十月革命
相も変わらず、背を向けたままの会長の顔色は窺えない。見えたところで心の中がわかるのかと問われれば、イエスとは言えないけれど。
「別に……」
ようやく開かれた口から紡がれた言葉は。
「あたしは怒っていないわよ」
「会長……」
「他のみんなは、そうはいかないだろうけど」
「そう、だな……」
心当たりしかない身としては、素直に頷くしかない。
「航……」
背中を向けたまま、ものすごく優しい声……胸を刺すほど優しい声で……
「あんたは、いつか、誰かを選ぶ。そして、巣立つの」
巣立つ……つぐみ寮からなのか、島からなのか、言葉の真意はわからない。一体、何から、巣立つのか。
「それが、たまたま今日だった。それが、静だった。それだけの、ことでしょ」
言葉を紡ぐその声は、やっぱり……
「おめでとう、航」
こんなに優しい声なのに、言葉なのに、どうして、容赦なく、チクチクと痛むのだろう。
全世界で初めてもらえた祝福の言葉……静に聞かせてやれないのが残念だけど、どうして、こんなにも。
「……行きなよ、航。扉を開けた時、あんたがいなかったら、静はきっと泣くよ。また引きこもっちゃうかも」
「あ、ああ……」
俺は、その言葉に従う。いや、その言葉を待っていたのかもしれない。得体のしれない、居心地の悪いこの空間から、逃げ出してしまいたい。
重い足取りで下りてきた石段を、また、重い足取りで上っていく。
「航……ありがと……」
一段一段、踏みしめる。惰性で上ることが惜しかったから。今はただ、きっとあるはずの突破口を1秒でも早く見つけたくて。さえちゃんの……最初に言われたこと、頬をぶたれた時の言葉を思い出す。静の……絶望した表情、俺を拒絶するという唯一にして最大の意思表示を思い出す。そして、会長の……会長……?
『おめでとう、星野くん』
「な、なお……っ」
咄嗟に振り向いた先に続くのは、果てしない階段。いや、階段は今日も明日も218段で、果てはあるし、ここは踊り場だから85段目だってわかっている。でも……
会長がいるであろう石段下は、もう、遠く、遠く、見えなかった。俺が、背を向けて歩き出したから。そこには、踏みしめてきた階段だけが、無情に、単調に並んでいた。俺はこの階段を、下りれない。進み出したから。ただ上り切るしかない。
『……行きなよ、航』
その言葉の意味を、今更噛み締めて、一歩、そして、また一歩。巣立っていく。
-Fin-