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Theobroma ――南の島で2

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 サグにこれ以上話しても仕方のないことだ、シロウがオレを許すことなどあり得ないのだから……。
「……ああ、そうだ、なっ、づ!」
 濡れたシャツを着ようとしたところを足払いされ、船縁でしこたま背中を打った。
「ぃっつ……」
 サグを睨み上げると、目の前にしゃがんでくる。
 がし、とサグの手がオレの頭を掴み、そのまま力強く撫でられる。いや、撫でているというよりも、押さえつけているような感じだ。
「サグ!」
 手を除けろ、とその名を呼ぶ。
「あのさ、お前、もうちょっと、素直になんな」
「な、にを……」
「苦しい時に、苦しいって言わねーと、だぁれも気づいてくれねーだろ? お前の心が苦しんでんだから、お前は、ちゃんと応えてやんなきゃダメだろ?」
「なん、だ、それは……」
「おれたちに言って消えてく苦しさなら、いくらでも聞いてやるよ。けど、違うだろ? おれたちじゃ、どうにもできねぇから、お前、なんにも言えなくて苦しいんだろ?」
 サグはいったい何を言っているのだろう。
 サグは、オレの何を知って……?
「だったら、どうにかできる奴に言えばいい。お前が苦しいって言えば、そいつは必ず助けてくれるよ。お前、もう許されてる、っていうか、ハナっから許されてる、っての」
 サグは何を知っているんだ……。
 オレが何に拘っているのかを、オレが何を恐れているのかを、すべて知っているような口ぶりだ。
「オレ……、オレは……っ……」
「ほら、そういう顔、ちゃんとできんだからさ、お前の全部、受け止めてくれる奴に、ちゃーんと向き合え」
 オレはきっと情けない顔をしている。
 きっと、青臭いガキみたいな、きっと、一人が怖くて怯える子供のような……。
「サグ……、その……」
 立ち上がったサグは、網から魚を取る作業に戻った。
「おれ、お前のダチだろ」
「あ、ああ」
「だから、こんくらい、朝飯前」
 オレはきっと、こいつには一生頭が上がらないと、あらためて思った。



***

 遠坂グループが再びカカオマスを仕入れるという話になり、カカオマス生産はいよいよ軌道に乗りはじめた。
 だけど、質を落としはしない。
 今度は俺がしっかりと品質管理をしていく。
『慎二に売り込みを任せて正解だったな』
 カカオ豆の殻を剥きながら、ふ、と笑みが漏れる。
「どうした? シロウ?」
 トマが静かに訊いてくる。
「うん、カカオマスを作ることができて、うれしいなって」
「そうか」
 トマは腕のいい漁師だそうだ。なのに、カカオマス生産に賛成してくれる。それどころか、漁の終わった後や、漁のできない日も手伝ってくれる。
「悪いね。漁の方も大変なのに」
「おれたちの島が良い方へ行くのが一番だから」
 口数が少ないけれど、トマはとても島を愛してるんだってことがわかる。
「うん。俺も、そう思うよ」
 少しずつだけど、島の若い人とも、年配の人とも会話ができるようになった。唯一のネックだった女の人は、若い子はまだ苦手だけど、他の年代の女の人とは、なんとなく話すこともできるようになってきている。
(早く普通の会話くらいできるようにならないとな……。仕事をするにしても話せないことには、はじまらないんだから……)
 忙しくなってきたカカオマス生産に、島の人が関わる率が増えてきている。俺も変わらなきゃいけない。
(それから……)
 カカオマス生産に没頭して、俺は棚上げしていることがある。
 アーチャーとのことだ。
(終わりにしないと。それから、食事のことも、そろそろ断らないと……)
 この島にいる、それだけでいい。
 毎日じゃなくても、時々姿を見られるだけでいい。
 今は話をすることすら難しくても、いつか、時が経てば、笑い話で済ますことのできる日が来るかもしれない。
(あの頃は、あんなだったな……って……)
 いつか、なんの苦しさもなく話せる時が来ればいい。
(そんな日は来るんだろうか……)
 どうやったら、そんなふうになれるのかって、ずっと考えていた。


「シロウ!」
 小屋を乱暴に開けた声に驚いて振り返る。
 そろそろアーチャーが朝食を持って現れる頃合いだと思っていたから、予想もしない人物――サグが血相を変えて立っていることに面食らう。
「え……っと?」
「アーチャー、来てないか?」
「え? まだ、来てない、けど?」
 漁が終わってからアーチャーは俺に朝食を持ってきてくれるから、サグが現れたことに俺も首を傾げてしまう。
 どうして、アーチャーを探しているんだろう?
「そっか、悪い」
 そう言ってすぐに踵を返すサグを呼び止めた。
「ど、どうしたんだ? アーチャーが、どうかした?」
「いないんだ! 漁に出る時間になっても来ねーから、家に行ったら鍵が掛かってた!」
「え……」
 俺に言いながらサグは港の方へと駆けていった。
「アーチャーが……いない……?」
 呆然と、サグの言葉を繰り返した。
 この島に、アーチャーがいない。
 それは、どういうことだろう?
 アーチャーがこの島を出ていった?
 それって、もしかして、居づらくなったとか、か?
 俺に罪悪感を感じるだけじゃなくて、居心地の悪さまで感じはじめていたってことか?
(どうしよう……)
 アーチャーはこの島の人だ。島になくてはならない人だ。
 出ていくのなら、俺の方だ。
 アーチャーが居づらいのなら、俺が出ていかなきゃ。
 元々部外者なんだし、カカオマスの方は、今の慎二なら無茶はしないだろうし、俺は本国にいて、週に何日か通えば……。
「出てかなきゃなんないのは、俺の方……」
 だけど今は、先にアーチャーを探さなきゃ。
 俺が出て行くからってことを伝えて、アーチャーには島に戻ってもらわないと。
 すぐに俺も港へと向かった。

 島の若者だけじゃなく、島のお年寄りも女性陣も港に集まっている。
(アーチャーは、島のみんなに愛されているんだなぁ……)
 そういえば、アーチャーのご両親はどこだろう。会ったことがない。
「サグ」
 岸壁で海を見ていたサグに声をかけた。
「おう、シロウ」
「どう? 何か、わかった?」
「いんや。あいつ、なに考えてんだか……」
 途方に暮れたようにため息をこぼすサグに、おずおずと訊く。
「あ、あのさ、アーチャーのご両親って、来てる? 心配してるだろ?」
 サグが驚いたように眉を上げて、ああ、と息を吐いた。
「あいつさ、一人なんだ」
「え?」
 驚きで、ぽかん、としてしまった。
 苦笑したサグが、だから親はいないんだ、と言った。
 視線が落ちる。
(そっか……、アーチャーの両親はもういないのか……)
 俺も養父を亡くしたなぁ、と少し懐かしい姿を思い出した。
「シロウ?」
「え? あ、俺もだから、おんなじだなぁって、思っただけ」
「へえ? シロウも、ひとり?」
 頷くと、サグはしたり顔だ。その表情が、なぜだかうれしそうに見えた。
「とりあえずさ、シロウは仕事してな。あいつは、おれたちが探すから」
 ぽん、と肩に手を置かれて、頷くにとどまる。
 俺も探す、とは言えなかった。俺の情報網なんて、この島では皆無だ。なんにも役に立たない。
作品名:Theobroma ――南の島で2 作家名:さやけ