Theobroma ――南の島で1
「お前、馬鹿なのか?」
「は? え? バカって……」
「こんなものを一年も食べ続けるつもりか!」
アーチャーはなんだか怒っているみたいだ。
「信じられない。日本人は、なんて馬鹿なんだ……」
アーチャーはクレイジーだと連発する。
そんなにバカバカ言わなくても……。
「わかった。シロウの食事はオレが用意してやる」
「え?」
「いいな、朝夜、きちんと食わせてやる」
この島では、食事は一日二回なんだそうだ。朝と夜、レストランとかコンビニとかはないから、みんな自炊で……、って、アーチャーが食事を用意?
「い、いやいやいや、いいよ! そ、そんなの、そんな、迷惑かけられないし!」
「オレが、我慢がならないだけだ。さあ、食うぞ」
俺の言うことなんて、やっぱり聞かないで、アーチャーはカゴからいくつか皿を取り出した。
(あれ? このカゴって、漁の時に使ってるやつじゃ……)
生の魚の匂いがする。
(間違いない、このカゴは、獲った魚を入れるやつ……)
生臭い匂いに、やや引いていると、あったかい食事がテーブルに並べられていく。
強引なアーチャーに言われるがまま、それから毎日、食事を提供してもらうことになった。
足がよくなるまで森には入れないから、島を散策することにした。散策と言っても、森に大半が占められた島だから、そんなに広くはない。
島民の住んでいる居住地区には入りにくいので、港や浜辺を行って帰ってくるだけで散策は終わってしまった。
やることがなくなったので、植物図鑑を片手に浜辺で植物の観察をしてみたりもする。だけどそれも、大きな浜ではないからすぐに終わってしまう。
「は……、暇だなぁ……」
俺はカカオのことばかりで、他に趣味というものがないから、ホントに何もやることがない。
浜に残された朽ちかけの木舟に腰を下ろし、図鑑を開く。
「この葉っぱもあった。これも見た気がする……」
破られてシワになったページを慎重にめくりながら、森で見た木々や葉を思い出す。
「早く、森に入りたいんだけどな……」
ため息を吐いたところで、少し強い風が吹く。
「わっ!」
破れた図鑑のページが飛ばされてしまった。
「あ、わ、ちょっと、待って!」
風に飛ばされていく紙に待てとか無理だろうけど、つい言ってしまう。
右足を引きずりながら飛ばされていく紙を追いかける。だけど、追いつけるはずもなく、もう諦めようと思ったところで、誰かの脚に当たって紙が止まった。
「あ、あの、それ……」
島の誰かだと思っていたのは、アーチャーだった。
「大事なものか? 何かの、本? 破れている」
紙を拾って、アーチャーが首を傾げる。
(島の若い人がやったんだって、言った方がいいんだろうか?)
だけど、証拠はない。島の者のせいにされたら、アーチャーも気分が悪いだろう。
「あ、うん。もう、古いから」
適当に誤魔化して、アーチャーからそのページを受け取る。
「シロウは何をしている?」
「え? あ……、この足じゃ森に入れないから、島のことを知っておこうと……、ウロウロして……みて……」
「まさか、森に行こうとしているのか?」
「うん、だって、カカオの木は森にあるし」
「やめておけ。出られなくなるぞ」
「でも俺は、この島のカカオで、カカオマスを作るんだ。木の調査も必要だし、収穫には森に入らなきゃならないし、やめるわけにはいかない」
肩を竦めて呆れ顔のアーチャーに訴える。
きっとアーチャーには理解できないのだろう。危険な目に遭ってでも森に入ろうとする俺の気持ちが。
「はあ……。わかった」
「へ?」
「ならば、オレが案内してやる。それならいいだろう?」
「え……? あ、案内、って……」
「島の森はオレたちの遊び場だった。どこもかしこも知り尽くしている。案内くらいしてやる」
「でも、アーチャーは漁とか……」
「漁は夜明けに出て、日の高いうちに戻ってくる。それまで待っていろ」
「そ、そんな迷惑かけられないよ」
「ふらふら森に入って行方不明になられる方が迷惑だ」
きっぱり言われて俺は反論できなかった。
***
奴が島に来て一週間が過ぎた。
漁を終え、船小屋で例の首尾を聞くとはなしに聞いていた。
奴の小屋を荒し、持ち物を破壊する、というような表面的な嫌がらせは常道だろう。酷い痛手ではないにしても、まずまずの効果を得そうだ。
オレは知らなかったが、森に入った奴の後をつけて、目印を途中から奪った者がいたらしい。
おかげで、オレは森の池で奴と遭遇してしまったのだが……。
小屋を見張っていた者が言うには、明るくなってから奴は足を引きずりながら戻って来たらしい。
「そろそろアーチャーの頃合いだな」
トマが淡々と言う。トマはあまり乗り気ではないようだ。こいつは気が優しいから、奴が島の害となるとしても、心が咎めるのだろう。
だが、反対しないということは奴が島にいることを快く思ってはいない。トマは漁がつつがなくできればそれでいい、という考えだから、奴が何かして島が変わってしまうことを恐れている。
「ああ、そうだな」
ここからがオレの出番だ。奴の警戒心を解くために近づく。仲間が色々と手を出してくれている、それをダシにすれば問題なく近づける。
足を引きずっていたと言うし、ケガをしているのだろう。とりあえず薬などを持って小屋へと向かうか。
船小屋から家へ戻って、応急処置ができるものをひと通り持ち、浜辺の近くの小屋へ向かう。
奴は島の居住区とは離れた浜辺の近くの小屋に住んでいる。
扉の前に立ち、ノックするが返事がない。
「仕方がないな」
無断で入ることにした。遠慮することもない。いや、遠慮などしていては奴を追い出せない。
「何か、用?」
机に齧りつくようにして座っている奴は小さな声で問う。
小屋の中を荒らされたことにショックでも受けているようだ。
(ちょろいな……)
これは簡単に終わるかもしれない。確か、賭けは最短で一ヶ月だったか。オレは二ヶ月にしたのだが、ハズレたな。
まあ、オレもその方が楽でいい。
そんなことを考えながら薬の入った布袋を渡そうと声をかけた。
確か、名前は……、
「シロウ、これを」
奴がこちらを向いた。
(え……?)
目尻が赤く、少し腫れている。
(まさか、泣いて……? いや、こいつ、オレと同い年だろう? 二十五にもなって、泣くなど……)
信じられなくてじっとその顔を見てしまう。
「あの、なに?」
迷ったのは一瞬、これはチャンスだと判断した。
文句なしの信用を得られる。
近づき、オレたちよりも色の薄い、黄白色の頬にそっと触れ、目尻に口づける。
「どうした、何を泣いている?」
驚いていたこいつは急に泣きだした。
(まあ、酷い目に遭った後だ、優しくされると、誰でもそうなるだろう)
ただ、大粒の涙が幾つも落ちていくのを見ていると少し胸が痛んだ。こいつは、泣いているというのに、声を上げるわけではなく、涙ばかりを落として、声を殺して、嗚咽を飲もうと必死で……。
(くそっ、泣きやんでもらわないと、話が進まない……)
冷静になろうと、賭けのことばかりを頭に浮かべる。
作品名:Theobroma ――南の島で1 作家名:さやけ