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瑕 16 太古の森

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「伴侶かぁ……」
 言葉にしてみて、照れ臭くなってくる。
「おたあ、おたあ!」
 中庭の広縁の下にヒルコが顔を見せる。その天辺、頭みたいな部分を撫でると池に戻っていく。
 広縁にうつ伏せで寝そべって、池で遊ぶヒルコをぼんやりと眺める。
 ご飯を作りにいったアーチャーと、ここで待ち合わせだ。俺が起き上がれなかったから、ここで待ってろって言われて、部屋に置き去りにされた。
「お前がヤりすぎなんだろ」
 ブツブツと文句を垂れる。
 ほんとに容赦がないんだからなぁ、あいつ……。
 眠くなってくる。けっこう寝たと思ってたんだけど、やっぱり身体が疲れてるからか……。
 うとうと、としながら瞼が重くなってくる。
「士郎」
 呼ばれたのに、反応ができない。
 きしり、と床板の軋む音がする。
「士郎?」
 そっと頬に触れる指先。慎重に抱き起されて、あったかい腕に包まれる。
「おもう! おもう!」
 ヒルコがアーチャーを呼んでる。
「静かにしろ。士郎が起きる」
 窘める優しい小声。
 ああ、まあ、伴侶って……、そうだな、それしか、言いようがないか……。
 アーチャーの腕に抱かれたまま、全部を預けて、その言葉の響きを心地よく思った。




 飛び起きたアーチャーに、開ききらない目を擦りながら、顔を上げる。
「ん、なに、どした?」
「いや……」
 その表情は険しい。
 俺も身体を起こした。尋常じゃない、何かあったとわかる。
「アーチャー、何が――」
 訊こうとして、悪寒に襲われる。風が俺の身体を包んだ。
「士郎?」
 俺の様子に気づいたアーチャーが、そっと頬に触れた。
「な、なに……? なに、が……」
 皆目、言葉が出てこない。ガタガタと震えが止まらない。自分の身体を抱きしめるようにして、震えを抑えようとした。
 この悪寒は以前に感じたことがある。たしか、磐座の入り口で、俺の世界が広がった荒野で……。
「ふ、不浄、が……?」
 震えながらアーチャーに訊くと同時に、抱き寄せられた。
「ああ。どこから入りこんだか知らんが、不浄がこの磐座の中枢にまで迫っている」
 だからか、と納得してアーチャーに額を預ける。震えが少しおさまった。アーチャーの威力ってすごいな、と感心する。
「士郎、大丈夫か? オレには神気が流れているからなんともないが、士郎には――」
「平気。アーチャーがいるから」
 ふ、と笑ったアーチャーが、煽るな、と耳元で囁く。
 着替えを済ませ、まだ月が煌々と輝く中を本殿へと向かった。
 本殿にはすでに神様と神使が集まっている。
 俺に合わせていたからアーチャーが神使としては一番遅くなってしまった。
「衛宮士郎、大事ないか?」
 スサノオに訊かれて頷く。
 寒気はおさまらない。震えは少しはマシになったけど、ずっと冷たい刃をつきつけられてる気がする。どうしても視界の及ばない背後を気にしてしまう。
 そっと背中をさすってくれるアーチャーに甘えることにした。



