Theobroma ――南の島で1
奴、ほだされる、種明かし、そんな言葉が聞こえる。
「チョコレートもさ、もう、島の人間で作れっだろ。あいつ、いらねーし」
「……そうだな」
手が止まった。
今の声は……。
“あいつはいらない”に、答えた声は……。
その後に続く若者たちの声に、血の気が失せていった。
「けど、まあ、アーチャーがネタ晴らししたら、すぐだろ」
立っていられず、膝をついた。焙煎機の外した部品が床に落ちて派手な音を立てる。ついでに工具箱も倒してしまって、工具が散らばった。
外にいた若者たちが小屋の扉に近づく気配。
顔が上げられない。
「……シロウ?」
まさか、俺がいるとは思っていなかったんだろうな、驚いたアーチャーの声がする。
その声には、戸惑いが混じっていて、俺が聞いていたんじゃないかって……。
「焙煎機は、手入れしないと機嫌を損ねちゃうからさ」
「シロウ、その……」
「あ、っと、もう少し、休憩、して、て」
現地語でつっかえながら答えると、若者もアーチャーも出ていった。たぶん、アーチャーは俺が現地語を理解していないと思ってる。ずっと会話は英語だったから、たぶん、誤魔化せたはず……。
手入れの終わった焙煎機を組み立て、工具を持って浜辺の小屋へ戻る。
そのままベッドの側に膝をついて、頭を預けた。
「はは……、俺……、やっぱり、からかわれてたんだ……」
身体が震える。
嫌な記憶が一気によみがえる。
――ねえ、衛宮くん。
瞼を閉じて、キスをせがむ唇。それに、応えなきゃと思って、必死で応えた俺を写メって笑いものにした女の子たち。好きな女の子じゃなかったけど、俺を好きだって言って、だったらって付き合ったけど、それは、結局、俺を好きって気持ちじゃなくて、俺をイジるのが好きってだけで……。
「おんなじだ……、あの時と……」
ぼんやりと呟く。
だけど、あの時、彼女たちには恥ずかしさと、怒りしか湧かなかった。なのに、なんで今は……。
(胸が苦しい……)
俺をからかっていたアーチャーに対して、怒りとか、憤りとか、そういう感情が湧かない。
ただ、悲しくて、苦しい。
「あ……、そっか……」
俺は、アーチャーのことを好きになっていたのか……。
だから、悲しいんだ。
だから、本当じゃなかったって、苦しいんだ……。
「シロウ」
コンコン、と開いた扉をノックして、食事を持ったアーチャーが訪れた。
正直、顔を合わせたくない。
だけど、アーチャーは、疲れているのに俺の分まで食事を作ってくれているわけだし……。
「シロウ?」
小屋の奥のベッドの側でへたり込んでいるから、テーブルの陰になってアーチャーから見えないんだろう。腰を上げようとしていると、アーチャーが入ってきた。
「シロウ!」
駆け寄って、俺を立たせてくれる。
「シロウ、どうした? どこか、具合でも?」
この優しさが、嘘だなんて……。
「あ、ちょっと、疲れて、寝ちゃってただけ」
顔を上げられず、なんでもないんだと言ったけど、アーチャーは俺を支えながらテーブルまで連れて行ってくれる。
「ありがとう」
椅子に座って言うと、頭を撫でられる。
「無理をするな。シロウが倒れたりしては、カカオマスが作れなくなる」
「…………うん、そう……だな」
やっと顔を取り繕って、アーチャーを見上げると、額にキスを落とされた。
(この唇も、嘘なんだ……)
ぼんやりとそんなことを思った。
ベッドに入って眠れずに、何度も寝返る。
(今夜もアーチャーは浜辺にいるんだろうか……)
アーチャーは眠れないと言っていたけど、あれも嘘なのか……。
(あれも、俺を騙すための……)
ため息が漏れる。
突然の着信音に、びく、と跳び起きた。
(なんだろう? 遠坂からか?)
遠坂はカカオマス生産を急かしたりしないから、あり得ないだろうけど、催促の電話かもしれない、と携帯電話を取る。
聞こえてきたのは、今はあまり聞きたくない声だった。
『よう、衛宮。元気?』
「ああ、うん、元気だよ」
腐れ縁の間桐慎二だった。こいつも世界的商社の御曹司。同級生で遠坂とも腐れ縁。確かいろんな商品を取り扱っていて、今は慎二も自社の一部署を任されているとか言ってたけど、俺になんの用だろう?
『カカオマス、もうすぐできるんだって?』
「あ、ああ、そうだけど?」
『僕に任せてくれない?』
「は?」
いきなり何を言いだすかと思えば、カカオマス生産を買収するって話か。
「断る。俺は、誰の指図も受けない。カカオマスはこの島の権利だから、慎二の金儲けには一助もしない」
『か、金儲けだって? 衛宮、言葉には気をつけた方がいいよ!』
「気をつけるも何も、俺は慎二とビジネスをしているつもりはない」
『な! お、お前! 遠坂とはビジネスをして、僕とはしないって言うのか?』
「しないんじゃない。慎二とは、ビジネスの話をしたことがないって、言ってるだけだ。ビジネスなら、ちゃんと手順を踏んでから、改めて申し出てくれ」
『衛宮、いい気になるなよ! 遠坂が手を組んでくれるから、お前のくだらないチョコレート作りができるだけなんだぞ!』
「くだらない、だと! お前に俺のカカオマス生産をどうこう言われる筋合いはないだろ!」
しばらく言い合いを続け、最後に慎二は捨て台詞を吐いた。
『衛宮、あまり強情が過ぎると、後悔するよ』
電話を切って、携帯電話を握りしめ、怒りと憤りを鎮めることができなかった。
一週間後、慎二には何もできないと踏んでいた俺は、島に上陸した慎二に泡を喰った。
広場に集まった島民は、慎二の提示した賃金に納得して、カカオマス生産は慎二に奪われた。
「なんで!」
広場を後にして、悔しさを噛みしめる。
島の人は誰ひとり、俺に目もくれなかった。
今の倍の賃金で慎二が雇うと言えば、みんな喜んで受け入れていた姿が、やっぱりショックだった。
「アーチャーも……」
駆けていた足が止まる。
アーチャーも何も言わなかった。アーチャーだけは何か言ってくれると思っていたのに……。
俺のカカオマス生産に対する情熱を彼は知っていたはずなのに……。
「ああ、そっか……、嘘だったんだもんな……」
小屋に戻って、室内を片づける。
慎二が本国の政府に何か言ったらしいから、明日迎えが来るそうだ。たぶん、俺は国外退去だろう。
元々荷物はほとんどなかったし、リュック一つで事足りる。
段ボールに入ったカップ麺やレトルト食品は置いていこう。俺がいなくなれば誰かが食べるだろうし。
「久しぶりだなぁ……」
夜の浜辺は、あの日以来だ。
アーチャーが俺をからかってたんだって知った日以来。
それまでは毎夜アーチャーと会っていた。
キスをされて、抱きしめられる夜もあった。他愛ない話をすることもあれば、何も話すこともない夜もあった。触れ合うことなんてなくても、ただ、アーチャーが隣にいるってことだけでも、俺には十分だった。
「ああ、そうか、俺、ほんとに、好きだったんだな……」
今さら気づいても遅い。
いや、気づいたところで、どうなるわけでもない。
アーチャーは俺をからかっていただけで、全部が嘘だったんだ。
作品名:Theobroma ――南の島で1 作家名:さやけ