白妙の宙
世界は、誰かの家の中だった。
とても広い、裕福そうな一軒家。階段があり、それどれの部屋へを繋いでいる廊下らしきところに俺は立っていた。電気のついていないここは、少し暗いけれど十分に辺りを見渡すことが出来た。
・・・と、誰かが、とたとたと音を立てて、階段から、少し遠慮がちに降りてきていた。
振り向くと、その階段を下りていた少年には見覚えがあった。
俺?
一瞬そう思ってしまうくらい、その少年は姿が俺のそのくらいの頃と瓜二つだった。だけど、彼はきっと、幼いころの・・・小学校一年生くらいの頃の、輝二。
手には、灰色の薄い紙を手にしていた。
それよりも、俺がここにいるのはやばいんじゃないだろうか?過去にいるとしたら、今俺が輝二・・・に会ってしまうのはヤバイ。ますます俺は輝二を苦しめてしまうかもしれない・・・。
どこか、隠れる場所を探そうにも、そんな都合のいい場所があるはずも無く、あたふたしている内に・・。
輝二は俺をすり抜けて、リビングであろう広い部屋に入る扉に手をかけた。
つまりは、俺はここにいないということになっているらしい。
過去を・・・過去らしきものを見ることだけ、許されているようだ。
でもなぜ、俺は過去を見せられているのだろうか・・・。
でもとにかく今は、幼い輝二が気になった。
輝二は、ドアの前に立ち止まっていた。入ろうとする意思は見えるのだけど、なかなか入ろうとしない。
どうしたんだろうと、顔を覗き込むと、少し緊張した表情で一点を見ていた。その先に誰がいるのか、ソファが邪魔をして確認することは出来なかった。
少し時間が経ったところで、輝二は覚悟を決めたような表情になって、リビングのドアを開いた。
また、拙い足音を立てながら、歩み向かう。ソファにすわり、テレビを見ているらしい人物のもとへ。
ある程度のところまで来て、彼は呼んだ。
「お父さん!」
と。
輝二の父・・・でもあり、俺の父でもある男はその声に振り向き、どうしたんだ?と優しく声をかけてきた。
「あの・・・これ・・・」
先ほど持っていた紙を父に渡す。覗き込むとそれは、授業参観のお知らせ。
「来て・・・くれるよね?」
不安げに、輝二は父を表情を伺った。その父は、渋い顔をして、紙を睨んでいた。それから、すぐに父親は紙から目を離し、手も離し、離した手を輝二の頭の上にぽんと置いた。
「・・・輝二・・・ゴメンな。この日は父さん大事な仕事があるから行けないんだ。また行けなくて、本当にゴメンな・・・・。」
父は本当にすまなそうに、眉を潜め、俯いた輝二の目線をなるべく見ようと近くまで顔を寄せていた。
「・・・みんなは・・・お父さんがお仕事でも、お母さんが来てくれるんだって・・・」
俯いたまましゃべる輝二の言葉に、父親は固まり、置いていた手を離した。
「ねぇ、お父さん・・・。どうして家にはお母さんがいないの?みんな、お母さんは絶対にいるって言ってたんだよ?」
「・・・・」
そうだ、輝二は3年生のときに義母さんができたんだっけか。だから、今までずっと、父さんと二人暮しということになる。
「どうして?」
必死に輝二は問いかける。
父はしばらく何も言わなかった。何も言えなくなってしまったようだった。
「・・・輝二・・・こっちにおいで。」
何も言えずに考えていたらしかった父は、輝二にこっと・・・ソファのほうへおいでと指示する。輝二は抵抗も反論も無く、言葉に従った。
ソファに座り父のほうを見上げる。
「・・・輝二もおっきくなったから、もう言わなくちゃいけないんだよな。」
「・・・?」
「輝二、よぉーく聞くんだ。輝二のお母さんはね、・・・・・輝二が小さいときにそれこそ、赤ちゃんくらいのときに、死んじゃったんだよ・・・」
この言葉が、今まで輝二の心に刻まれていたんだろうな・・・。母さんはもう死んでしまった・・・ということが。実際は、生きていたのに。離婚、という形で母親を失ったのに。でも、父さんもきっと、そのことは言えなかったんだろう。離婚、だなんて、そんな言葉、純な子供には聞かせることが出来なかったんだ。でも、死んでいる嘘のほうが、輝二を深く、傷つけてしまったみたいだった。
輝二は、それ以上問いかけることはせずに、わかった・・・と呟くように言って、リビングを出て行った。その言葉は、授業参観に父が来れないと言う事に対してか、それとも母親が死んでいるという嘘に対してか。それは、俺にも、多分父さんにも分からなかった。
戻る輝二が心配になった俺は輝二の後を追いかけ、部屋に入った。
部屋の中にはおもちゃが、それこそ一日では遊びつくせない量、散乱していた。彼はそれらを蹴飛ばすように無視して歩き、ベッドへと座り込んだ。スプリングがきしりと、乾いた音を立てた。
顔は伏せたままだ。
きっと、ものすごくショックだったんだろう。泣きたいくらい辛かったんだろう。独りで、泣く事になるんだろう・・・そう思った。
けれど、輝二は泣く様子を見せなかった。
泣いていなかった。
何かを割り切ろうと、ぶんぶん首を振り、唇をかみ締めて・・・。
我慢していた。
泣かないように。
必死に泣くもんかと言っているように見えた・・・・・。
「輝二・・・」
触れられないと分かっていても思わずさす伸べてしまう手。
それが届くか届かないくらいのとき、また世界は波紋を広げ歪んだ。変化した。
次に見えた世界は、夕焼けが照らす、公園の一角。
ブランコ。
四つのうちのブランコのうち二つを陣取って、輝二と、もう一人の少年が、ゆらゆらとブランコを揺らしながら座っていた。年齢は、先よりも一回り大きくなったようだった。
輝二の表情は・・・少し暗い。
友達であろう少年は、心配そうに言葉をかけることも出来なかった。
「あのさ・・・言わなきゃなんないことがあるんだ」
そして、輝二は沈黙を破った。
「・・・何?」
「実は・・・お父さんの仕事の都合で・・・別の、遠いところへ引っ越さなきゃならなくなったんだ・・・」
「そんな・・・・」
「だから・・・お別れを・・・」
言葉途中で、輝二の友達はブランコから勢いよく立ち上がる。がしゃりと、ブランコの金属が擦れあった。
「酷いよ!!」
輝二はその一言に狼狽し、その子の名前を思わず呼んだ。だけど、その子はかまわず続けた。
「ずっと、俺たちは友達だって、ずっと一緒にいるって約束したのに・・・!!嘘吐き!!そんな輝二なんか・・・大嫌いだ!!絶交だ!!!!」
輝二か受け答えするまもなく、言い散らした少年は、一目散に輝二の目の前から走って去っていった。輝二はただ、その後姿を見ているしか出来なくて、何も出来ずにただその場に立ち尽くした・・・。
そして輝二は、そのことはそのままに、引越し、転校した。
こんなことになってしまうなら、友達はいないほうがいいんだと、誰もいないところで呟いて・・・。
それからまた、幾度となく世界は歪み、俺は輝二の過去を垣間見ていった。