粃 ――シイナ――
聖杯戦争が終わってから、アーチャーと契約をしてから、あの赤い記憶と黒い思い出を……。
ゾッとした。
アーチャーに知られてしまう。
流れていく。
自分の記憶が。
知られてしまう、何もかも。
露見すれば、どうなるんだろう?
自分は、どうすれば、いいんだろう……。
見当もつかなくて、縁側に座り込んだまま、途方に暮れた。
*** 幕間
「セイバー、どうしたの?」
聖杯戦争が終わったことだし、士郎の体調も戻ってきたから、居候していた衛宮邸から自宅に引き上げてくると、セイバーは落ち着きなくそわそわしている。
「い、いえ……」
なぜか、もじもじとして私の質問に答えないセイバーに首を傾げる。
「セイバー、どうしたのよ、様子が変よ?」
「い、いえ……、何も、ありません」
「何も……って、顔じゃないけど?」
少し心配になってきた。セイバーは碧い瞳を右へ左へと揺らしている。
「ほんとにどうしたのよ? なに? 士郎のこと?」
びく、と細い肩が揺れて、
「わかりやす」
思わずごちる。
目が据わっちゃう。セイバーは嘘のつけない性格よね、ほんと。それから、士郎に関しては、けっこうな過保護みたい。
「大丈夫よ、もう殺し合ったりしないわよ。アーチャーも責任を取るって言ってたじゃない。あれは、殺すって意味じゃなくて――」
「わかっています」
「じゃあ、何が心配?」
妹にでも接するように、セイバーに優しく訊いた。
「あの……、アーチャーは、男性、でしょう?」
「え、ええ、そうね」
全く予想だにしない答えに、とりあえず相槌を打ってみる。
「ひ、一つ屋根の、下に、いるのは……、それに、アーチャーは、魔力を補いやすいよう、士郎の近くにいなければ、ならないのでしょう?」
「そ、そうね。できるだけ同室内にいた方がいいって、アドバイスはしたけど……」
「や、やっぱり戻りましょう! シロウが心配です!」
「はい? なに言ってるの? 士郎が心配って、セイバー?」
リビングを出ようとするセイバーの手を慌てて掴んだ。
「落ち着いてセイバー。何があったの? セイバーは、何がそんなに心配なの?」
「凛……、申し訳ないのですが、言えません」
逡巡した末に、セイバーはきっぱりと言い切った。
「それじゃあ、セイバーを行かせられない」
「凛!」
「理由がわからないのに、私の使い魔であるセイバーに勝手な行動をされては困るのよ」
腕を組んだまま冷静に言い放つ。正論をかざせばセイバーは思い留まることは先刻承知。
「セイバー、悪いようにはしないわ。だから、何が心配なのか、ちゃんと話して、ね?」
宥めるように言って、セイバーはようやく首を縦に振ってくれた。
そして――。
「なぁんですってぇっ?」
思わずソファから立ち上がってセイバーを見下ろした。
「あの……、シロウには口止めをされていました。すみません」
シュンとなるセイバーに慌てて取り繕う。
「い、いえ……、セイバーは、悪くないわ……。悪いのは、あのバカよ……」
頭の中でいろんな疑問が湧いては消える。
あいつは学校では男子生徒として通ってる。
自宅にいる時も私には全くわからなかった。
聖杯戦争中、一つ屋根の下にいたはずなのに、そんなこと、気づきもしなかった。
「それなのに、あんな無茶してたっていうの?」
呆然として頭を抱えてしまう。
「凛?」
セイバーの声に、うろたえていた自分をどうにか宥める。
「セ、セイバー、あなたは、いつ?」
「シロウのケガの手当てをした時に、男性にしては少し線が細すぎると思いました。私とあまり変わらないような気がしたので。……それで、シロウに訊ねました」
「線が細い……確かにね……」
ますます頭を抱えそうになる。
私も士郎の手当てをしたはずなのに、全く気づかなかった。
固定概念で士郎が男だ、と認識していたことも大きな要因だろうとは思う、思うけど!
(ぺったんこだったのよ、十七にもなって、なぁんにもない、ツルッペタッ!)
気づくわけないじゃない、と恨み節が出そうになる。
「は……」
疲れのこもったため息を一つ吐く。
「今日は、とにかくもう寝ましょう」
「え? も、戻らないのですか?」
「大丈夫よ、アーチャーは知らないはずだし。それに、あんなだけど紳士だもの、気づいたとしても、おかしな考えなんて浮かばない。ボロボロになるまで鍛え上げようとするかもしれないけど、セイバーの心配するようなことはないわよ」
そこまで言うと、セイバーは少し頬を染めた。
「すみません。よくテレビで、男女が一つ屋根の下にいると、というものをやっていたので……」
「セイバー……、昼ドラの見すぎよ……、いくら昼間は暇だったからって……」
呆れて言いながら、ふと思いついて、にやり、と口角が上がる。
「ねえ、セイバー。アーチャーは、いつ気づくかしら?」
「り、凛……?」
セイバーは青くなっている。
ちょっと面白いかもしれない。アーチャーが過去の自分が女だなんて知ったら、どんな顔するかしら。
あの鉄面皮、どれだけ崩れるのかしらね。
「この件は、伏せておきましょう、ね?」
うふふ、と笑えば、セイバーは、やめましょう、と青ざめながら訴える。
「いいじゃない、面白いことになるわよ。きっと」
「ですが……」
「アーチャーに教えて、藪蛇にでもなったら、それこそセイバーはいたたまれないでしょ?」
「それはそうですが、混乱したアーチャーがシロウを痛めつけようとするかもしれません」
「考えすぎよぉ」
「ですが凛、シロウにもしものことがあったら……」
「あるわけないでしょ? どっちもエミヤシロウなのよ? アーチャーが手を出すはずないし、士郎がモーションかけるわけもない。どちらも今は互いの様子見ってところよ。アーチャーはどうやって自分の過去を導くのか、士郎はどうやって自分の未来に納得させるのか。今は、そのことしか頭にないんじゃないかしらね」
「そう、……だといいのですが……」
セイバーは納得していない顔をしてる。
「私たちは、口を出すわけにはいかないわ。結局はあいつらの個人的な事情だもの。だから、見守っていればいいと思うわよ、あいつらの結論を」
「そう、ですね……」
セイバーはやっと笑みを浮かべた。
◇◇◇ ◇◇◇
お母さんは言いました。
あなたは今から士郎よ、と。
わたしはそれに答えます。
それはおにいちゃんのなまえだよ、と。
お母さんは少し笑いました。
生きていけないから、と。
お母さんは少し泣きそうでした。
男でなければならないから、と。
◇◇◇ ◇◇◇
子供の手が、黒い塊に触れる。
恐る恐る、黒くなった棒のようなものに触れると、ぼろり、と崩れた。
咄嗟に手を引く。
黒い塊は“おにいちゃん”と呼ばれている。
『あなたは今から士郎よ』
天啓のような明朗な声。
その、はっきりとした声を発したのは、黒い塊を胸に抱く瀕死の女性。
今から、士郎?
この手の持ち主が、今から士郎?
生きているのは“士郎”ではない?
真っ赤な炎と黒い煙に視界が覆われる。