいだ……俺……)
 今度こそ、アパートの方へと足を向けた。やっと動けるようだ、と踏み出そうとすると、
「士郎?」
 その声に、ぎくり、とする。探しても見つからなかったエミヤが、傘をさして少し向こうに立っている。
「どうした、大丈夫なのか? 回路が乱れたのだろう?」
 言いながら駆け寄ってきて傘をかざし、呆然とする士郎の持つ傘を奪って開いた。
「あ……、えっと、ちょっと、マシになったから、動いてみようと……」
 するすると口から出まかせがこぼれる。
「無茶をするな。試すのなら、私がいる時にしてくれ。さっきのようなことになるかもしれないだろう」
 傘を渡され、士郎は頷く。
「悪い……」
 腕を引かれ、エミヤに連れて行かれる。
「傘もささずに、何をしているのか……」
 呆れたような声に、
「急に、降ってきてさ」
「傘をさせばよかっただろう? 持っているだけなど、傘の意味がない」
「そう、だな……」
 エミヤはどこかで傘を調達していた。
 傍にある横顔も見ることができない。動きづらい脚を引きずって、すでにずぶ濡れなのに傘をさしてアパートに戻る。
「道路が舗装されていないから、雨になると泥の川のようになるな」
 玄関の外で靴を逆さにして泥水を出しながらエミヤは言う。
「そのままシャワーを浴びろ。泥だらけだぞ。ついでに服の泥も落とせ。まったく、あんな雨の中でつっ立っている奴があるか」
 エミヤの小言を聞きながら、浴室に入る。
「バカだな……俺……」
 途中でエミヤが傘を買うだろうなど士郎は考えもしなかった。
 エミヤに傘を持っていくことしか頭にはなかった。あげく、エミヤに気遣わせてしまっている。
「何やってるんだ、俺……」
 シャワーを浴びながら士郎は座り込んでしまった。



「少し、出てくる」
「あ、うん……」
 エミヤを見送る。士郎の返答も、どこに行くのか、という疑問も一切を拒絶するように、エミヤは玄関の扉を閉める。
「は……」
 吐き気が起こる。
 回路と魔力量の調整はうまくいっているのに、と士郎は自身を落ち着けるために深呼吸を繰り返す。
「溜まってるって、言ってたもんな……」
 室内の時計を左目に魔力を集めて確認する。
 午後九時過ぎ。こんな時間では買い物をする店も開いてはいない。目的は一つしかないだろう、と士郎は項垂れてしまった。
「なに考えてるんだ……、俺は……」
 頭をよぎった考えを振り払いたくて、士郎は脚を引きずりながら浴室に向かった。
 シャワーを浴びたところで拭えない、自身の思っていることが現実なのだと、信じたくない。
「くそっ!」
 浴室を出た士郎は、静まり返った部屋に立ち尽くす。
「俺……、俺は……、そんなこと……望んでなんか……」
 エミヤを座に還してしまって、あの温もりを恋しく思ったのは確かだ。
 何度もしたキスを思い出して、胸が熱くなったのも、あの遺跡の中で抱き合って、エミヤが欲しいと思ったことも、本当のことだ。
 溜まっているのかと訊けば、そうだ、と答えたエミヤに、ヤってもいいなどと言って、本当はそれを望んでいたのは自分の方だったのだ。
 アンタが欲しい、などと言えるわけがない、と自分を戒めるふりをして、ずるいことを言って逃げようとした。
 その結果が、これだ。
 エミヤは他所で捌け口を見つけ出したのだろう。
 いつ、と決まっているわけではないが、週に二、三度、エミヤは夜の街に出掛けていく。それがどういうことなのかくらい、士郎にもわかる。
「アンタは、誰かに触れるのか……、俺にしたみたいに、あんなふうに熱く……っ……」
 酷い吐き気をもよおした。
 魔力量が乱れて、回路にめちゃくちゃな負荷がかかっている。
 落ち着こうと思っても、深呼吸すらできない。
 エミヤは士郎に触れなくなった。毎朝の日課でもあった脚のマッサージもしない。
 士郎は仕方がないと思っている。そして、それが当たり前なのだと、思おうと必死だった。エミヤに頼りすぎてはいけない、エミヤに拘りすぎてはいけない。
 自身を戒めて、どんなに望もうとも、堪える。
 ついアーチャーと呼びそうになることも、優しい仕草に泣きだしそうになることも、その手が温かくて離したくないと思うことも。
 士郎は堪えることしか知らない。ずっとそうやってきたのだ。仲間を失ったあの時から。
 望むままに、求めるままに生きることはできないのだからと、全てを諦めなければならないのだから、と。
 重い身体を引きずるようにしてベッドに入る。
 それほど広くはない部屋が広く感じて、士郎は壁際にじりじりと寄っていく。角に当たって膝を抱えた。視線を上げると、ちょうどエミヤがいつも夜を明かすソファが見える。
 夜中に目を覚ますと左目に魔力を流して、エミヤの姿を確認している。士郎が寝入ったころにはアパートに戻っているエミヤがいて安心している。
「アーチャー……」
 呟いて回路を切った。吐き気はまだ収まらないが、魔力を流さなければすぐにおさまる。
 眠れなくても士郎の視界は真っ暗だ。エミヤがどんな顔で戻ってこようが、見ることは叶わない。
 誰かを抱いて、スッキリした顔で戻ってくる姿など見たくはなかった。



***

 見たところ問題なく動けるようであったため、ともに買い出しに行こうとエミヤは士郎を誘った。
「でも……」
「いつまでも引きこもっているわけにもいかないだろう。午後は人通りも少ない。慣らすにはちょうどいい」