***

 スサノオが不浄への対処を次々と指示している。神々と神使はそれに従い、それぞれに動き出す。
 ふと本殿を見渡して、オモダル・カシコネの姿がないことに気づく。はじめは上座のスサノオの脇にいたはずだが……。
 両名とも顔色が悪かった。もしかすると、あの二神にも不浄は天敵なのかもしれない。
 神格が上位なほど、不浄の影響が大きいということだろうか。
 それと、神格が全くない者にも不浄は毒のようだ。士郎の背中を撫でながら、その横顔を覗き込む。
 真っ青だ。震えが少しはおさまっているようだが、身体が冷たい。
「阿よ」
 山の神が薄物の上衣を差し出してきた。
「不浄にあてられておるのであろう。これは護摩焚きの灰を混ぜて染めたもの。少しばかりの助けになろう」
 そっと士郎の肩にその上衣をかけると、少し顔を上げた。
「あ、ありがと……」
 笑顔を見せた士郎に安心して、山の神は本殿を出ていった。
「楽になったのか?」
「ちょっとだけど、寒気がおさまった」
 上衣に袖を通しながら、士郎はこちらに笑みを返す。
 スサノオに呼ばれ、士郎をそこに残して上座へ向かう。
「そなたには、直に不浄を叩いてもらうぞ」
 声を潜めているのは士郎に聞かせたくないからだろうか。
「できるな?」
「無論だ。今回の不浄は、実体があるのか?」
「そうじゃ。以前のような靄ではない。心してかかれ、決してぬかるな。そなたに何かあれば、衛宮士郎がどうなるか、とは言わぬでもわかるな?」
「当たり前だ」
 負けるつもりなど毛頭ない。スサノオは納得したように頷く。
「衛宮士郎が言うておったな、そなたは、守ることに関しては、天下一と」
「買いかぶりすぎだ、まったく……」
「照れずともよい」
 スサノオが、くつくつ、と笑う。
「日輪が現れれば勝負じゃ。それまでは、荒野の前にて待っておればよい」
 指示を受け、頷いて上座を離れる。
 士郎の側に戻って片膝をつき、そのまま抱き上げた。
「ア、アーチャー? ちょっ、な、なに?」
「おとなしくしていろ。歩くのは難しいだろう」
「ちょっ……、恥ずかしいって!」
 小声で不満げに言う。
「なら、顔を埋めていろ」
「も……お前な……」
 諦めたのか、士郎は言われた通り、肩に顔を埋めた。
「アーチャー、さんきゅう」
 赤銅色の髪に口づけて応える。
「オモダルとカシコネの所にいろ。そこなら――」
「いい」
「士郎?」
「平気」
「だが……」
 士郎がしがみつくので、オモダル・カシコネの館へ向かいかけた足を荒野の方へ向ける。
「大丈夫なのか?」
 確認すると、士郎は顔を上げて笑った。



***

「なんっだよ、あれ……」
 荒野に現れたのは、黒っぽい、いや、赤黒い塊。
 爬虫類のような形態だけど、俊敏さには欠けるように思う。四足で尻尾があって、ナマズのように丸い頭で、亀裂が走ったような口の中はやはり赤黒くて……。
「不浄が実体化しおった。ようやく成体になったようじゃな」
 スサノオは呆れたように言う。
「衛宮士郎、震えがおさまったであろう?」
「あ、うん。ほんとだ」
 あの不浄の大きさに驚いていて、すっかり忘れてた。立ってるのもやっとだったのに、今は何ともない。
「成体になり、噴き出す不浄がおさまったのじゃ。成体になるまでは毬に足が生えておるような状態であった。その時は不浄をまき散らしておったのでな。そなたは、それにあてられておったのだ」
「そっか……。んで、成体になったら、なんていうか、皮膚に覆われて不浄が外に出なくなるとか、そういうこと?」
「いかにも」
 大きく頷くスサノオに、納得、と俺も頷く。
「で、どうするんだ?」
 あの大きさの不浄に焦ってもないスサノオに訊くと、
「叩く。阿よ」
 アーチャーに命じた。
「我の神気を欲しいだけ使え」
「了解した」
 短いやり取りで通じ合った主従に、不安が、じわり、と広がる。
(アーチャーなら、大丈夫だ……)
 負けはしない。負けを知らない英雄だったんだ。
 だけど……。
 これは俺の心の弱さだ。
 アーチャーは、あり得ない未来に不安など抱くなと言った。だから、こんな……、不安になんて、なってたらダメだ。
作品名:瑕 16 太古の森 作家名:さやけ