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ハルシオンの夜

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 とても成人した男のように見えない様子の綱吉は、雲雀が勢いよくカーテンを開けた事に驚いたのか、持っているグラスを、中身が零れそうな位盛大に揺らして、間抜けな声を出して顔を上げる。大きな琥珀色の瞳がさらに見開かれて、雲雀を捉えた。
「もう寝るところだったんですよ、なのにノックもなしに突然現れたらびっくりするでしょ」
「……修行が足りない証拠だね。赤ん坊によく言っておかないと」
 雲雀の言葉に、綱吉の常よりも溶けたような色を湛える瞳が、揺らめいた。
「ひー! リボーンなら本気で何かするんでやめて下さい」
 身の内に染みついている、家庭教師からの修行という名の暴力の数々を思い出してか、一度小さく身を震わせた綱吉は、ぶるぶると首を横に振る。その動きに合わせて、グラスがカランカランと音を立てた。
「寝酒かい? 珍しいね」
「最近働き詰めだから休んでくださいって、獄寺君に無理やり部屋に押し込まれまして。せっかくだから寝ようとがんばってみたんですが、ここのところ徹夜続きで夜遅いのに慣れちゃったのか、ちっとも眠れないんです。だから仕方なく……」
 少し照れたように、隠しきれない疲労を滲ませて笑みながら、綱吉はグラスを雲雀に見せるように掲げて軽く揺らす。氷と琥珀色をした液体は、綱吉の手の動きに合わせて音を立て、ベッドサイドに置かれた、日の出前の空の様な光を発するランプの光を、キラキラと中側だけで反射させた。
 雲雀がグラスから綱吉に視線を移せば、普段はティーンエイジャーに間違えられてしまう幼い顔は、改めて見れば見る程に、まるで病人の様であった。酒を飲んでいるにも関わらず、あまり赤みの差さない血色の悪い頬。目の下に浮かんでいる隈にも、根深い疲労を感じる。

 綱吉は元々の性質か家庭教師に無理やり馴らされたのか、案外酒に強い。雲雀と綱吉が共に酒を飲む事など滅多にないのだが、疾うの昔に未成年である事に目を瞑って、酒を飲み交わす仲となったリボーンと呑んでいると、赤ん坊に用があってその場に現れ、そのまま引きずりこまれたり、リボーンに呼び出されたりして、共に呑む機会はあった。そんな時綱吉は、強いだの辛いだのと文句を言って顔を歪めていたが、それでも酔うどころか、琥珀色の瞳にアルコールの影を見せることすらなかった。
 その綱吉が眠れないと言って、酔えもしないアルコールに逃げているのだから、彼の疲労は、心労は、ギリギリの位置にまで来てしまっているのだろう。
「君の事だから、どうせ赤ん坊の用意した上等の酒を飲んでいるのだろう? 僕にもよこしなよ」
 綱吉の小さな体には広すぎる、キングサイズのベッドに雲雀は腰かけた。まるで部屋の主であるかのような落ち着いた態度で足を組みながら答えれば、綱吉はくすくすと笑って、一人より二人で呑んだ方が楽しいですねと言って頷く。

