What's the name of the Game
フロントにわざわざ出迎えに出てきたのは、総支配人の名札をつけた老人だった。ロイは眼鏡の奥で目を瞠り、それから内心で知的特権階級という輩に唾棄する思いだった。実際に前線で泥と汗にまみれて戦う自分達の努力の上にのうのうとあぐらをかき、それだけでなく自分達を見下す位置に在って清爽としているその在り様に腹が立ってしょうがなかった。たとえそれが僻みだといわれようともだ。
「…こんにちは、でもエドワード様はやめてほしい」
エドワードは困ったように答えた。しかし鷹揚に応えるその態度は隠しようもなく上流階級のもの。…ロイとは違う。
「頼んでおいた部屋、大丈夫かな」
「ええ、勿論」
「じゃあ、三日間よろしく頼む」
エドワードは少年らしからぬ堂々とした態度で、しかし反面少年らしい飾りのなさでもって、ホテルマンとの受け答えを終えフロントへ向かう。その間ロイはロビーで待つよう告げられた。
わかったとせいぜい助教授らしく頷いて、彼はあたりを見回した。
政財界のトップ、文人のトップが好むという美しいホテルは、確かにあちこちが洗練されて美しかった。
「何かお飲み物でもお持ちいたしましょうか」
物も言わずあたりを見回していたら、先ほどの支配人が音もなく近寄ってきて、目配せしながらロイに尋ねた。睨んでいたのがばれてはいないだろうかと思いつつ、ロイは柔和な笑みを湛え、いや結構、と短く答えた。さようですか、と執事を思わせる老人は頷いたが、フロントで手続きをしているエドワードをちらりと一瞥した後、声のトーンを落として告げてきた。
「…お勤め、お疲れ様です」
「………」
彼の目は油断なく光っており、…ロイは、彼もまた少年の父親かあるいは大総統の息のかかった人間なのだと覚った。
そして覚ってしまえば取り繕うのも馬鹿馬鹿しい。ロイは、エドワードがまだ戻ってこないのを確かめながら、口角を歪めた。
「そちらこそ、私のような男にこのフロントを汚されて不愉快であろうに。難儀なことだな」
このホテルの「軍人嫌い」は有名な話だ。入り込もうとして拒否され、憲兵隊が出動する事態になったことまである。だがそれでも、軍権主義のこの国にあって珍しいことに、このホテルはその姿勢を曲げることがなかった。今も取り潰されることなく、固定客を守りながら営業を続けている。
ロイ自身はこのホテルに足を運んだことがなく、だから彼が断られたわけではなかったが、といって、それで感情が平らかになるものでもなかった。
しかし、支配人は皮肉るでもなく、微笑む。
「誤解があるようですが、私どもは青い服を皆忌避しているわけではありませんよ」
「ほう?では汗のにおいと軍靴の汚れかな」
「そのようなもの、ホテルマンたるものいちいち気にしていられますか」
支配人は楽しそうに笑った。ロイは何となく不機嫌になる。
「我々はお客様に誠心誠意、日常を忘れて寛いでくださるよう日々心がけております。ですからお客様にも最低限、日常を忘れるという一作業をして頂きたいだけなのです」
「………」
「お客様に対し、失礼が過ぎました。平にご容赦を」
エドワードがこちらに戻ってくる気配に、支配人は丁寧な辞儀一つ残して立ち去っていった。なんだか狐につままれたような思いのロイだった。
「…なにかあった?」
そして、きょとんと首を傾げる少年が一人。
どうも自分とは違う世界のものばかりだ、とロイは内心舌打ちしながら、なんでもないよ、と小さく笑った。せいぜい人の良い男の振りをして。
予約していた部屋に入る時からして、一応エドワードも何某かで多少の知識は学んでいたと見え、非常口の確認から室内の確認まで丁寧に行っていた。その仕種はロイから見てもそれなりのものであり、確かに素質だけなら彼にも警護が出来ないことはないだろう、と実際には思っていた。ほんの子供のようにしか見えない見掛けも、相手の油断を誘うという意味ではいいかもしれない。しかし、もしもその利点を生かすのなら、身辺警護よりも暗殺や尾行の方が向いているかもしれない。
そして少年のどう見ても素直すぎる性質は、そのどちらにも向いているとはとても思えなかった。それは警護にしても同じことなのだが。
「大丈夫だぜ」
中へ入るよう促され、ロイは、しかし、そういうった事柄にだけでなく溜息をこぼした。部屋があまりに広かったからだ。
「…どうかした?疲れた?」
「…いや。…広いなと思って」
どう考えてもその部屋はスイートだった。いや、控えめに言って、普通のツインやシングルではなかった。
「…普通だろ?」
あどけなく小首を傾げるさまからして、冗談ではないのだろう。ロイは嘆息し、彼が警護を筆頭とした特殊任務に向いていない点をもう一つ付け加えた。
――一般常識(的経済観念)に極めて劣る、と。
とりあえず…、リビングらしいスペースにて、ロイとエドワードは向かい合っていた。今は夕方には早く昼はとうに過ぎていて、そして二人は昼を食べ損なっていた。
「なあ、あんた何か食べる?」
「…いや、さほど腹は減っていないよ」
この調子ではホテル側はロイの敵とみなしてよい。その状況でそのホテルの出した食事を取るほど馬鹿ではないし、といって外に食事を取りに行くのも今さら面倒だった。どうせ今さら一食二食抜いたところで堪えるようなやわな体でもない。一食抜いたところでどうということもなかった。
しかし…。
きゅう、と小さく鳴ったのは向かいの人間の腹に違いなく。
「……」
少年の頬がさっと染まった。ロイはといえば一瞬言葉を失った後、ぷ、と小さく噴出してしまった。
「わ、わら、わらうなっ」
かあ、と顔を真っ赤にして少年が訴える。しかしロイはもう笑いが止まらず、ついにはテーブルに突っ伏して笑い転げる始末。
「笑うな、笑うなってば!」
「あ、い、いや…す、すまない、…そうか、君は育ち盛りだものな」
ロイは何とか笑いを引っ込めながら、すまないと口先だけでは詫びながらフォローをいれる。
「フロントに何か頼んだらどうだい? サンドウィッチでもなんでも」
「…っ! が、ガキ扱い…!」
「違うよ」
ロイは今度は苦笑して、軽く首を傾げ、少年を優しく見つめる。勿論半分以上が演技だ。
「君は私のガードなんだろう。腹を減らしていざという時戦えなかったら困るじゃないか」
言って、情けなさそうな顔で首をすくめる。
「何しろ私は腕力はからっきしでね。頼りにしているよ、エドワード」
そこまでダメ押しすれば、拗ねたようだった少年の顔が幾許かの照れは確かに残していたものの、少年らしく可愛らしく笑った。
ルームサービスのサンドイッチを結局は二人分取った。表向きの理由はごく自然なもので、客が二人だから。しかし真実を述べるなら、チキンとビーフで頭を悩ませていたエドワードのために他ならない。
どっちもうまい、と幸せそうな顔をするエドワードの向かいで、それはよかったとロイは人畜無害な笑みを浮かべる。そうしてたまにご相伴に預かる。全く手をつけないと、オレが食いしん坊のガキみたいだろ、と少年がむくれてしまうからだ。
…なんというか、大変手のかかる身辺警護様だ。
「…ところで、エドワード」
作品名:What's the name of the Game 作家名:スサ