青の洞窟
「―――取り逃がしたと?そのようなことをよくぞ、報告できるものだ」
冷ややかに声を放ちながら、目の前のシャカを叱責する。あれから二週間ほど瞑想の間に篭っていたが、そこから出ると、ほどなくしてシャカが報告に訪れた。顔色が優れぬシャカがほんの少し気がかりであったが、そのことは微塵にも感じさせぬように威厳ある教皇を演じてみせた。
「申し訳ございません」
「だが、その正体くらいは掴んだであろう?」
シャカはきっと『私の名』を『教皇』に明かすだろう。隠し立てや後ろ暗いことなど無縁なはずの男だから。
明かしたからとて、どうこうしようという気持ちはなかった。
あの夜、私の後を追うことなどしなかったシャカ。その時にすでに答えは出ていたのだ。私の犯した罪を背負うものなど、やはりこの世界には誰もいない・・・。
シャカは賢明な選択をしたのだから、今も賢明に答えるだろう。
それでいいのだと諦めにも似た思いで再び問いかける。
「亡霊の正体は?」
「・・・・・わかりません」
『ジェミニの聖闘士、サガ』そう返されるとばかりに思っていたために、思わず耳を疑った。
「今、何と申した?」
『教皇』に虚偽の報告をした場合、下手をすれば死罪にも等しい刑罰が科せられる。そのことをわかった上でシャカが偽ったとすれば、それは・・・。
「暗き闇に紛れ込んだ亡霊は亡霊でしかなく、その正体など掴めるものではございませんでした」
きっぱりと言い切るシャカ。嘘でさえも真とするほどの言霊の威力があるのではないかと思えるほどであった。
「嘘を申せば、そなたもわかっておろう?」
「今申し上げたことが真実。害を為す亡霊などではございません」
「捨て置け、と言うのか?」
「少なくとも私ならば」
「ほぅ・・・・」
こつこつと指先で仮面を突き、顎のあたりをなぞりながら、その仮面の奥でじっとシャカの白い貌を見つめた。どういうつもりなのか、その真意が測りかねた。『サガ』の罪を背負う勇気はなくとも、『サガ』には同情しているのだろうか?そんな疑念にかられた。
「もうよい、下がれ」
掌を返し、合図を送ると切り取られた石壁から虚ろに注ぐ光に視線を向けた。寒々しい光だとぼんやり思い、すでにシャカのことから意識は遠退いていた。シャカは無言のままの拒絶を受けて、くるりと背を向け、まっすぐに背筋を伸ばすと教皇の間を後にしようとした。
「・・・・何か言い忘れたことでもあるのか?」
ふと視線を感じて、現実に引き戻る。、虚ろな光からシャカへと視線を向けた。
シャカは教皇の間の中央あたりで立ち止まり、振り返っていた。
「あ・・・」
思わず毀れ出た感嘆の息。
その後は息をすることさえも、瞬きすることさえも忘れた。
ここが聖域で教皇の間だということさえも幻のように思えるほどの錯覚に陥った。
―――すべてが青に染まる洞窟が無限に広がる・・・
その青さに心奪われ、その輝きを求めて、
ふらふらと波間を彷徨い泳ぐように青い光の根源へと近づき、手を伸ばす―――。
あと僅かで触れかけたその瞬間、幻は夜露のように掻き消えた。
その後に残ったものは・・・すべてを見透かしているかのような双眸。
澄んだ青い瞳が目の前にあった。
「―――亡霊は・・・ずっと亡霊であり続けねばならぬのでしょうか?だとしたら、私は・・・その御霊が安らかであるように見守ることしかできないのです―――サガ」
搾り出すように掠れたシャカの声が耳に届いた時、眩暈のような衝撃を受けてそっと瞳を閉じる。 すべての力が抜けたように、膝をつくとおずおずと伸ばされたシャカの腕に引き寄せられて、そのまま身を任せた。シャカの身体に傾かせ、小刻みに震えながら、その細い腰に手を回し、しがみついた。
「私は・・・見守ることしか・・・できないのです・・・」
しずかの海のような声。
シャカはしがみつく私の頭をそうっと何度も何度も優しく、哀しく、撫で続けた――。
暗闇の中で見つけたのは
淡く広がる青の世界。
青く輝く美しい檻は
私を永遠に閉じ込める・・・
fin.