瑕 16 太古の森
抱きしめられて、その身体の熱さに俺も息が熱くなる。
いつも、こういう時、アーチャーは有無を言わさず押し倒してきてた。お仕置きだ、とかなんとか言って。
だけど、俺の話を聞いてくれる。気持ちに整理がつかないのを抑えこんで、不満をぶつけてはくるけど、無茶をしようとはしない。
アーチャーは優しくなった。あ、元々優しいんだけど、なんていうか、器が大きくなったっていうか……。
(そんなこと言ったら、今まで小さかったのかって怒りそうだけど……)
アーチャーの背中を撫でさする。
「ごめん、ほんとに、そんなつもりなかったんだけど、アーチャーに嫌な思い、させちまったんだな」
「ああ、嫌だった。カグツチに触れる士郎が、すごく……」
ぎゅう、と締めつけられるその息苦しさが少しうれしい。
「ごめんって」
「ああ、許す」
腕を緩めて、頬に触れたアーチャーの熱い手に顔を上げさせられる。
「許すが、今夜はサービスしてもらう」
鈍色の瞳に籠る熱が揺らめいている。
「はいはい、喜んで」
不機嫌だったアーチャーが笑う。
(この笑顔だけで、俺は十分だって)
サービスしろと言われなくても、アーチャーが笑ってくれるのなら、なんだってしますよ、ええもう、腰くらい砕けても。
「なー、アーチャー、痕、つけすぎって……」
「見えないところだ、問題ない」
「ここは、見えるだろ……」
手首の内側についた小さな赤い鬱血を指で押す。
「問題ない」
繰り返し言って、また胸に吸いついてきた。
(いくつつけたと思ってんだ、まったく……)
まるで、所有者の証みたいだ。牛とかが焼き印を押されるような……。
「そんなに不安かよ?」
「ああ、不安だな」
真っ直ぐに切り返されて、顔に熱が集まる。
(なんで俺が赤面してんだ……)
見たら引くほどのキスマークをつけるって意味が、俺にそこまで執着してるってうれしさが、どうしても気恥ずかしくなる。
俺の胸の上に赤い痕を散らすことに専念してるアーチャーの髪を撫でる。
(柔らかい……)
見た感じは硬そうだけど、触り心地は柔らかくて気持ちいい。髪だけじゃなく、こいつの肌もけっこう好きだ。乾いた肌も、汗で濡れた肌も、骨肉の盛り上がりも、筋肉の弾力も。
(掌とか指はもっと好きかな……)
他の肌とは違う感触。硬く厚く鍛えられた手指は、一番俺に触れるから。
(伝わればいいのに……、俺が、こんなにもお前に溺れてんだって……)
こんな痕なんてなくても、お前のものだって、どうやって証明すればいいんだろう?
「士郎?」
顎に口づけて、俺を見つめてくる。
「いいよ、見えても……」
頬に指先を触れて、撫でた。
「俺がアーチャーのものだって証なら、誰に見せてもいい」
驚きに満ちた鈍色の瞳。途端に破顔するアーチャーに、俺も笑った。
***
新月の夜、カグツチが迎えに来た。
「なあ、神使、衛宮士郎が浸っている間は、おれの相手をしろよ」
「なぜだ」
不機嫌に答えると、暇だろう、とカグツチは犬歯を見せて笑う。
「暇ではない。そんなことをしていると、士郎が集中できないだろう」
ムッとして答えると、つまらん、とカグツチは肩を落とした。
「では、行くぞ」
カグツチに連れられ、オレたちは一瞬で岩山へ至った。
「んじゃ、俺、行くわ」
士郎は岩の坂を登っていく。あの向こうには森がある。
士郎はそこで魂を癒す。
自身のメンテナンスをしろ、と、このカグツチに教えられたそうだ。
確かに、士郎の心は傷だらけだ。カグツチには感謝している。ただ、癒し方をカグツチに教えられたことが癪に障るというのは仕方がない。
士郎は森を眼下にして、風の神を放ち、自らは瞑想に入る。
神に仕えない士郎にはこういうことがやはり必要なのかもしれない。でなければ、その身は何者かの願いによって変えられてしまう可能性がある。
オレが士郎の身体を都合よく変えてしまったように、強い願いを発して、士郎になんらかの悪影響を及ぼしかねない。
願いくらいならいいが、強烈な殺意などというものであったら、どうすることもできない。
オレのように神使であれば、仕える神からなんらかの異常を知らされるが、士郎にはそれが無い。自分で気づかなければ、手遅れになってしまう。
士郎とともにこの磐座に在ることを望むのなら、オレも士郎以上に、そういう面をサポートしなければならない。
もう二度と失うわけにはいかない、いや、失えないのだ。士郎とでなければ、オレは“生きて”などいけないのだから……。
士郎が岩の坂を登りながら、風の神を放っていく。四つの風と何事かを話しながら見送っている。
その不思議な光景を見ていると笑みが漏れる。
ここにある森を見ただけで涙が溢れたという士郎の感受性は、人であった頃よりも豊かだと思う。オレには無理だ、森を見ただけで涙など出ない。
士郎の感覚は、この磐座に来てから鋭くなったようだ。危険を察知する、というものではなく、“そこにある何か”を感じる能力が際立ってきたように思える。
神々に愛されるのもそのせいかもしれない。感じる能力の高い“人”である士郎が、自身の意義を感じて接してくれるのだ、神にとってそれほどうれしいことはないはずだ。
(神々が士郎に甘いのもわかる……)
永久とも言える永い時を、人々の願いを浴びてきた神には、たくさんの懊悩が詰まっていることだろう。オレ自身がそうであったように、永い時間というのは、やはりどこかしら疲弊してしまうものだ。
それを士郎が感じてくれている、と、わかるのだろう。
その反面、士郎は自分自身を追い込みやすくもなったとも言える。とにかく自身を優先できず、傷つく方へと行ってしまう。
鋭くなった感覚は、自身すら傷つける抜き身の剣と変わらない。
(内包する剣を出しきってなお、剣を内側に作ってしまうとはな……)
よほど、衛宮士郎は剣が好きらしい。少々呆れてしまうのも否めない。
「衛宮士郎の魂は水晶と思えばいい」
カグツチが士郎の後ろ姿を見つめながら言う。
「水晶?」
「衛宮士郎には水晶も鏡も磨かねば曇ると言ったのだがな。硝子や鏡ではなく、あいつの魂はそれよりも堅い水晶だ。だが、無数の瑕に覆われている。堅いからこそ、強い。強いが瑕は消しようがない。だから磨け、と、おれは教えた。衛宮士郎の心は強いだろう? その強さは、水晶のようなもの。それでも、瑕がつく。お前という刃によってな」
こちらを振り向くカグツチの目は、その言葉とは違い、笑っている。
「お前に瑕をつけられて、また、癒されている。それが、どういうことかわかるか?」
揶揄するような笑みでカグツチは訊く。
「オレが傷つけていることなど、とうに知っている。今さら、それを責めたいのか」
ムッとして言うと、呆れた顔でカグツチは息を吐く。
「そうではない。はぁ……、衛宮士郎の苦労が絶えんのも、仕方がないな、お前のような朴念仁では」
「はあ? なんだと、貴様! 黙って聞いていれば、好き勝手を――」
「お前だけだ、ということだ」
目の前に指を突きつけられて口を噤む。