必要経費
「とにかく、ロランさんは暇そうで、熱心で、普通だったんですよー。ふ、つ、う! だから父さんが頼りにするのかなって、私納得できたんですよ」
「話が繋がっていませんよ、マーク」
「そうですかあ? 前にセレナさんやアズールさんと一緒に出かけた事があったけど――あれも考えたら雑費消費だったんですかね?――みんな目当ての買い物は熱心で、そこはロランさんと一緒なんですけど、暇そうになると何だかそわそわしちゃって。だからゆっくりお買い物し辛いんですよねー」
ブレディとの会話がふと思い出された。なるほど、マークはロランの反応を確かめたかったのだろう。
理由は分かったが、やはり意味不明だ。そんな事を知って何になるのか?
訝しげなロランの顔を眺め、マークは肩を竦めてにやりと笑った。何やら腹の中で考えていて、だがこうした顔をした時のマークは問い詰めようが頑と口を割らない。そういう頑固な所もだいぶ分かってきた。
それが分かる程度にはしょっちゅう顔を合わせているのだな、と意識した。あまり考えた事は無かったが、男連中はさておき未来から来た女性陣の中では下手すればマークが一番付き合いがある。時点はルキナだがそれは立場的に当然の事だ。
意味があるようであまりなさそうな会話を打ち切るため、ロランは手に持った書類をばさりと振った。この天幕に収められているのは医療用具と薬剤の一部で、手分けしてその在庫を確認する人員の一人にロランは割り振られているのだ。
マークは素直に天幕から出て行った。計算ごとにはめっぽう強いマークだが、こうした細かい事にはさっぱり根気がない。その辺は母親たる女性と真逆で、確かに彼女は父親似なのだった――
『娘』の言葉は常に突拍子も無いが、彼もその言動にずいぶんと慣れてきた。
今日の話題はロランに関する事だ。当人は先日から受け持っている医療品の在庫確認にかかりきりでこの場にはいない。
マークの言動の端々から感じ取れる本音はどうやら当人さっぱり気づいていない様子、しかしこれは自ら自覚すべきだろうと黙っておく事にしている。というのは建前で、どうやら自分にもそれなりに父心というものがあったらしい。……作った記憶がさっぱり無いとしても。
「つまり買い物で変わった様子を見せなかったのはロランとルキナだけだった、という訳か」
「厳密にはごく普通~だったのはロランさんだけでしたけどね! 別に申し訳なさそうにはしてなかったし。ロランさんはなんていうか、グレゴさんやガイアさんを連れて行った時によく似てましたよ~」
後で二人に謝っておこうと考えながら(ロランには敢えて謝らない事にした)彼は手元の書類をマークの方へ放りやった。彼女はいかんせんまだまだ子供で軍全体の把握も当然ながらさっぱりなのだが、数字を扱わせると大したものだ。結果、経費計算などの折はこうして呼びつける事が多くなった。
父の願いとあって大喜びですっ飛んでくるマークに若干良心の呵責を感じるが、当のマークはそれなりに楽しみながら与えられた仕事をこなしている。彼女は軍師より数学の学術師の方が向いているのではないかと思う事もある。
手早く数字の羅列をまとめ上げながら、マークは顔を上げぬまま雑談を続けた。
「ロランさんねぇ、私の事羨ましいって言うんですよ、父さん」
「お前はのんきだからな」
「そうじゃなくって、マークちゃんがとっても天才なのが羨ましいんですって! えへへ、凄くないですか? でも本当は違うと思ったんですよね~」
このタイミングで天才と言い出すという事は、計算能力に関する事柄だろう。事実彼の視点からすると、マークは算術に関する天与の才があると見ている。
素直にそう告げると、マークはちょっとばかり頬を赤くしペン軸の尻で頭を掻いた。
「んー。でもね、ロランさんがマークちゃん天才! って羨ましい理由は、算術だけじゃないって思うんですよ!」
「そうなのか? 他にどこが天才なんだ、お前。俺には分からんぞ」
「酷い言い草ですよー父さん、でも確かに私他に天才の所は無いですよ、変人ですけど!」
「……自覚があるなら改めないか?」
「娘の個性を摘み取っちゃだめですよ、父さん!」
彼は黙る事にした。口では絶対マークに敵わない。母親と黙されている女性は別に極端な口下手でも無いが決して口達者な訳でもなく、いったい誰に似たのかといつも首を傾げているのだった。
マークが突然現れたが、もはや慣れた事だ。彼女はロランの手元に残っている書類をさっさと半分奪い取った。つまり手伝うという意思表示だ。
「お父上の手伝いをしていると聞きましたが?」
「もう終わりました! あと少し残ってるのは父さんだけでできるから、さっさとロランさんを手伝って来いと言われたんですよ!」
「それは助かりますが……」
何故か不機嫌そうな軍師殿の顔が頭に浮かび、ロランは頭を軽く振った。どうしてそんな顔が思い浮かぶか分からないし、実際そんな顔をされた事は一度もないのだが。
先日マークを引っ張り込んだのとは別の天幕だ。大所帯ともなるとこうした物資の天幕も多く、ロランを足して十人と少しほどが数日かかりきりになってようやく終わりが見えてきた。
この駐屯地を引き払う時期が近いという印でもある。こうして在庫を確認し、最後の補給を済ませてから彼らはこの地を引き上げる。例の街に行く事も、もう無いだろう。
未確認の木箱を開き中身と書類を引き合わせる地味な仕事は淡々と進んだ。
マークの手際は、経理書類とは打って変わってごくごく普通だ。当初は何度か失敗もやらかしていたが、今やすっかり慣れたものだった。それでも時折警戒目線を送ってしまうのは、当初の失敗で直接大迷惑を被ったのがロランだったからだ。お陰で頻繁に会話する接点ができたとも言えるのだが。
一番の問題は彼女の根気だったが、自発的な行為からはあっさり遁走するが父親から命じられると彼女はそこそこ真面目に働いた。マークにとって父の言葉は絶対なのだろう。
マークの姿はやがて積み上げられた木箱の向こう側に消え、ロランもそちらに背を向け作業を続けた。だから声をかけられている事に最初気付かなかった。
「ロランさんー。聞いてます?」
「ああ、はい。何ですか」
「私ね、雑費について考えたんですよ。雑費。覚えてます?」
「ええ、まあ。あ、先日の買い物は雑費じゃ無くて私費という事にしましたから」
「えー、何でですかぁ!」
「特に必要なものでもありませんでしたからね。貴女のインク壺も今まで使っていたものは特に問題無く今も使っているとシンシアから聞きましたよ」
「ちぇー。……私費って、個人的なお小遣いって事ですよね?」
「そうですよ」
「これは何となく言葉の響きで分かりました! うーん、今まで知りませんでしたけどね」
「貴女は肝心な所がよく抜けていますね」
そう言い置き、ロランは少し配慮が無かったかと言い足した。
「記憶もありませんからね」
「ああ、じゃあそういう事で! んーと、それでですね。ロランさんってふつーじゃないですか」
「はあ? ……まあ、普通ですね。貴女ほど変わり者ではないです」
「天才でも無いですよね」
「……そう、ですね」