「俺が呑んでるのはカクテルなんですが、雲雀さんもそうします?」
「カクテルって……何?」
 カーテンに仕切られて、ベッドを領土とした小部屋とかした空間には、アーモンドに似た甘い香りが満ちている。
「ゴッド・ファーザー」
「……わお」
「山本が言いだしたんですよ! ツナにぴったしのがあるぜって。そしたら獄寺君が作り方教えてくれて、リボーンが面白がってウィスキーとか部屋に置いてったんです。せっかくだから作ってみたら気にいって……」
 綱吉の言葉は、徐々に小さく不明瞭になっていく。
「迷ってしまった時に、独りで呑む事にしてるんです」
 囁きの声量で、ただ、自分に意味を確認させるためなのだろう。最後に呟かれた言葉は、五感が優れ、聴覚においても人よりもかなり性能のよいものを持つ雲雀には届いてしまった。
 だがその言葉を追求するという、きっと綱吉の右腕と親友ならやってしまう行為を、雲雀は犯したりはしない。
 本人がそれを、自分の場に立つ為の儀式と割り切っていられるのならば、わざわざそこをほじくり返し、身の内の毒素を吐き出させるような真似をする必要はない。雲雀はわざわざそんな事をしてやろうとは思わない。優しさという感情からの行為は、独りで足掻いて、毒素を飲み下そうとしている者にとって、時に暴力にしかならないという事を、雲雀は知っている。
 だから雲雀は、綱吉の呑みこもうとしている毒素に、闇に気付いていても、何時もどおり飄々としてみせる。そして自分の事だけを考えている様な顔をしてただ、ウィスキーは何? と聞いてみるのだ。
「ゴッド・ファーザーはあまり好きじゃない。名前ばかり厳ついくせに甘ったるいからね。……まるで君みたいだ」
 綱吉が大きな瞳をますます見開いて小さく息をのむ気配がしたが、雲雀は気付かない振りをした。酒を呑む事だけで現状を受け入れられているうちは、何も心配はない。雲雀が手を出す必要はない。
 綱吉の手の中で、グラスに付いた水滴が落ちて、ベッドカバーに小さな染みを作った。
「えーっと……」
 名を出された最高級のウィスキーの名に、雲雀はわおと呟く。
「そんな酒、カクテルに使うなんて君くらいだ。普通は大切にしまいこんで、ちびちび舐めるみたいに呑むみたいだよ」
 言えば綱吉は、手にしたグラスをライトに透かせるように見つめる。
「さすがリボーン、何においても一級品を持ってくるんだ。……そういえば雲雀さん日本酒専門ですよね? なんでウィスキーなんて知ってるんですか?」
「ああ、前に跳ね馬が持って来たから。あの人仮にもボスのくせして、もったいないからって言ってちびちび呑んでてね、イライラしたから僕が呑んでやったよ」
「それは、なんて言いますか、ディーノさんどんまいです」
 複雑な表情を浮かべて、いろいろと呟いている綱吉は、雲雀が睨むと、慌てたような動作の後に、にへらとした、気の抜けるような笑みを浮かべて見せた。
「何、その顔」
「え、いつも通りの間抜け面ですよー? ――雲雀さんも呑みますか? ゴッド・ファーザー」
 綱吉が軽くグラスを振って見せれば、その揺れに合わせてまた、水滴がベッドへと落ちた。
「……いい。でもウィスキーだけもらおうかな」
 せっかくだしねと言えば、綱吉はニコニコと微笑んでベッドから降りた。
「はーい、ロックでいいですよね? 持ってきまーす」
 己のグラスを手にしたまま、酔った者特有のどこか頼りない足取りで、綱吉は簡易キッチンへと歩いて行く。雲雀は目を細めるようにしてその背を見送りながら、小さく息を吐いた。


 ***


「お待たせしましたー」
 自分のグラスと雲雀のグラス、それに日本から空輸したのだろうか、かきのたねの小袋を脇に抱えながら、再び頼りない足取りで綱吉はベッドに戻って来た。
 両手にグラスを持ったまま高めのベッドに上ろうとする綱吉に、雲雀が手を出せば、綱吉は一度ぱちくりと瞬きをした後に、家庭教師が見れば鉛玉を撃たれかねないしまりのない笑顔で、雲雀の分のグラスとかきのたねを差し出した。雲雀が受け取れば、笑みをさらに深くして、半ばよじ登るようにベッドに上る。そのまま先程の位置に戻ると、乾杯といって無理やり雲雀のグラスに己のそれをぶつけて、一息でカクテルを煽った。
「あれ? 雲雀さん呑まないんですかー?」
作品名:ハルシオンの夜 作家名:桃沢りく