Theobroma ――南の島で2
(傍にいたいんだ……)
許されないとわかっているが、思うだけなら、いいだろう?
シロウに恐る恐る腕を回す。ずいぶん細く感じる。
(痩せたのか?)
元々細かったが、島にいた時は、もう少し厚みがあった気がするのに、またインスタントフードばかりを食べていたのだろうか、本当に不健康だ。
「シロウ……」
オレの頭を抱え込んだまま、シロウは眠っている。
「今……だけ……」
シロウの身体を抱きしめる。それだけで、体温が上がった。
(ああ、そうか……)
オレは、ずっとこうしたかったんだな……。
「そ、そろそろ、帰らないとさ」
首を振って否定した。
「もうすぐ年が明けちゃうだろ? 島のみんなも待ってるだろうし……」
「シ……、エミヤサンに許されるまでは、帰るわけにはいかない」
「だからさ……、それは、無理だって……」
「無理は承知だ」
「そんなこと言ってたら、あんたは一生島に帰れないよ」
一生……。
そうだな、シロウのすべてを失わせて……。
「なに、深刻な顔してんのさ。冗談だよ」
「冗……談……?」
「あんたが、あんまりしつこいから。ちょっとからかっただけ」
「オレは、真剣なんだ、からかうなどと……」
「あんたもやっただろ?」
ハッとして視線を落とした。
(そうだ、オレたちは、シロウをからかって……)
不意に頭を撫でてくる手に目を上げる。
「もう、しようがないなぁ、アーチャーは」
目の前で笑うシロウに、なんというか、力が抜けてしまった。
「負けたよ、許す。だから、アーチャーは島に帰る、な?」
それは、腑に落ちない。それではシロウが譲歩したような感じになっている。
「シロウ、そうではなくて、シロウも一緒に!」
「それはできないよ。間桐が生産権を持っているんだし、俺が島に入ることはできないからさ」
「それなのだが……。島のカカオマスは、もう、売れない」
「え……?」
トーサカリンのことを話し、もう島で作るカカオマスは信用を無くしたことを告げた。
「アーチャー、遠坂になに言われたか知らないけど、そんなの、もう一度いいものを作れば済む話だ。確かに信用は第一だけど、揺るぎない物があるんだから、それが武器になるだろ」
「武器……」
「アーチャー、今作ってるの、持ってたよな?」
「あ、ああ。一番最近の物だ。最近と言っても、三ヶ月前くらいだが」
シロウにカカオマスを手渡すと、ナイフを持ってきたシロウはその塊を削って味見をした。
「雑味が酷い、焙煎があまい、それに……、焙煎機の手入れ、してないな……。こりゃ、売れないわけだ」
シロウに教わった通りにやっていたカカオマスの生産は、物量に重きを置きはじめて管理も雑になっていった節がある。味が落ちるのも頷ける。
「ほんとに、しようがないな……。わかった。島に行くよ」
「え……?」
「立て直さなきゃ、こんなんじゃ、島が潰れてしまう」
「だが、仕事があるだろう?」
シロウは、ぷ、と吹き出す。
「見て、わかんないか?」
「何がだ?」
「俺、ずっと、ここにいるけど」
「え……」
そういえば、オレが寝込んでからずっとシロウはこの部屋にいる。
「し、仕事は……」
「一日休んだらクビだってさ。納得いかないから日割りで給料計算させてぶんどってやったよ」
シロウは笑っているが……。
「それは……」
オレが熱を出したからシロウは仕事を休んで看病をしてくれた、それがシロウの仕事を奪うことになってしまった、ということだ。
「すまない、事情を話して、解雇など、取り消して――」
「いいんだ」
立ち上がろうとしたオレの腕をシロウが掴む。
「元々、やりたい仕事じゃなかったし。いつまで続くかもわかんなかったんだ……」
「シロウ……、あ、いや、エ、エミヤサン」
慌てて言い直したが、シロウは怒るでもなく苦笑している。
「お金を貯めて、またチョコレート作りに携われたらなって、考えてたんだけど、あの島以上に魅力のある所って、浮かばなくてさ……。お金貯めても島に行けないんじゃ、って思ったら、工場で仕事してるのとか、バカらしくなってきたっていうか……さ」
「島に……帰ってきてくれ……」
「アーチャー?」
「そんなことなら、島で……、島にずっといればいい!」
シロウの手を両手で包み、項垂れる。
「帰ってきてくれ!」
傍にいてくれとは言えないから、せめて、島に居てくれと頼んだ。
「ん。だって、俺、他に行くところ、ないしさ」
シロウが案外すんなりと応じるので、顔を上げると、
「この部屋、社宅なんだ。出ないといけないから……」
「あ……、すまない……」
「なに謝ってんだよ? アーチャーのせいじゃないだろ? それに、あの島、俺の島なんだから」
イタズラ小僧のように笑うシロウに、少しだけ、笑い返すことができた。
シロウとともに島に戻り、船を下りると、若者たちが港に集まってきた。
そこにマトウも駆けてくる。尋常ではない様子を察し、シロウの前に出てマトウを捕まえ、その腕を後ろに捻り上げる。
『ぎゃー、いたたたたたたっ』
シラットをかじっていた手前、武術の心得もないような男を仕留めることなど朝飯前だ。
「ア、アーチャー! は、放していいって!」
慌てるシロウに止められて、マトウの腕を放す。
こいつは何をするかわからない。むやみに近づけない方がいいと思うのだが……。
『なんだよ、こいつぅ……』
腕をさすりながら、マトウは涙目でオレを睨む。見下してやると、マトウは腰が引けてはいたが身構えている。
『し、慎二、やめろって』
アーチャーも、とシロウがオレを宥めるので、ここは引いた。
『慎二、何か話があるのか?』
シロウがマトウに話しかけている。そんな奴に話すことなどないはずなのに、シロウは人が好い。
『衛宮、そのぅ……』
マトウは何か言おうとしているが、なかなか言葉が出ないようだ。
『俺は、品質を立て直すけど、慎二は何ができる?』
『え? 衛宮?』
『早く。時間が勿体ないんだ。焙煎機も手入れしたいし、豆の選別もはじめたい。さっさと言ってくれ』
『え、あ、う……、えっと……』
『慎二? 俺、時間ないって、言ってるんだけど?』
『あ、う、売り込み、なら、僕にもできる』
『本当か?』
『あ、当たり前だろ! 間桐家のネットワークを――』
『それはいい。そんなもの役に立たないから。独自のネットワーク、作り直してくれ。それで、これが、俺の作るカカオマスのアピールポイント。頭に叩き込んでおいてくれ。サンプルできたら世界中飛び回ってもらうからな!』
シロウは数枚の紙をマトウに渡し、すぐに焙煎小屋へと向かう。
『え、衛宮! こ、こんなの、専門的すぎて、』
『問答無用! 売り込む商品のことくらい、覚えろ!』
シロウとマトウが、彼らの母国語で何を話しているのか全く分からないが、何やらシロウに軍配が上がったようだ。
「アーチャー、日本、どうだった? カワイイ女の子とお知り合いになったのかよ?」
揶揄しながらマハールが寄ってくる。
「いや、そんな機会は、全くなかった」
「えっ? 日本まで行って、遊びもしなかったのか?」
「オレは遊びに行ったわけじゃないぞ。彼を連れ戻しに行っただけだ」
作品名:Theobroma ――南の島で2 作家名:さやけ