Theobroma ――南の島で1
だから、俺はここで世界に通用するカカオマスを作りたいんだ。
俺の養父が夢見た島で、俺も夢を見たい。身勝手かもしれないけど、島の人たちには迷惑かもしれないけど……。
村長さんの答えは、島民みんなで話し合うということだった。
俺もそれには賛成だ。話し合って、自分たちの未来を選んでもらいたい。
数日して、村長さんが俺の小屋を訪ねてきた。
島民の意見は賛成とのことで、全面的に俺に協力したい、と言ってくれた。
(よかった……)
俺の想いは通じたみたいだ。
コンコン、と開いた戸口に立つ姿を振り返る。
「アーチャー」
相変わらず、ノックと扉を開ける順序は間違っているけれど、にこり、と笑った顔にうれしくなる。
カカオマスの生産も軌道に乗ってきているし、着々と俺の夢は叶いつつある。
順風満帆っていうのかな、これ。
夕食を持ってきてくれたアーチャーが、皿をテーブルに置いていく。あい変わらず、魚の臭いのするカゴだけど、アーチャーの作ってくれるご飯はすごく美味しい。
「カカオマスの方はどうだ?」
「うん、順調。島の人たちも頑張ってくれるし、いいものが作れるよ」
「そうか」
一瞬、アーチャーの表情が曇ったように見えた。
「アーチャー、どうかした? 何かあったのか?」
「いや、少し疲れたのかもしれないな。慣れない作業で」
「あ……、そう、だな……」
アーチャーも島の若者たちも、カカオマス生産に携わっている。漁とは勝手の違うカカオマスの生産なんて、全くの畑違いだろう、疲れても仕方がない。その上に、アーチャーは俺に夕食まで作ってくれているし……。
「あの、む、無理しなくて、いいから、その、疲れてるんだし、俺のご飯とか、気にしなくていいから」
「オレが作らなければ、シロウは、あれを食べるのだろう?」
アーチャーはしかめっ面で、部屋の隅の段ボール箱を指す。
「あ、うん、だけど、アーチャーに無理なんて、させたら――」
「オレがやりたいだけだ。シロウが気にすることじゃない」
きっぱりとアーチャーは言い切る。
「……うん、ありがとう。お、お世話になり、ます」
ぺこり、と頭を下げる。
アーチャーには、けっこう頑固なところがある、ってことは最初の頃に知った。
腕を組んで、呆れたような顔で俺を見下ろして、
「シロウは放っておくと食事も忘れてしまう。気をつけろ」
そう言って、ぽん、と頭に手を置いてくる。
まるで子供にやるみたいな仕草に少しムッとするけど、とても心地がいい。
少しずつ知っていくこと。
少しずつ知られていくこと。
こんなふうに誰かと過ごしたことはなかった。家族である養父以外にこんなふうに過ごす人ができるなんて思ってもいなかった。
親父と血は繋がっていないから、他人と言えば他人だけど家族だった。でも、アーチャーは違う。家族じゃない。なのに、こんなに近くで、こんなに一緒に……。
頭に乗った手に荒く頭を撫でられる。
同い年なのに、なんだかアーチャーはお兄さんみたいだ。俺がアーチャーに比べると小さいからって、完全に子供扱いだし……。
(同い年なんだけどなぁ……)
そこは、体格差の所以なんだろうか、なんて、今さらどうしようもないことを思った。
「は……」
浜に出て、朽ちかけた木舟に腰を下ろすとため息が出た。
(お兄さん……、じゃあない、か……)
夕食時、お兄さんみたいだと思ったけど、やっぱり違和感がある。それは、二人で小屋にいる時と、夜になると顕著に表れることで……。
(アーチャーは……、ちょっと、なんていうか……)
スキンシップが……なんというか、多い……。それから……、近い。
目が合うと笑ってくれる。肩が触れると指に触れてくる。思わず見上げると、キスを……。
ぶわっと顔が熱くなった。
「な、なに、俺、なに考えて……っ」
心臓が、どくっ、どくっ、と大きく脈動する。耳まで熱くなる。
「わぁぁ……」
恥ずかしくなってきて、両手で耳を塞いで頭を抱えた。
不意に頭頂部を撫でられて、顔を少し上げる。
「あ……」
目の前でアーチャーがしゃがみこんで、俺を見上げている。ますます顔の熱が上がってしまう。
夜でよかった。たぶん、真っ赤だと思うから……。
それに、今夜は月夜じゃないから、顔色とかまではわからないはずだ。
「シロウ、どうした?」
頬を両手で包んで、じっと俺を見つめてくる。
約束をしたわけじゃないのに、アーチャーと毎夜、浜辺で会う。示し合わせるわけじゃない。昼間会う時も、夕食を食べている時も、じゃあ、また今夜、とかって約束をするわけじゃない。
なのに、いつのまにか、まるで習慣みたいに、ここでアーチャーと会う。
俺は、アーチャーに会うことを期待してここに来ている。最近それを自分自身で認めた。
(アーチャーは、どうなんだろう……?)
訊きたいけど、訊けない。
夜の浜辺で会うアーチャーは、昼間や夕食時に二人でいる時とも違う。別人みたいだ。
なんていうか、まるで、恋人みたいに接してくる。触れる回数も、触れ方も、昼間のそれと格段に違う。
「シロウ……」
額に口づけられて、身体が竦む。
なんだか、やけにアーチャーの唇が熱く感じる。瞑った瞼を舐められて、ますます首を引っ込めた。
くすり、と笑う息がかかって、恥ずかしさにまた顔が熱くなる。
「アーチャー、あの、っん!」
なんで? と訊く前に、アーチャーに口を塞がれた。熱い唇が全部忘れさせる。
抵抗もなくアーチャーのキスを受け入れて、その白銀の髪をそっと撫でた。
(似てる……)
あの池で見た幻と。
もしかしたら俺は、アーチャーの姿が印象深くて、あんな幻を見たのかもしれない……。
遠巻きにしている島の若者たちの中でひと際目を引く白銀の髪。俺を見ることもなかった鈍色の瞳。
名前も知らない若者たちの一人だと捉えていたのに、やっぱり、見た目の特異さって、印象に残るんだな……。
古い木舟に座る俺を砂浜に腰を下ろしたアーチャーが抱きしめる。俺の胸元に顔を埋めて、俺の脚の間に陣取って……。
「あの……」
何も言葉が浮かばなくて、アーチャーの白銀の髪を撫でていた。
***
夜の浜辺へと向かう。
夢遊病者のようにオレは毎夜、そこへ向かう。
奴に会うために……。
何をやっているのだろうか、オレは。
奴を追い出すために、オレは近づいたのだろう?
これは、その一環か?
朽ちかけた木舟に座る奴の前にしゃがむ。
こいつは頭を抱えている。
(何かあったのだろうか? あいつらがまた部屋を荒らしたのか?)
それをオレに言わず、こいつは抱えこんでいる。
嫌がらせをされているのだ、どうにかしてくれと言ってくると思っていた。
同じ島の人間なのだから、やめるように言ってくれと頼まれると思っていた。
だが、こいつは、ひと言も言わず、オレにそれを隠す。
どうしてだ?
なぜ、仲間の悪事をオレに隠す?
柔らかい赤銅色の髪をそっと撫でる。
「あ……」
驚いていた表情が、すぐに艶めいたものに変わる。
「シロウ、どうした?」
どうして、そんな表情を浮かべるのか。
作品名:Theobroma ――南の島で1 作家名:さやけ