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粃 ――シイナ――

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 抱き寄せられて硬直した。
 背中を優しく撫でられて、あったかくて、落ち着く。
 握りしめた手の力が抜けきて、アーチャーに身体を預けた。
「ごめん……ごめんな、アーチャー……」
 何をどう謝ればいいのかも見当がつかない。
 だけど、自分の思ったことは伝えないと、フェアじゃないと思った。
「戻ってほしくなくて……まだ、傍にいてほしくて……、契約なんかして、ごめん……」
「何を言っている。貴様が見届けろと言ったのだろう」
「でも、嫌だろ……、魔力が少なくて、こんな……、家政婦と変わらない……」
「まあ、確かにそうだが……」
「ワガママ言ったら、ダメなんだって……、わかってたのに、俺、あんたに傍にいてほしいって、思ってしまって……」
「…………士郎、あのな……」
 呆れたような声。
「士郎、そういうことを言うとだな、誘われていると、普通の男なら勘違いしてしまうぞ」
「え?」
 何を言っているんだろう、アーチャーは?
 アーチャーの腕が離れて、その手が肩に載せられた。
「まったく……。もう少し、自己防衛本能を養え、未熟者」
 軽くデコピンされて、ぽかん、とする。顔を覗き込むように腰を屈めてきたアーチャーと目が合う。
「自己防衛? えっと、なに?」
「むやみやたらと、男を煽るな、と言っているのだ、たわけ」
 何を言われたかわからなくて、ぼんやりしてると、唇に軽く触れた温もりに目を剥く。何度か瞬く。頭の天辺まで、熱くなった。
「っっっ!」
 今、何した?
 い、今!
 今、口に、なんか、なんか!
「こ、こ、この、この、せ、セク、ハラ、さ、サーヴァンっ、ト!」
「隙だらけだから、そういうことになる、覚えておけ、未熟者」
 なんてこと、するんだ!
 なに、言ってんだ!
 こいつ、なんなんだ!
 アーチャーが去っていく背に罵声を浴びせ、自室に向かった。
 まだ怒りが冷めないままで、布団を敷きはじめる。
「なんてことするんだ! 自分だからって、なにしてもいいと思ってるのか! あのセクハラサーヴァン……」
 違う。
 自分じゃない。アーチャーと自分は違う。
 自分は男じゃない。
 エミヤシロウじゃない。
 アーチャーは、理想の姿。本物のエミヤシロウ……。
 衛宮士郎になれない自分は、エミヤシロウを引き留めた。
 どうして、そんな大それたことを……。
「謝ってすむことじゃない、か……」
 布団を敷く手が止まった。
 アーチャーを留めてしまったことは、やっぱり横暴だったとわかってる。
 それでも還らせたくなかったのは、あの悲しい横顔が見えてしまったからだ。刃が交わる度に見えたアーチャーの生きた道、行きついた道……。
 どうしようもなく寂しい荒野。
 剣を内包した乾いた心象。
 そこに行き着いたアーチャーの心情も、何もかも理解できるのに、あそこはダメだ、と思ってしまう。
 唇に指で触れる。
(熱い感じがした……)
 一瞬の感触が今も離れない。自分を抱き寄せた腕は優しかった。
 胸が痛くなる。
 鼓動が速くなる。
 頭を振って、気を取り直す。
「引き留めたことをちゃんと謝って、それから……これからのこと、話さないと……」
 ぽつり、と呟く。
 きちんと話をしようと思った。
 これから、どうするのか。
 アーチャーはどうしたいのか。
 アーチャーの意思をしっかりと確認しようと決めた。


 学校の放送で呼び出しを受けて玄関口まで行くと、あり得ない光景に呆然とした。
「あの……」
 不機嫌な顔に、深く刻まれた眉間のシワ。小言が山ほど出てくると身構えた。
 ずい、と目の前に差し出された包みに瞬く。
 思わず手を出して、そのまま受け取った。
「忘れていっただろうが」
「あ……弁当……」
 朝、カウンターに置いたまま忘れた弁当をアーチャーがわざわざ届けに来てくれたんだとやっと気づいた。
「わ、悪い、あの――」
「気をつけろよ」
 ぽん、と頭に載せられた大きな掌に、ぽかん、とする。
 ひと撫でして踵を返したアーチャーに礼を言うこともできず、鼓動の速さに戸惑った。
「変だ……」
 自分がおかしい。それに、アーチャーの態度もおかしい。
 おかしくなったのは、自分が女だとバレてからだ。バレる前は足蹴にされることも、首根っこを掴まれることも、乱暴に扱われることもあった。
 なのに、女と知られてから一週間、アーチャーは引きこもり、そこから出てきてからというもの、軽くこつくことはあるが、それ以上の暴力的なことを一切しなくなった。
「なんだこれ? なにこれ? なんでだ? あいつ、自分のこと消し去りたいって、思ってただろ? 過去の恥部だって、顔見るのも反吐が出そうだって……」
 顔が熱くて仕方がない。
 アーチャーの持ってきてくれた弁当を大事な物のように抱え、足早に教室に向かった。
 まだ、アーチャーとちゃんと話し合えていない。
 このままズルズルというのは、ダメだとわかっているけど……。
(だけど、面と向かって、話とか……)
 難しい。
 アーチャーの顔がまともに見られないのが現状だ。
 戸惑ってばかりいられないけど……。
(どうしたらいいんだ……)
 ますますわからなくなってしまった。



「これで全部か?」
「ああ、うん」
 買い出しを済ませて、両手に大きな買い物袋を持ち、商店街を出た。
「これで三日しかもたないって、どんだけ大家族だって話だよな」
 言いながらアーチャーを見上げて同意を求める。
「仕方がない、大食漢が二人は必ずいるのだからな」
「そうだなぁ……」
 ため息をつくと、
「重くはないか?」
 すでに買い物袋を持った手でさらに荷物を寄越せというように手を差し伸べてくるアーチャーに、慌てて身体を引く。
「こ、このくらい、平気だ!」
 噛みつくように言ってアーチャーを睨むと、そうか、とアーチャーは気にしたふうもなく歩を進める。
 やっぱり変だ。こんなあからさまに女子扱いするなんて、と腹立たしくさえ思う。
(急に態度変えるな!)
 今まで知らなかったクセに、今まで散々な扱いだったクセに、とムッとする。
 だけど、知らなかったのも気づかなかったのもアーチャーのせいじゃない。
(やりにくいだろうな、アーチャーは……)
 ただでさえ一緒にいたくない衛宮士郎が、実は女だったなどと、想定外もいいところだろう。
 いたたまれなくなってくる。
 あまりにもやりにくそうであれば、遠坂に預かってもらおうか、と考えたりもしたが、それは自分が主なのだからと思い直し、自分で解決しなければ、と意気込んでみたりもする。
(だけど、どうやってこいつとつきあっていけばいいんだろう……?)
 自分の面倒くらい自分で見ろ、などと言ってしまった手前、今さらアーチャーを放り出すわけにはいかないし……。
 まだ何も話し合えていない。
(話し合えないなら、殴り合う、とか?)
 以前ならまだしも、今となってはアーチャーが殴り合いにつきあってはくれないだろう。
 どうするかな、とぼんやりと思っていた時、
「士郎!」
 腕を引かれ、いきなりアーチャーに抱き寄せられる。同時に何か大きな音と振動。
「な、なんっ! アーチャーっ?」
 離れようと腕に力を籠めたが、ビクともしない。
作品名:粃 ――シイナ―― 作家名:さやけ