瑕 16 太古の森
カグツチに笑うと、片眉を上げて、そんなものか、と首を捻っていた。
夜になって、岩山でカグツチは火を焚いて暖を取ってくれる。なんにもないけど、キャンプファイヤーみたいでちょっと楽しい。
「なあ、カグツチ、火ってさ、箸みたいに細長く出せるものか?」
「細長く? こうか?」
指先に火を灯し、その火がすーっと上に伸びていく。
「おお、すごいな! んじゃあさ、そのまましといて。腕、ちょっと伸ばして……」
カグツチの手首を左手で掴み、真っ直ぐ上に伸びる火の棒に、風を螺旋に巡らせる。
ごおっ、と一気に火力が増した。
「なっ!」
「風は火を煽るからな。威力を増すには、相性がいい」
単純な話だけど、カグツチは目の前で手品を見せられた子供みたいに目を輝かせた。
「お前は、なんと、奇抜なことを……」
あとは言葉にならずに、羨望の眼差しで見つめられる。
「いや、こういうのは、誰でもわかると思うけど……」
曖昧にカグツチに笑って答えた。
「ありがとな、カグツチ。今度の新月に来てみる。満月とどっちがいいか、確かめてから決めるよ」
「ああ。それが、お前らしい」
頷きながら笑い、カグツチは俺を荒野に面した縁側まで連れて来て、瞬時に消えた。
「魂の浄化、か……」
確かに俺は、自分のことには無頓着だ。
アーチャーとここにいると決めた以上、カグツチの言う通り、自分のメンテナンスくらいはできないとダメだ。
俺がこの身を保てなくなると、またアーチャーを置いてっちまう。
今度こそ、本当にお別れだ。
(それは絶対に回避したい……)
回廊を歩きながら部屋に向かい、そんなことを考えつつ、顔を上げる。
「…………」
部屋に続く回廊に腕を組んだ仁王立ちで、苛立たしげに足を、たしたし、と踏み鳴らしているアーチャーが……待ってた……。
「…………アー……チャー……」
三日ぶりに顔を見た喜びは、その超絶不機嫌な眉間のシワによって一瞬で消え去り、足も止まる。
「士郎……、どこに行っていた……」
地を這うような声。
低い声がさらに低い。
肚から吐かれた呼気とともに凄まじく恐ろしい声になってる……。
「ハハハ……、ちょっと……」
これは、まずい。
カグツチの名前なんて出せば、即行、岩山に剣製しかねない。
「は、早かったんだな、予定なら、夜のはずじゃ……」
「早く帰ってくると、何か都合が悪いのか?」
完っ全に、何か勘ぐりすぎてる……。
(まずーい……)
これは、さらに火に油を注いでしまった感が……。
「あー……、うーん、えーっと……」
数歩の距離も怖くて詰められないし、微妙な距離を保ったまま、俺はため息をつくしかない。
「カグツチにちょっと、色々教えてもらってた」
正直に話す。
「そうか。あの岩山、ぶっ潰しておくか」
「こらこらこらこら!」
予想通りの展開に、慌ててアーチャーの腕を掴む。
「潰すな! あそこには、大事なものがいっぱいあんだから!」
「ほお? 大事なもの?」
びき、と錆色のこめかみに青筋が立つ。
あ、言葉が抜けた。
「い、磐座のな! 俺のじゃないぞ!」
「磐座の?」
「そ、そう、磐座の! あそこから禊の川の水が湧き出てるんだ。だから、潰したらダメだ」
鈍色の瞳が目の前にある。
詰められないと思ってた距離が、もうゼロだ。
目が合う。
(あー、もう、ダメだろ、いきなりこんな近く……)
腕を掴んでるだけじゃ足りない。
こんなに近くにいるのに、俺は何してるんだ。
早く抱きしめたい。だけど、きっかけがつかめない。
「士郎……キスを」
きっかけは、アーチャーがくれた。
「ぅん」
頷いて口づける。
途端に唇を割って侵入したアーチャーの舌が熱い。たやすく舌を絡め取られて、溢れた唾液が顎を伝う。
腰を引き寄せられ、抱き込まれて逃げられない。いや、逃げようとは思わないけど、息苦しさから身体がどうしても逃げを打つ。
熱いため息をこぼしながら僅かに唇が離れた。鈍色の瞳が熱く潤んでいる。
たぶん、俺も同じだろう。たった三日だってのに、俺たちはガキみたいに堪え性が無い。
「士郎に触れたくて仕方がなかった」
「うん、俺も早く、アーチャーにあっためてほしかった」
くす、と小さく笑ったアーチャーに、額をくっつける。
「おかえり、アーチャー」
「ああ。ただいま、士郎」
目が合うと、互いにおさまりきらないものを感じる。
「早く、部屋に戻ろう」
アーチャーの提案に頷く。
手を引かれて部屋へと向かう。その手がやけに汗ばんでるのは、まあ、そういうことなんだ、しようがない、俺も、アーチャーも。
背中から俺を抱きしめて、首筋に鼻先を擦り寄せて、時々、痛いほど首や肩に吸い付いて痕を残していくアーチャーは、まだ満足してないみたいだ。
その白銀の髪を撫でる。三日ぶりってのもあって、ちょっと俺も盛り上がってはいた……。アーチャーだけを、責めるのは間違いだけど、ダルい……。もうちょっと、手加減してほしかった……。
(急いで帰って来たんだろうな……)
だけど俺が留守で、きっとアーチャーはものすごくがっかりしたんだと思う。
その反動だろうから、やっぱり、アーチャーを責められないな、うん。
「大変だったか?」
「それほどでもない。宴会だからな」
「そっか。なんか、質問攻めにあってんじゃないかって、心配だったけど?」
英霊とはどんなものかとか、英霊は何をするものかとか、そんなアーチャーが答えにくい質問を山ほど受けたんじゃないかって、俺は心配だったんだ。
「ああ、何度も同じ質問を受けた」
「同じ質問?」
「衛宮士郎とは何者だ、と」
あれ? そっちか。
「なんだそれ。人崩れとかって答えたのか?」
「いや」
「じゃあ、なんて?」
「オレの伴侶だ、手を出すな、と」
へえ、そんな答え方があったのか。
ん? 伴侶?
「ハアっ?」
驚きどころか、怒りさえ湧いてきて、アーチャーを振り返る。
「なんだ」
「お、おま……、ど、どういう、神経、してんだ!」
「事実を言ったまでだ」
「いや、そ、そうだけど、なんてゆーか、もちょっと、オブラートに包むとか、あんだろ!」
「どいつも、こいつも、あわよくば士郎を、という魂胆がありありと見えたからな。先手を打った」
ブツブツと言いながら、その時のことを思い出したのか、アーチャーの顔つきが険しくなっていく。
「や、だからって、だな……」
額に手を当てて呻いた。
こいつは、なんだってこう、無駄に直球なんだ……。
「士郎は、そう思っていないのか?」
不貞腐れた声に苦笑する。
「んなわけないだろ。ただ、後々、いろいろ問題がさぁ……。スサノオの神使が男色とか言われたりするんだぞ……」
「事実だ。いっこうにかまわん」
こいつ、こういうとこは、ほんとに厚顔だな……。
「まあ、俺たちはな。けど、スサノオは――」
「事後承諾は得た」
「事後って……」
「かまうことはないと言ったぞ、スサノオは。士郎も覚悟を決めろ」
「そんなのとっくにあるって。っていうか、隠す気もないけど?」
アーチャーと向き合って頬を包む。
「ならば、問題ない」
満面の笑みで答えたアーチャーにキスで応えた。