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粃 ――シイナ――

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 混乱しながら目だけを動かす。白っぽい煙だか、埃みたいなものだかが見える。
「な、に……?」
 悲鳴のような声も聞こえる。僅かに緩んだ腕の中からアーチャーを見上げた。眉間に深いシワが刻まれている。
「アーチャー?」
 こちらに目を向けたアーチャーは、
「無事か?」
 と、目尻を下げた。
 とくん、と心臓が跳ねてうろたえる。
(なんだ、今の?)
 狼狽する間もなく、血の匂いにハッとする。
「アーチャー、ケガして――」
「問題ない。行こう」
 傷口は塞いだみたいだ。血が滲んでいるけど、シャツが暗い色なので目立たない。片手に荷物を持ち、アーチャーは立ち上がる。
「大丈夫なのか?」
「ああ。人が集まってくると面倒だ。行くぞ」
 ハンドル操作を誤ったんだろう、歩道に乗り上げ、自分たちの脇を掠め、車止めに突っ込んだ事故車はクラクションの音をけたたましく鳴らしっぱなしだ。
 人が寄ってくる前に、その側からさっさと離れる。
「腕……」
 右腕がだらりと下がっているのに気づいてアーチャーを見上げる。
「裂傷は塞いだが、骨まではどうにもならん」
 アーチャーは何も言わないけど、魔力が足りないのだとわかった。
 自分の魔力量ではアーチャーが現界するだけで精いっぱいで、負傷した腕を治す余力はない。
 血を滴らせて歩くわけにはいかないため、アーチャーは必要最低限の裂傷だけを治癒したのみで、あとは放置している。
「ごめんな」
 謝ると、アーチャーは口端を上げる。
「ずいぶんと殊勝なことだな。謝る暇があるならさっさと魔力を増やせ」
 厭味を言われてムッとするも、言い返すことができず、頷くしかなかった。


「事故に?」
「うん、車に当たって……」
 俯いたまま答える。
 今日の夕食は遠坂とセイバーと自分だけだった。アーチャーは腕の治癒のために魔力を無駄遣いしないよう睡眠をとっている。
「そう。あんたの魔力量じゃ、時間がかかるわね……」
「遠坂、アーチャーに魔力、分けてやってくれないか?」
 頼んでみたけど、
「ダメよ」
 と、厳しい顔の遠坂に断られた。
「なんでだよ?」
「いい? アーチャーはあんたが留めたのよ? あんたの使い魔なの。だったら、あんたが面倒看るのが正当ってもんでしょ?」
「う、うん、でも、今は――」
「そうやって、いつまで私に頼るの?」
 ぐ、と詰まって唇を噛みしめた。だけど、引き下がるわけにはいかない。
「このまま、放っておくのか?」
 胸が苦しくて仕方がない。
 あんな状態のままなんて、痛みもあるだろうし、身体も動かないだろうし、アーチャーが気の毒すぎる。
 憤っていると、遠坂は、にこり、と笑う。
「いいえ。あんたでも魔力を流す方法は、なくはない。あんたとアーチャーは同調率が高いから、ちゃんと僅かずつだけど、魔力が流れているでしょ。それを少し増やせば、腕一本くらいはどうにかなると思うわよ」
「どうやって増やすんだ?」
「まあまあ、焦りなさんな。方法はいくつかあるから、必要に応じてあんたが使い分けなさいね」
 師匠の言葉に、うんうん、と頷いて、遠坂の魔術講義を受けた。


「えっと、一つ目は経口摂取か」
 体液を飲ませる方法。だが、これは微弱な魔力しか補えない。
 二つ目は交感方法。互いに触れ合い、意識を同調させるというもの。
 三つ目は直接供給。これも交感方法と同種ではあるが、要するに身体から先に繋げて、意識を同調させろ、という最も強制的で、最も効率がいい方法だという。
 ただ、三つ目は魔術の儀式としてはあまりにも精神的なダメージを負いそうな気がして踏み切る勇気がない。
 何しろ、性行為と同等のことをするということなのだから。
「は……」
 遠坂から教わった供給方法をアレコレと考えながら風呂から出て、アーチャーの使っている別棟の洋室に向かう。
「入るぞ」
 小声で言って、そっと扉を開けた。ベッドに仰向けになったアーチャーはピクリとも動かない。まるで死んでいるような錯覚を覚えて、冷たい汗が背中を流れるのを感じた。
「アーチャー?」
 恐る恐る近づいて、その顔を覗き込む。微かな呼吸音がして、ほっと胸を撫で下ろす。
「嫌かもしれないけど、我慢してくれよな」
 小声で断っておいて、アーチャーのシャツのボタンを外していく。アーチャーのシャツをはだけさせて、服を脱ぎ、ショーツ一枚になった。
 自分の着ける下着はボックス型のショーツとタンクトップのみだ。無い胸にブラジャーなどというものは必要ない。普通の女性もののショーツでは学校で万が一見られた場合色々と問題になるので、男物に見える物を選んでいる。
 というより、女性用の可愛らしいレースやフリルのある下着など、正直なところ、着けようと思わないからだけど。
 ショーツ一枚になって、自分の身体にふと目を向ける。
 ほぼ平らな胸。
 胸筋があるわけでもない。薄く腹筋の筋はあるが、くっきり割れているわけではない。目の前の筋骨逞しい身体とは全く別物だ。
 急激に恥ずかしさがこみ上げる。シャツのはだけた厚い胸板に思わず赤面しながら、そっとアーチャーの左腕を退けた隙間に横になり、ぴったりと身体を寄せた。
 アーチャーの体温が感じられる。鼓動もある。生きている人間と変わらないアーチャーの肉体に気恥ずかしさと、背徳感で唇を噛む。
 勝手なことをしていると思う。
 こんなの、アーチャーに意識があれば絶対にやらせないことだろう、と思いながら目を閉じた。
 相手が眠っているので交感方法が成功するかどうかはわからない。だけど、僅かずつでも自分の魔力がアーチャーに流れていっていると遠坂にも太鼓判を押された。
 なら、近ければ近いほど多く流れるはずだ。距離感が少ないほど魔力は流れやすいらしいから、恥ずかしいけど、これが最善の方法だと思う。
 とくとくとく……。
 少し早い自分の鼓動を感じて、逆に穏やかなアーチャーの鼓動に、いたたまれなさが増してくる。
 自分だけが、なんだかおかしな気分になっているような気がして、ぎゅっと目を瞑った。
「アーチャー、ありがとな……」
 突っ込んできた車から庇ってくれたことの礼も言っていなかったことを今さら思い出して呟いた。



***

「あー……、これは……どうなっている……」
 思わず声に出して、左手で額を押さえた。全く記憶が無いのだが、ほぼ全裸の士郎が抱きついている。
 酒でも飲んだのか、このガキは。
「ん……?」
 右腕の痛みが薄らいでいることに気づいた。
「魔力を……」
 流そうとしていたのか。
 少し頭を起こした。ベッドの端に横になり、私の胸の上に頭を乗せ、片腕を回してぴったりとしがみついている。
「士郎、もう……」
 士郎を起こそうとして肩に触れ、言葉を切った。
 冷たくなった肩。
 部屋の時計に目を向けると、午前二時前。どのくらいこうしていたのかはわからないが、おそらく二時間は過ぎているだろう。
 士郎を起こさないようにそっと身体を起こし、足元にたたまれたままの掛け布団を引き上げる。士郎をベッドの真ん中に移動させようとして、その柔らかい肌の感触に、どきり、とする。
「いや、私は何を……」
作品名:粃 ――シイナ―― 作家名:さやけ