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粃 ――シイナ――

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 とりあえず脱衣所から出て、廊下の壁に片手をつき、反省ポーズで項垂れた。
「どういうことだ……」
 今見た全てを、脳がようやくまともに解析しはじめていた。
「あるはずのものが無く、ならば、あってしかるべきものも、ほとんど無く……」
 士郎の身体は無い無い尽くしだ。
 やはりその異常な身体つきに混乱をきたす。
 男であればあるモノがない。では女かと象徴するような胸の膨らみはない。
 小学生と変わらない上半身に、未成熟の少女の下半身。
「なんだ、あれ……、どうなってるんだ……」
 思わず素に戻ってしまう。
 だが、とにもかくにも、謝らなければ、との結論に至った。
 知らなかったとはいえ、女性の風呂場に乱入したのは決して許されるものではない。
 ヨロヨロと居間へと向かいながら、何度もため息をこぼしていた。

「あ……」
 居間の障子を開けて、士郎が思わず上げた声に顔を上げた。
 正座をしたままじっと見上げると、士郎は目を逸らす。
「まずは、謝ろう」
「へ?」
「すまなかった」
「え? あ、う、えっと、いや……、あ、うん……」
 戸惑いつつ頷いて、士郎は対面に腰を下ろした。
「あー……、士郎、その、だな……」
「ああ、うん、女だよ」
「…………だな」
 風呂から出た士郎と座卓を挟んで額に手を当てたまま動けない。士郎の方は諦めがついたのか、開き直ったのか、取り繕うこともなく、すぐに白状した。
「悪かった」
「いいって。見られて困るようなものもないからさ」
 顔を上げると、俯いた士郎は引き攣った苦笑いを浮かべていた。
 素直じゃない。
「い、嫌だろうが、普通は」
「だから……、見たんだから、わかるだろ」
 士郎の言いたいことが不可解だ。
「その……、性別は女だけどさ、女の人みたいな、身体じゃないから、別に、困らない」
「そういうことではないだろう?」
「そんなもんだって。ずっとバレなかったんだ。さっきみたいにバッチリ見られなきゃ、隠してこられたんだから。……俺の身体は女じゃない」
 きっぱりと言い切った士郎の表情が、泣いているように見えた。
 こいつはやはり歪んでいる、と理解した。
 衛宮士郎は、どの世界でも歪んでいるのだな。私を含め、衛宮士郎という名の人間は、どこか歪でどこか悲しい存在だ。
「いいのか、それで」
「いいも何も、俺は衛宮士郎だから」
「…………」
 その言葉が突き刺さるようだった。
 衛宮士郎だから、と諦めていると思えなくもない。
 私に後悔するなと言ったこの存在が、衛宮士郎であることに諦めを感じている。
 矛盾しているだろう、と言いたいのを抑えて、静かに訊く。
「いつから……」
「そりゃ、産まれた時からだけど」
「ああ、だろうな」
 不毛な会話が続く。
「なぜ、士郎になった」
「遺言だからって、言っただろ」
「それで、いいのか……」
 また同じようなことを訊いた。
「いいも悪いも、俺は十年間こうやって生きてきたからさ、今さら変われないって」
「だが、学校も――」
「学校は男子生徒で通ってる……」
「知っているのは?」
「藤ねえとセイバーくらいかな」
「……はぁ。よく、そんなので、戦えたな」
「遠坂だって女の子だぞ」
「彼女は魔術が使える。お前は使えないだろう。あんな無茶ばかりをして、何を考えている、まったく……」
「あんただって殺そうとしたクセに」
「…………」
 ああ、そうだった。
 私はこいつを消し去ってしまいたかったのだった。
 思い出したように気が滅入る。目の前のこの少年、もとい、少女に自分はどれほどの傷を負わせたのか……。
「もう終わった話だろ」
 屈託なく言った士郎は、この話は終わりにしよう、と小さく笑った。
 そう簡単な話ではないだろうが……。
 私は衛宮士郎と名乗る者を殺そうとした。それが間違いであるとも気づかずに。
 しかも、男ではなく女だと?
 冗談だろう?
 私は衛宮士郎ではない、しかも女を刃にかけようとしたのか?
「あの、アーチャー?」
 気遣わしく声をかけてくる士郎を上目で見る。
「気にすることないって、今まで通りでいいから」
 そう言われると余計に気にするだろうが、たわけ。
「マスター、しばらく、一人になりたい」
「え? あ、うん、いい、けど。えっと、具体的に、どうすれば?」
「別棟に籠もる。姿がなくとも探さなくていい」
「わ、わかった」
 士郎の返答を聞きながら居間を出る。
 色々と、頭の中を整理したい。
 こいつを見届けるとか、自分のことは自分で責任を取るだとか、そういうことの前に、考えたくなった。



***

 ぴったりと風呂場の戸を押さえたままで、震える唇を引き結んだ。
 アーチャーが脱衣所を離れたのがわかって、ふらつきながら壁に手をつき、熱いシャワーを頭から被った。
 風呂を沸かすのを忘れたまま、風呂に入ろうとするなんて、かなり間抜けなことをやらかしてしまった。
「ダメだな……」
 三月が終わりに近づくといつもこうだ。
 ぼんやりとして、色々とポカをやらかす。
 藤ねえにもいつも注意されているってのに……。
 原因はわかっている。
 三月末は誕生日があるから。もう祝うことのない日が近づいてくるから……。
「見られた……、バレたよな……」
 魔術でも試しているのか、とか、よくわからないことを言っていたけど、バッチリ見られたんだ、もう誤魔化せない。
「は……」
 普通の女の子ならこの場合、恥ずかしさで赤面とかするんだろうけど……。
 指先が震えている。鏡を見ると、顔は青ざめていた。沸いていない水風呂に入ってしまったからじゃなく、自分の犯した失態に、身体の芯から震えがきている。
「大失態だ……」
 見られてしまった。バレてしまった、女だと。
「どうしよう……」
 シャワーを被りながら頭を抱えた。



 アーチャーはあれから洋室に籠もっている。
 反省しているみたいだ、気にしなくていいと言ったのに。
「でも、魔力……」
 洋室に籠るのはいいけど、魔力が流れにくいんじゃないか?
 遠坂は近くにいれば魔力が流れやすいと言っていた。
 同じ敷地内だけど、離れているより近くにいる方がいいだろうな。
 魔力補填のために食事をしなければならないから、朝食と夕食は毎日運んでいる。食器が空になっているからちゃんと食べてるみたいだ。
 夕食の食器を引き上げてから片付けを済ませ、洋室の側で寝る。アーチャーが籠もって二日目くらいからそうしている。
 魔力が切れて、いつの間にか座に還っていた、なんて笑い話にもならないから、こうして側にいて魔力が流れやすいようにしている。
 ドアの側だと気づかれるだろうから、廊下の隅に毛布に包まって、そこで毎夜、眠っていた。
(あれ……? なんで、魔力切れ起こしたら、なんて、気にしてるんだろう……?)
 今まで無関心だった。今まで近くにいた方がいいだろうとか、考えもしなかった。
(おかしいな……、何を、考えているんだ……)
 自分がよくわからなくなった。


「士郎……」
 呼ばれて目を開けると、アーチャーが立っていた。
「あ……」
「何をしている」
 部屋から出てきたってことは、もう反省会は終わったんだろうか?
作品名:粃 ――シイナ―― 作家名:さやけ