粃 ――シイナ――
だけど、スッキリしたとか、開き直ったとか、そういう表情は見えない。以前と全く変わらない感じだ。
「何をしている、と訊いているのだが」
「あ、ああ、え、えっと……」
ぼんやりしてアーチャーの質問に答えていなかった。それに、見つかった時の理由も考えていなかった。
「ま、魔力が、近い方が流れやすいと思って、その……」
アーチャーが出てくることを想定していなかった。
それに、いつもは明るくなる前に起きて自室に戻っていたのに、つい、ぐっすり眠ってしまって、……失敗した。
「……まさか、ずっといたのか?」
「あー……えっと……」
眉間に寄ったシワが見えて、俯いた。何か小言が降ってくる。
「すまなかったな」
「え? あ、いや……、えっと……」
何を言えばいいかわからない。謝られても、元はと言えば自分のせいだし。
「士郎?」
「あ、謝られるようなこと、してない、だろ」
立ち上がってアーチャーの横をすり抜けた。
アーチャーの顔が見られなかった。なぜか、とても胸が苦しいと思った。
もしかすると、このまま消えてしまうんじゃないかと不安だったから、ずっと自分は洋室の側にいた。
消えないでほしかった。
アーチャーには、まだ、傍にいてほしかった。
どうして、そんなことを思っているんだろう?
自分は、アーチャーに自分自身の責任を取れと言って、引き留めてしまって……。
それは、口実だったのか?
わからなくて、困る。
自分自身が、なんだかよくわからない。
こんなことは、初めてだ。
Tシャツを脱いで洗濯機に放りこみ、タンクトップを脱いだところで、ドアが開く。
「え……?」
目が合った。それから鈍色の瞳は、頭の天辺から爪先までを一往復して戻ってきた。
「ふむ……。知ってはいたが、育ちの悪い身体だな」
「っんな! てめぇ!」
思わず脱いだタンクトップを投げつけて、あ、と失態に気づく。
「馬鹿でガキだと思っていたが、身体までガキのままとはな……」
薄っすらと笑いを浮かべた唇から吐かれる言葉に言い返すこともできず、鈍色の瞳に背を向けた。
「うるさい、出てけ!」
顔だけ振り返り、睨みつけると、馬鹿にした笑いを一つ吐いて、アーチャーは出ていった。
ジーンズと下着を脱いで風呂に入る。
「何しに来たんだ! あんの、セクハラサーヴァント!」
ギリギリと歯ぎしりして、怒りをどうにかやり過ごす。
「ガキの身体で、育ちが悪くて、悪かったな!」
あんたに関係ないだろ、と喚いてみても、なんだか胸苦しい。
湯船に浸かり、身体が温まってくると、少し気持ちが落ち着いた。
「あいつが理想……。自分がなれなかったもの……。あいつの歩んだ道が、あれ程過酷だったとしても、自分は憧れてしまう……」
この身が男であれば嬉々として歩むだろう、アーチャーが辿った道程。
自分が身代わりになっていれば、本物の衛宮士郎が歩むはずの道……。それはそれで、少し気の毒だと思う。けれど、真っ直ぐに自らの未来を見据えて進むことのできる道だ。
羨ましくないはずがない。
自分には歩めない道だから……。
大きなため息がこぼれた。
「考えたって、しようがない。これからも変わらない、衛宮士郎として自分は生きていくんだから」
意味のない決意表明をして、自分自身を奮い立たせた。
「それにしても、アーチャーは、何しに来たんだ? あれ? なんでサーヴァントなのに、中に自分がいるってわかんなかったのかな?」
ふと、疑問に思う。
サーヴァントであれば、扉の向こうの人の気配くらいわかるものじゃないだろうか。しかも、マスターの気配だ、わからないはずがない。
「わざとか、あいつ……」
沸々と、おさまっていた怒りがまた湧き起こる。
嫌がらせにもほどがある。
確かに、前の主の遠坂に比べれば到底足りない魔力量に納得がいかないんだろう。だけど遠坂にはセイバーというサーヴァントがいる以上、自分がマスターになるより他ないじゃないか。
「還したくはなかったんだ、あそこに……。だけど、アーチャーは、嫌なんだろう……」
少し、自分のサーヴァントが気の毒に思えてきてしまった。
自らの意志ではないのに留められていることは、あの守護者という運命と変わらないんじゃないかと思える。
「自分に引き留められて、アーチャーはきっと、いろいろやりづらいんだろう……」
過去の自分、しかも女。アーチャーにとっては、居づらいことこの上ない状況なのではないかと思えてくる。
「は……」
ため息は、ますます増えていくばっかりだった。
シャツを脱いだところで、ドアが開く。
(またしても!)
拳を握りしめて、顔だけ振り返る。今度はタンクトップを投げつけるような失態は演じない。
「いい加減にしろよ、セクハラサーヴァント!」
「タオルを片付けに来たのだが?」
「今じゃなくてもいいだろ!」
今日はまだタンクトップを着ている。言いたいことが言える。
「わかってて入ってくんな!」
「何か誤解をしているようだな、マスター?」
「誤解? 何がだ!」
「こんな微々たる魔力量では、人の気配などつかめん」
予想外の反論に言葉を失った。
「この魔力量で、通常のサーヴァントとしての能力が出せると思っているのか? おめでたい奴だな」
「そう……なのか?」
「現界だけで、精いっぱいだ」
拳を握りしめる。
「そうか……、魔力が……足りないから……」
「ああ、そうだ。まったく、未熟者をマスターにすると面倒事が増える」
言いながらアーチャーはタオルを棚にしまって出ていった。
扉の締まる音を聞いて俯く。
「魔力が足りないから……気配もつかめないなんて……。だったら、もう、契約を解除して……」
令呪を見つめて、ダメだ、と諦める。
(自分が契約を解除すれば、あいつは戻ってしまう。また、殺戮装置として、あいつは……)
それだけはしたくない、と思う。
(あんなに苦しんでるのに、また、あそこへ戻すなんて、できない)
アーチャーは何も言わない。
言うわけがないけど、わかってしまう。
アーチャーがあそこに戻りたくないと思っていることが。絶対に口にしないだろうけど、自分にはわかる。
身体は違っても、元が同じっていう、おかしなしがらみで……。
「だから、ダメなんだ……」
さっと服を脱ぎ、風呂へ入った。
***
「傷つけてしまったか……」
閉めた扉にもたれて呟く。
士郎の琥珀色の瞳が翳ったのがわかった。
食ってかかってきた士郎が、まさか、そんな顔をするとは思わなかった。
確かに本人が気にしている魔力量のことを、あんなふうに言うことは、少々大人げなかったかもしれないが……。
「うまくいかない……」
ため息がこぼれた。
士郎がどこか身構えているのがわかる。
何を考えているのかがわからず、イライラする。
顔を合わせばくだらない言い合いになり、まともに話し合うこともできない。
「いや……」
話し合うことから逃げている、と自覚している。士郎もそうだ。
だから、ギスギスしているのだ。
男だとばかり思っていたのに、女だと?
どういうことだ、まったく……。
(イラつく……)