Theobroma ――南の島で2
「ふーん。せっかく追い出したのに、また連れて来るとか、お前、どんだけSだよー。もっと面白いこと考えついたのかぁ?」
「違う。彼は、この島の宝を作る人だ。追い出すことなどできるはずがない」
「は?」
「え?」
「アーチャー、どうしたんだ? お前、なんか、おかしいぞ?」
「島の宝って、なに言ってんだよ?」
島の若者たちはオレがシロウを連れ戻したことを、まだ、あのくだらない賭けの延長だと思っている。
「これから説明する、……ああ、島の全員に話した方がいいな。村長のところに行こう」
若い連中だけではなく、島民すべてに説明した方がいいと判断した。
広場に集まった島民に、シロウの作るカカオマスの価値と、この島の行く末について一つの提案をした。
はじめは胡散臭そうな顔で聞いていた者も島の未来の話となると、そうそう適当に流せなくなる。人口が減り、島で生まれた若者でさえ根付かないこの島の未来は先細っていくばかりだと、長老方や親世代は常日頃から話している。
オレたちがシロウの指導の下で作ったカカオマスが世界に通用することは実証済みだ。何しろあの時は、納期が遅れていても必ず買い取られていたのだから。
その後、生産量を増やすために粗悪品になってしまい、今では見向きもされないカカオマスになってしまったが、その失敗を巻き返すためにシロウが戻ってきたことを説明すれば、島民たちの顔にも輝きが戻る。
「そんなに上手くいくのかよー?」
最後方で話を聞いていたターグが声を上げるが、オレは毅然と答えた。
「オレたちが上手くいかせるようにするんだ。上手くいくか、それともこのまま島がさびれていくか、それは、オレたち次第だと思うぞ」
この島は、オレたちの島だ。
たとえ、シロウが買い取った島だとしても、これからもここに住み、生きていくオレたちが守っていかなくてどうする。
「島の者の手でこの島を守るのが筋というものだと、オレは思う」
揶揄するのかと思っていたターグたちは、肩を竦めて笑い出す。
「仕方ねぇな! アーチャーがそう言うんなら、やらないわけにいかねーよ!」
若い連中がそう言えば、年寄りも女子供も、ほとんどの島民が賛同した。
島を担うオレたちが動き出せば、島は動く。
ただ、成功はいつになるかはわからない。信用を失ったカカオマスが売れず、島は困窮するかもしれない。
だが、オレはシロウを信じることにした。
この島にすべてを賭けた、シロウの夢を。
シロウが島に戻り、カカオマス生産は再び稼働を始めた。
カカオマスはいつでも納入できる状態にまでなっている。
あとは、販路だ。
そこはマトウにかかっているのだが、どうなっただろうか。
マトウは、あちこち飛び回ってきて島のカカオマスを売り込み、やっと今朝、島に戻ったところだ。
マトウの家に呼ばれたシロウが何やら打合せをしていたらしいので、少しは買い手が見つかったのだろう。
一歩ずつでいい、少しずつでいい。
今までが恵まれていたのだ。
本来なら、これが最初にオレたちが味わうビジネスの苦さのはず。焦ることはない。シロウの指導の下で作るカカオマスは一級品だ。オレたちはそれを作っているという自負を持って待つしかない。
陽が高く昇った頃、漁の後片づけをしていると、見覚えのあるクルーザーが港に着いた。
(何か……、嫌な予感がする……)
船から港に下り立つ者の姿に、心の底から深いため息が漏れた。
オレに気づいた様子で、足取りも軽くこちらに向かってくる。
「まーったく、ほんとに連れて戻っちゃうなんて!」
トーサカリンがまた島に来た。
嫌な予感は的中した。
彼女はオレの天敵だと思う。
なぜだか、本能で彼女を忌避したい衝動に駆られる。
「久しぶりね、アーチャー。日本はどうだった?」
「……まあ、寒かった」
「でしょうねぇ。あーんな薄着で冬の日本に行くとか、チャレンジャーよねぇ」
「……っく…………」
三日月型に目を細め、笑いを含んで言う彼女に言葉が浮かばない。
(悪魔のような女だな……)
悪態は心の中に押し留めておく。それを耳に拾えば、彼女はさらに凶悪さを見せるだろうから……。
「シロウは、どこかしら?」
キョロキョロと港を見渡して、彼女はシロウを探している。
「シロウなら……」
教えようとして彼女の言葉を思い出す。
“シロウをこの島に埋もれさせたりはしない”と彼女は宣言していた。
(もしや……)
シロウをどこかに連れて行くのではないかと気が気ではなくなる。
「んー、港にはいないのかしらー。……で? 許してもらったの?」
彼女は日傘をさして、手で顔を扇ぎながらこちらに目を向ける。
「…………」
許してもらったとは言い難い。譲歩してくれた、というべきだろう。
答えずにいると、
「なによ、まだなの? そりゃそうよねー。存分に、過去のトラウマ、抉ってくれたんだから」
彼女は勝手に察したようだ。ムッとするが、何も言い返せない。
「でも、よかったじゃない」
落ちていた視線を上げると、彼女は微笑んでいる。
「シロウは帰ってきた。ここにいるなら、いつだって話す機会があるでしょ? 何度でも謝ることができるじゃない」
意外にも励まされた。
「……あ、ああ、そうだな」
「元気、出しなさいよっ!」
「っ!」
けっこうな強さで背中を叩かれた。不意打ちにもほどがある。激励ならもう少し優しくしてほしいものだが……。
「……っ、と、ところで、君は、何をしに、来た」
呼吸が戻らず、うまく話せない。
「ビジネスよ!」
「ビ、ビジネス? まさか、島をどうこうという話か」
「そーんなわけないでしょ。私は土地転がしじゃないのよ。カカオマスの仕入れ交渉よ。間桐と取引をしに来たの。今日、島に戻るって連絡を貰っていたから」
「そ、そうか……」
ほっとした。
シロウを連れて行くだとか、島をどうこうするだとかではなかったようだ。
「あ、そうだ。シロウから聞いたんだけど、料理、上手なんでしょ? 今夜、食べさせてね」
「あ、ああ、かまわないが」
「それじゃ、士郎の小屋に、私の分もお願いね」
そう言って、彼女は数人の部下とともに、マトウの家へと向かった。
***
慎二とカカオマスの仕入れ交渉をするために島に来た遠坂と夕食をともにして、彼女をクルーザーまで見送る前に、砂浜に出た。
朽ちかけの木舟に並んで座り、しばらく波の音を聞いていると、肩にかかった黒い髪を払いながら遠坂は口を開く。
「ねえ、士郎、どうして、戻ったの?」
「え? こ、この島は、俺の、島だし……」
「ぜーんぜん、そんなこと思ってないくせに」
「なに言ってるんだよ、遠坂。俺、この島の所有者だぞ」
「だけど、あんたがここを買ったのは、この島がさびれちゃうのが嫌だったからでしょ? 所有者なんて、無理しなさんな。あんたが慎二みたいに、島を持ってることを自慢するような奴じゃないってことくらい知ってるわよ。
本国からも見捨てられそうな、売りに出されたあんたの夢の島を、黙って見過ごすことができなかったんでしょ? 無理して家まで処分して、全財産を投じるとか、ほんと、どうかしてるわよ」
作品名:Theobroma ――南の島で2 作家名:さやけ