Theobroma ――南の島で1
「よっし! んじゃ、アーチャーがメインだな!」
「おい! どうしてオレがメインなんだ」
「アーチャーが適任だろ?」
船小屋の面々が一斉に頷く。仲間の意見は全員一致のようだ。
「なぜ、オレが……」
ため息をこぼすと、
「お前が一番うまいからだろ!」
マハールが肩に手を載せて笑う。
それは褒め言葉と取っていいのか?
「そうそう、アーチャーなら、そつなく、無理なく、バレずにできるって」
ケーディが調子よく言う。
「まったく……。はあ、わかった。オレがやる」
「さっすがアーチャー!」
「んじゃ、まず、一ヶ月から賭けるか?」
「そうだな」
そうやってオレたちは、島を買った日本人を追い出すことに決め、奴が根を上げる期間を賭けることにした。下馬評は三ヶ月が一番多い。一年などと長丁場を予想する者もいる。
「勘弁してくれ、一年も、オレがもちそうにない」
「ほんとだ! アーチャーには酷だよなぁ」
「けど、東洋人にウケるのはアーチャーだからなー」
そういう理由もあって、オレがメインになって奴と関わることになってしまった。
島の若者たちだけの一存で、島を買った日本人の小僧を追い出すため、痛い目を見せようと色々なことを謀った。他の島の人は知っていても見てみぬふりを決め込むつもりのようだ。誰も咎めない。まあ、みな、他人に勝手なことをされるのを快く思っていないのだから当然だろう。普段は優しく温かい島の人たちも、やはり、外から来る異物には厳しいのだ。
計画を実行するにあたり、オレはまず、奴の観察からはじめることにした。ある程度、奴の行動を把握しておく必要がある。
奴は島に着いて三日ほど広場に島の人を集めて、何事か説明しようとしていたが、島の人はそんなことに応じる暇も、その気もない。しかも、たどたどしい島の言葉など聞いているのも疲れる。
誰もいなくなった広場を後にして、奴は村長から与えられた小屋に戻っていった。
それから何をするのかと思っていたら、森に入っていった。
「あいつ、よく一人で森なんかに行くな……」
暇だからと、奴の観察をするオレに付き合っていたサグが呆れながら言う。
「ああ。道などない森に足を踏み入れるなど、馬鹿だな……」
オレも呆れつつサグに答える。
「探検でもしたくなったんじゃねーの?」
あくび交じりに言うサグとともに家に戻った。
夜、月が明るくて目が冴えてしまい、久しぶりに森の池へと向かう。
子供の頃は昼夜関係なく森の池に涼みに行ったりしたが、最近ではそういうこともしなくなった。
池は森の深奥にあり、いつもつるんでいるメンバーは面倒だと言ってあまり行きたがらないので、森の池に行くのはたいてい一人だ。若者の半数以上は既婚者でもあるし、二十歳を過ぎて森の池に行って涼もうなどと言いだす者は他にいない。
「こんなだから、サグにいつまでもガキだと言われるのか……」
歩き慣れた森。目を瞑っていても迷うことのない道なき森を歩きながら呟く。
サグは早く所帯を持てと言うが、その気になる女がいないのだから仕方がない。そういうサグとて、いまだ独り身だ。
男女関わらず島には独り身の者もいるのだから、別に結婚することが義務ではない。
ただサグは、口癖のようにいつも言う。
“お前は、なんだか心配だから”と。
サグに何を心配されているのかイマイチわからない。日常生活能力が欠けているとは思わないし、漁で不手際をした覚えもない。いったい何が心配だというのか。
そんなことを考えていると池に着いた。
服を脱ぎ、静かに池に入っていく。
「は……」
この池は湧き水のため冷たい。湿気と熱気に包まれた森を歩いて火照った身体を冷やしてくれる。
泳ぐわけでもなく、ただ水に身体を預けてぼんやりと空を見上げる。
池に遮られて、真上は木の枝葉がなく、ぽっかりと穴が開いたようになっている。
月は雲に隠れたようだ。
灰色の雲が風で流れるのが見える。上空は風が強いのだろう、またすぐに月光が射してくるはずだ。
ガサッ!
ザザザザッ……。
驚いて池の底に足をつく。
葉の擦れる音と、何かが滑る音、それと人の叫び声。
(誰だ? こんな夜中に。いや、オレもこんな夜中に水浴びなどしているが……)
息を潜めて様子を窺う。
声がする。島の言葉ではない。
(奴か……)
舌打ちしながら水から上がろうとした時、タイミングの悪いことに雲が流れて月が顔を出した。
僅かに振り返って確認する。やはり、奴だ。
すぐに月は雲に隠れ、あたりはまた暗闇に戻る。
音を立てずに静かに池から上がる。
(バレたか? いや、面と向かって話したことはない。オレを誰だと認識していないか……)
だが、用心に越したことはない。しばらく様子を見てみる。
気づいたかどうかも気になるが、森に迷い込んだ末に餓死などあまり気分が良くない。
しばらく池のほとりにいる奴を見張っていたが、池のほとりで座り込んだ奴はそのまま明るくなるまで待つことにしたようだ。
(まあ、賢明な判断だな)
それなりに状況判断のできる奴らしい。
あまり油断せず、オレも気を張って臨まなければならないと、あらためて気を引き締めた。
(しかし、気づいただろうか?)
まあ、オレだと気づいていたとしても問題はない。オレはまだ直接的に奴と関わっていないのだ。もし、気づいていて、ここにいたのかと問い詰められても、大きな物音がしたために驚いて逃げたのだ、ということにでもすればいい。
そんなことを考えながら家に戻った。
***
やぶれた図鑑をページ通りに挟んでいると、扉をノックする音がする。
どうせ島の若者たちだ。また俺をバカにしに来たんだろう。
無視していたら、扉を開けて入ってくる音がした。
ほんとに、もうちょっとマナーとか、そういうの、守ってほしい。
別に日本と同じにとは思わないけど、人の部屋に無断で入ってくるって、行くとこ行けば、射殺ものじゃないのか?
(南京錠とか持って来ればよかったな……)
ため息交じりに思う。
「何か、用?」
仕方がないから声をかけた。顔を向けずに、というか向けられずに、ひたすら俺は図鑑の修復に勤しんでいた。
「シロウ……、これを」
気遣わしい声に、何度か瞬いて顔を向ける。
生成りのシャツをラフに来た青年が布袋を持って、小屋の中ほどで立っている。
(誰だっけ?)
この島の若者は、いつも俺を遠巻きにして見ているだけだから、あんまり顔の判別がつくほど関わったことがない。というか、俺はまだ島民のほとんどと関わってない。
だけど、この青年の特徴的な容姿には見覚えがある。
島では見かけない白銀の髪。島の人の毛髪は黒か、亜麻色か、ブラウン系の髪色なのに、彼だけはびっくりするほどきれいな白銀だったから。
「あの、なに?」
青年は驚いたような顔で、椅子に座って身体を机に向けたままの俺を見ている。
じっと見ていると、青年は近づいてきた。
なんだろう? と思っていると、頬に触れてきた。
(え?)
何が起こっているのかわからない。
ただ、何かされるのかと思って、身を固くして、青年の鈍色の瞳を見ていた。
作品名:Theobroma ――南の島で1 作家名:さやけ