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Theobroma ――南の島で1

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 雲間から月が覗いたみたいだ。次第に水面を青い光が照らしていく。
「え……?」
 影が見える。人みたいな形。
(人……、こんな森の中で……、夜に、こんな誰もいない池で……)
 その姿を月明かりが浮き彫りにしていく。腰のあたりまで水に浸かって、濡れた肩が月に照らされて……。
 首だけを少し振り返ってこちらを見た横顔は、陰になっていてよく見えない。その身体のつくりから男の人だとわかった。
 だけど、その人は、とても美しかった。
 まるでギリシャ彫刻。
 まるでミケランジェロの絵画や彫刻のような……。
「あ……の……」
 言葉が何も浮かばなかった。
 夢見心地で頭がぼんやりしてしまっていた。
 ただ、こちらを見ているその人は、この島にいる若者だったろうかと記憶を辿ってみるだけだ。
 その人はすぐに水に潜ってしまって、そのまま姿が見えなくなった。すぐにまた顔を上げるだろうと思って待ってみたけど、月がまた雲に覆われたようで、暗くなったその池では俺の目はなんの役にも立たなかった。
「…………」
 幻だったのかと目を擦る。
 静まりかえった池。
 月も隠れて、もう光を射してはこない。
 時間を忘れた数秒。
 ほんの何秒かの出来事だったはずなのに、俺の目に焼き付いた姿。
「夢、かな……、俺、だいぶ、疲れてるのかな……」
 虫の声と、夜行性の鳥だか動物だかの声が遠くに聞こえる。
「は……」
 その場にへたり込んだ。挫いたらしい右足首が痛む。
 思いがけないものを見たからか、森の中に一人きりだという恐怖感が薄れた。
「朝まで待てば、ここがどこかもわかるのかな……」
 膝を抱えて、静かな池のほとりで、じっと動かずに夜を明かすことにした。


「士郎、僕はね、あの五年間が、人生で最も輝いていた時間だと思うんだ」
 養父は穏やかに笑っていた。
 寝床から身体を起こすのがやっとの病に侵された身体で、養父はよく縁側で語っていた。愛する人とカカオを植えた、エメラルドグリーンの海に囲まれた南の島の話を。
 夢を失い、愛する人も失った養父は、何かに縋るように俺を引き取った。
 別に、夢を継いでくれとか、そういうことを養父に言われた覚えはない。ただ養父は懐かしいと言って、島の話をするだけだった。
「僕のお古でいいなら、これをあげるよ」
 使いこんだ植物図鑑。
 学者じゃなかったけれど、養父は植物に詳しい人だった。図鑑に手書きで注釈を加えるほど、その知識は豊富だった。
 今もその図鑑は俺には必需品だ。持ち歩くには重量があるから、小屋に置いてきたけれど……。
「ん……」
 いつの間にか眠ってしまっていた。
「親父の夢、見ちゃったな……」
 弱気になっている証拠だ。俺はすぐに親父との思い出に逃げそうになる。
 辺りはすっかり明るくなっていた。
「さ、小屋に戻ろう」
 腰を上げると、右足首は夜よりも痛みが酷くなっている。だけどじっとしているわけにはいかない。地図を広げ、この池の位置を確認して、どうにか森を抜けることができた。
「早くカカオの木を調べたいのに、この足じゃ、しばらく動けないかぁ」
 足を引きずりながら小屋へ戻る。
 扉を開けると、部屋の中はめちゃくちゃだった。
「え……っと……」
 たいした物は置いていなかったからいい。だけど、図鑑と資料が破られていたのはショックだった。
「なんだよ……もう……」
 リュックを置いて、散らばった紙類を拾い集める。ご丁寧にも散々踏みつけてくれたみたいだ。
「俺、何かしたかな……」
 不覚にも涙が滲んでしまう。
 こんなことをされるようなことを俺はやったつもりはない。俺はこの島を買い取って、この島で俺の夢を……。
 だけど、それは、島の人には関係のない話だ。だから、俺は島の人たちと話しをしようとしていたんだけど……。
「よう、島の主さん」
 ノックもせずに扉を開けたのは、島の若者だった。
「あれ? なんだ、あんた、泣いてんの?」
 笑いながらそんなことを訊いてくる。
「こ、こんな、こと、し、しても、意味、ない、ぞ!」
 たどたどしい現地語で言って、声をかけてきた青年を追い出し、扉を閉める。
 複数の笑い声が聞こえた。
「バカにしたけりゃ、バカにしていればいい」
 俺の夢をすぐに理解してもらえるなんて、はじめから思っていない。持久戦の覚悟はできている。
 歯を喰いしばって、袖で涙を拭って、破れた図鑑の切れ端を集めた。



***

「日本人だってさ」
 さして興味なさげに幼馴染みのサグが言う。
「へえ」
 相槌を打ったのはトマ。漁さえできれば他はどうでもいい、という生粋の漁師の倅だ。
「日本人って、金持ちが多いんだっけ?」
 短いタバコを咥えてマハールが訊く。
「先進国ってやつだな」
 オレが言うと、
「その日本人が、何しに来るんだ?」
 おふくろさん特製のハーブ酒を飲みながら、ルーリーが疑問を浮かべる。
「さあ? 買ったらしいぜ、島を」
 ターグは情報通だ。いや、彼の母親が情報通なのか。彼女は四六時中、井戸端会議をしている。島のあらゆることを知っているといっても過言ではない。
「買った? どういうつもりだ?」
 ケーディが顔を顰めると、
「知らねぇよ」
 ターグはおれに言うな、とばかりに手を払う。
 オレたちがいつも集まる船小屋は、その日本人の話で持ちきりだった。
「まあ、この島に害になる以外、ないんじゃねーか?」
 マハールは紫煙を器用に輪っかにして吐いた。その言葉にみな頷く。
 確かに、島に来る外国人は、ロクな者がいなかった。その結論に至るのは当然の結果だ。
 島を踏み荒らしに来るのなら、どんなに金持ちでもさっさと出て行けばいいと、島民の意見は一致していた。
 数日後、この島を買ったという日本人がやってきて、オレたちは少なからず衝撃を受けた。そいつが見た目はオレたちよりも年下に見える、小柄な赤毛の男だったからだ。
「金持ちのやるこた、わっかんねえ」
 ケーディがこぼす。
 確かに。
 年下だと思っていたが、奴はオレと同い年、二十五歳らしい。船から下りてきた姿が学生に見え、本当に驚いた。
 見た目に驚いたのもさることながら、オレたちと変わらない歳で島を買う金を持っている、とは……。
 日本とはどれほど裕福な国なのか。
「なあ、アレ、やらねぇか?」
 マハールが言い出した。
「おう、いいねぇ」
 ケーディが嬉々として話に乗っている。おれもおれも、とマハールの話に乗る者が次々現れる。港で漁の後片づけをしていた島の青年たちは頷きあう。
 アレ、とは、島に何かしらの不利益を持ち込もうとする外国人を追い出す企みのことだ。
 ここは島人たちの島だ。他人にいいようにされるわけにはいかない。
 先進国へのやっかみと、自分たちが生まれ育ち、今も生きる島を買う、などという他所の国の若者の勝手な振る舞いが、島の若者たちに火をつけた。
「アーチャー、お前、どうする?」
 島の若者たちとは別れ、いつものメンバーと船小屋に入って水を飲んでいると、ケーディが訊いてくる。
 訊かずともわかるだろうに……。
「やるに決まっているだろう」
 オレの答えに、仲間は色めき立つ。
作品名:Theobroma ――南の島で1 作家名:さやけ