Theobroma ――南の島で1
島の言葉では通じないようなので、英語で訊けば、涙を拭いながら笑顔を見せた。
たどたどしい島の言葉で礼を言われる。
(これで、オレを疑うことはないだろう)
足の手当てをして、少し話をしてさらに警戒心を削ぐ。
そうして、仕上げ。
こいつの頬にキスをした。
正直、男にするのは遠慮したいが、こいつを追い出すためだ。こんな手でも使えるのならなんでもいい。
それに、動揺したこいつは本当に面白い。
(からかいがいのある獲物だ)
仲間に知らせてやるために、船小屋へと足を向けた。
「容赦ないなぁ、アーチャー」
ケーディがにやにやと笑う。
「何がだ?」
「飯まで持ってってやってんだろ?」
「ああ。念には念を、と言うだろう?」
「うわー、かわいそー」
マハールが顔を歪めて言う。
「やろうと言い出したのは、お前だろうが」
「そうでしたー」
船小屋は相変わらず奴の話で持ちきりだった。
ただ、オレの知らないことがあって首を捻る。
嫌がらせは頻繁には行っていないようだが、無いわけではないのに、オレは全く気づかなかった。表だった嫌がらせはやめたのだと思っていた。
(奴は、隠しているのか……?)
嫌がらせを受けていることをオレには気づかれないように振る舞っているようだ。
(なんの意味があるのか?)
泣きついてでもくれば、慰めてやって、オレの信用度も上がるというのに、奴が何も言ってこないからそれもできない。オレはいつも仲間がやった悪事を事後報告で聞くばかりだ。
(なんのプライドだ?)
日本人はよくわからない、と首を捻るばかりだった。
***
「ついてる」
「え?」
俺の髪に指を差し込んで、アーチャーは何かを抓んだ。
「ほら」
目の前にそれを持ってくる。
カカオの花だ。幹にも枝にもあっちこっちに咲くから、カカオの木を巡っているとこの時期はだいたい花にまみれてしまう。
「ありがと」
「似合うな」
「は?」
ぽかん、としている間に、アーチャーは幹に咲いたカカオの花をぷちぷちと取っていく。
「あ! バカ! 取っちゃダメだ!」
慌てて止めると、なぜだ、と首を傾げるアーチャーは、俺の髪にカカオの花を挿す。
「ほら、似合う」
「なに、言って……っ!」
アーチャーは笑っている。
俺の頭に花を挿して、花が似合うとか言って、南国男はよくわからない。それに鼓動を跳ねさせている俺も、わけがわからない。
「ど、どれが実るかわからないんだから、むやみに取っちゃダメ」
アーチャーを軽く叱ると、そうか、と素直に頷く。
「不思議だな。こんなにいっぱい花が咲くのに、実るのは一部なんだもんな」
「Throw dirt enough and some will stick.(泥でもたくさん投げれば、少しはくっつくもの)」
「ん? 泥?」
「He that shoots oft at last shall hit the mark.(何発も撃つ者は、ついには的を射当てる)」
俺が首を傾げると、アーチャーは言い直した。
「ああ、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる? 何それ、アーチャー、変な言葉知ってるんだな」
「昔の仕事仲間に日本人がいた」
「教えてもらったんだ?」
「ああ。ダーツの下手な奴でな」
「はは、だからか!」
アーチャーと森を歩いてカカオの木を見て回る。
実が成って熟せば収穫ができるけど、今はまだ花の時期。なので、アーチャーに案内してもらってカカオの木の生育調査みたいなものをしている。
ずいぶん森には慣れて、迷うこともなくなった。
だけど、一人では危ないからって、アーチャーがいつもついてきてくれる。俺が島のために何かしようとしている、とアーチャーはまだ勘違いしているみたいだ。アーチャーは本当に島の未来のことを考えているんだな……。
もちろん、俺もそれに応えられるように努力は惜しまない。だけど、一年やそこらで結果の出ることじゃないから、それまで島の人たちが待ってくれるかどうかが不安だ。
「シロウ?」
呼ばれて顔を上げる。
「疲れたか?」
「あ、いや、なんでもないよ」
アーチャーはいつも気遣ってくれる。漁だって忙しいはずなのに、俺が森に行く時には、漁の後なのに付き合ってくれるし、食事も欠かさず持ってきてくれる。
(優しい人だな、とても……)
他の若者は俺には相変わらずだ。時々勝手に小屋の中を物色したりしてるんだろう。俺が持ってきたカップ麺がいくつか無くなっている時もある。
だけど、アーチャーだけは違う。俺に協力してくれるし、何かと世話を焼いてくれる。島の若者が俺に嫌がらせみたいなことをしていると知ったら嫌だろうから、アーチャーには島の若者とのトラブルは見せないようにしている。
図鑑を破られたりしたのはショックだったけど、図鑑や資料は持ち歩くようにしたし、小屋には生活用品しかない。荒らされても問題ない物しか置かないようにしたから、今は被害もほとんどないし、どうってことはない。
それよりも、アーチャーがそのことを知って、島の人とギクシャクするのを避けたい。
それにしても腑に落ちないのは、アーチャーが俺と同い年だということだ。
聞いてびっくりした。
だって、落ち着いてるし、思慮深いし、五つくらいは上だと思ってたから。
(それに、この体格差だって……)
アーチャーは逞しい、背も高い。
まあ、島の男の人はみんな逞しいんだよな。漁を主にこなすし、半自給自足な暮らしだし、そうなるのは当たり前か。
(なんなんだ……)
島育ちと日本育ちじゃ、同い年でも違うんだろうか。まあ、遺伝子からして違うんだからしようがないのかなぁ。
「あ、そうそう、初めて森に入った時に、迷っちゃってさ。池に辿り着いたんだ。そしたら、そこに人がいてさぁ」
見上げたアーチャーの眉間にシワが刻まれていた。
「アーチャー?」
どうしたんだろう?
袖を引くと、ハッとして俺を見る。
「アーチャー? どうかした?」
「シロウ、それは、見知った者だったか?」
「さあ、わかんないけど。俺の見間違いだと思う。たぶん、幻だったんだなぁ。俺、疲れてたし、ほんと数秒だったし。だけど、すごく、きれいな人でさ……」
カカオの木を見上げて、その姿を思い出す。
月光に照らされる濡れた身体が、いやに現実味を帯びていた。
だけど、数瞬で消えてしまったあの幻は、本当に、なんだったんだろう?
「あの時、真っ暗で、足も痛めてたし、怖くて、どうしようって、ほんと小さい子供みたいに泣きそうだったんだ。だけど、その人を見て、ああ、えっと、幻なんだけど、怖いのとか全部忘れられたんだ」
なんだか照れ臭くなってきて、アーチャーに笑顔を向けて誤魔化した。
「もう少し見ていたかったなぁ。ほんとに、きれいだったんだ。でも幻って、消えちゃうんだよなぁ……。あ、お、俺がこんなこと言ったの、内緒にしといてくれよな。島の人が聞いたら気味悪がるかもしれないし。でもさ、なんとなくさ、アーチャーに似てる気がし――」
それ以上声が出せなかった。
(アーチャー? なに、して……?)
口を塞がれていた。それも、アーチャーの口で。
「っ、やめっ、アーチャ、っ」
作品名:Theobroma ――南の島で1 作家名:さやけ