粃 ――シイナ――
「な、なんで、黙って!」
「言う必要ないでしょ? あんたも私に黙っていたんだから」
「ぐ……」
反論できない。
確かに遠坂には女であることを黙ってたし、騙すつもりはなかったけれど、共闘関係にあったのに言わなかったのは、やっぱり遠坂も面白くはないはずで……。
「それで? アーチャーはいつ頃気づいたの?」
「え? いつって……、えっと……」
確か風呂場でバッチリ見られた時だよな……。
「契約して一ヶ月くらい経ってから、だったかな?」
「ふーん。で、どうだった?」
「一週間、引きこもりしてた」
「引き……こもりぃっ?」
遠坂は、家訓の“優雅たれ”って言葉を忘れたみたいに、爆笑した。
「ショックだったみたいだ」
「で、でしょう、ねぇ」
ケタケタと笑う遠坂につられて自分もおかしくなってきた。
「士郎、あんた、笑うようになったわね!」
笑い過ぎて涙を滲ませながら遠坂は言う。
「そうかな?」
「ええ。何か、変わった?」
「あー、うーん、どうだろ? 変わった、のかな?」
「はっきりしなさいよう」
変わったとは思う。
あの夢も最近は見なくなったし、少し前向きになった気がする。それは、ひとえにアーチャーのおかげってことになるのだろう。
エミヤシロウが目の前にいる。最初はその現実が苦しかった。だけど、今は、自分じゃなくていいんだと肩の荷が下りたように楽になった。
アーチャーがいるということは、自分が衛宮士郎でいることがない、ってことだし、じゃあ、自分はなんなのかと考えれば、ただのシイナだ。
今までそんなこと、思いもしなかった。その名は忘れ去られた名だし、誰も知らない名だから。
けれど、アーチャーがその名を呼んでくれる。だから、自分は無理をして衛宮士郎でなくていいんだとわかった。
「正しくは、変えてくれた、かな」
きょとん、と遠坂が目を丸くした。
「なによぉ、急に惚気なのぉ?」
「の、惚気って、なに言ってんだ!」
「ねー、アーチャーとどうにかなっちゃったぁ?」
「と、遠坂!」
遠坂の口を塞ぐ。居間からは離れてる縁側とはいえ、アーチャーの耳に入らないとも限らない。
「ハハ、ごめん、ごめん、もう言わないからーって、あら? 士郎、あんた……、下着ってどうしてるの?」
「は?」
いきなり今度は下着の話。遠坂の脈絡のない話に、脳ミソがついていかない。
「下着って、タンクトップ?」
シャツを、ぺら、とめくって遠坂に見せる。
「ダメでしょ、それじゃ……」
「え?」
「学校に、それだけで行ってるの? もう少ししたら夏服だし、上着は着ないのよ?」
「うん、知ってるけど?」
「あんた、気づいてないの?」
「何を?」
「成長してるわよ、それ!」
遠坂が自分の胸元を指さしてくる。
俯いてじっと自分の胸を見る。
「ん?」
「聖杯戦争の時は全っ然なかったのに、あんた胸が大きくなってるわよ」
「え? そうかな?」
「そうなの! それじゃ、マズいわよ! 学校は男で通ってるんでしょ?」
「うん……」
「仕方ないわね」
と、言って立ち上がった遠坂に、部屋でサイズを測られた。
「支障のない感じのを仕入れてあげるから、とりあえず、さらしか何か巻いておきなさい」
「わ、わかった」
遠坂の勢いに素直に頷いた。
「これから大変ねー」
「何が?」
「アーチャーが」
「なんで? 別に何も……」
目を据わらせる遠坂に声が萎む。
「私の士郎が、男子高校生という野獣どもの巣窟にーっ! って、毎朝嘆いてるはずよ」
「あり得ないから……」
「あら、なーんにもわかってないのね、士郎は」
遠坂の言葉に首を捻る。
「アーチャーは、たぶん、あんたにメロメロよ」
「め、めろ……、なに言ってんだぁ、遠坂ぁ!」
そんなわけがない、アーチャーは、そんなふうに自分を見てなんてない。
女と認識しているだけで、きっと妹だとか、そういう感じ。
(だって、あいつは兄の代わりみたいなものだし……)
いや、違う。
兄なんかじゃない。
最初から理想の権化みたいだった。
自分がならなければいけないもの全てを持つアーチャーが自分を見てくれたらと、どこかで思っていたから、兄じゃあない……。
いきなり背中を勢いよく叩かれ、噎せる。
「友達も恋人も、これからたくさん作りなさい! アーチャーには、やきもきさせておけばいいわ。あんたが今どう思ってるか、そんなの後で考えればいい。とにかく人を好きになって、一緒に楽しむの!」
「楽、しむ……?」
「そうよ! 人生、楽しくなけりゃ、ね!」
立ち上がる遠坂を見上げた。
彼女は眩しいくらいに輝いてる気がする。
魔術師としての自負、今までしっかりと足を踏みしめて生きてきた自信。
自分とは違って、根っこをはって、真っ直ぐに生きてきた彼女の生があふれてる。
「俺、遠坂のこと好きだよ」
目を瞠った遠坂に、首を傾ける。
「もう! そういうこと、しれっと言うんじゃないの!」
少し怒った顔で言う遠坂が、額にキスをしてくる。
「と、遠坂っ?」
慌てると遠坂は笑って踵を返す。
「士郎、大丈夫よ。私もちゃーんと見ててあげるから!」
片目を瞑り、遠坂は居間へと歩いていった。
「も、もーっ!」
少しうれしいと感じる。
遠坂は自分の歪さを認めてくれて、それでも、大丈夫だと言ってくれる。
「ありがとう、遠坂……」
面と向かって言えなかった言葉を、今、呟いた。
「少し育ったか……」
低い声が聞こえる。
背中に温かい温もりがある。ゴツイ腕が腹に回されていて、もう一方の手が自分の胸元にある。
その手が少し離れ、眠い目を背後に向けた。
「なに、が?」
「シイナの身体だ」
わきわき、と手を握ったり開いたりして、淡々と答えるアーチャーの顔面に張り手をお見舞いした。
「何をするか、たわけ」
「お前の方こそ、朝っぱらから、なにやってんだ!」
魔力を流れやすくするため、アーチャーとだいたい一緒の布団で眠っている。それは仕方がないんだ。自分の魔力量が少ないから。そうしないとアーチャーが現界できないから。
だけど、なんだって、自分はこんなセクハラじみたことを、寝起きに受けなきゃならないんだ?
「シイナ、凛に少し見て、っぶ」
枕を顔面に押し付けた。
「もう、出てけ!」
「おい、話を――」
「と、遠坂には話した!」
渋々みたいだったけど、アーチャーはおとなしく出ていった。
「はあ……」
盛大にため息が出る。
「わかってる、そんなこと……」
十年、男として生きた。
今さらって気もするけど、身体が女になろうとしてる。
原因はたぶん、あいつ。
アーチャーが何をしたってことじゃなく、自分の心持ちの問題だ。
身体が、心が、どうしようもなくアーチャーへと向かってしまう。
坂を転がり落ちるように、アーチャーに向かってしまうこの気持ちが、自分でも抑えようのない気持ちが、もう、引き返せないところまで足を踏み込んでしまっている。
永遠に呼ばれることのない名をアーチャーが呼ぶ。
その度に、シイナである自分が目を覚ます。
溢れそうになる想いを止められない。
(もう、無理だ、もう、止まらない……)