Theobroma ――南の島で5
腹を空かせたアルトリアがまた催促してくる。もう何度目だろうか、彼女の催促を受けるのは。
「ああ、すまない。もう、すぐだ……」
とにかく彼女の食事を作り終えて、部屋に戻らなければならない。
シロウと話を、それから、叩いてしまったことを謝って、それから……。
(抱きしめていいのだろうか……)
シロウを叩いてしまって、そんなオレをシロウは許してくれるだろうか……。
***
ノックの音に顔を上げた。
応えずにいると、またノックの音がする。アーチャーなら鍵を開けるはずだ。けれど、ノックをしてくるだけ。
無視し続けてもやめる気配がない。仕方がないので、ドアチェーンをかけたまま鍵を開ける。
隙間から覗いたのは、金の髪の少女。
「あ……」
「こんばんは。あなたは、アーチャーの何ですか?」
「は?」
何、と訊かれても、なんて答えればいいかわからない。恋人だったはずだけど、それは島の中だけのことだと、どうやって説明すればいいんだろう。それに、この子にそんなこと、言えるわけもない。
「あの、チェーンを外していただけませんか?」
「ごめんなさい、無理です」
扉を閉めようとすると、隙間に手と靴先を挟んできた。さすがに無理に閉めればケガをさせてしまうので力を緩めた。
「お話、しましょう」
強引な子だな……。
ドアの隙間の前に座り込んだ少女に合わせ、扉に背を預けて、十センチもない隙間を介して向き合う。
不思議と若い女の子なのに、苦手な感じはしなかった。女性恐怖症が治ったのかどうかわからないけど、マシになったのかもしれない。島の女の子たちとは、もう普通に接することができるようになったし。
「アルトリアと言います。父はセイバーという会社を営んでいます。アーチャーとは十年ほど前にこのホテルで初めて会いました。彼の作る料理は素晴らしく、とてもおいしいです」
以上、と言って、俺をじっと見つめる。
「え? なに?」
「自己紹介です。私はしました。あなたの番です」
「え……」
今の、自己紹介だったのか……。話をする前に自己紹介って、セレブの世界はよくわからないな……。
「衛宮士郎です。島でカカオマスを作っています」
それきり、俺が何も言わないからか、アルトリアさんは首を傾げる。
「それだけですか?」
「それだけです」
他に何を言うこともない。島でカカオマスを作っているってことだけが、俺のすべてだ。
「シロウ、私は今、空腹なんです」
「はい」
そんなことを訴えられても、俺にはどうしようもないんだけど……。
「だから、とても切ないです」
「はい」
「率直に訊きます、アーチャーの恋人とは、どんな方ですか?」
いきなり過ぎる本題に、言葉が見つからない。
「私が知る限りでは、アーチャーよりも仕事を取る方のようです。先ほど、アーチャーが“ここから出るな”と言っていたので、この部屋にその恋人がいると思ったのですが、いらっしゃいませんし、厨房でのアーチャーの様子もどこかおかしく、いまだ私の食事ができていません。なんとかならないものでしょうか? あなたからアーチャーの恋人に伝えてはもらえないでしょうか、アーチャーをもっと愛してあげてくださいと。仕事が大切なのはわかります。ですが、アーチャーを放っておくのは、可哀想です。彼は、十年前に養い親を亡くし、天涯孤独の身、どうか、その方に伝えてください。アーチャーは口には出しませんが、きっと寂しい思いをしていま――」
扉を閉めて鍵をかけた。
なんで、この子にそんなことを言われなきゃならないんだ。
ドンドン、と扉を叩く音がする。
「シロウ、シロウ! 開けてください! シロウ!」
馴れ馴れしく呼ばないでほしい。
もう開ける気にもならない。
『逆だよ、アルトリアさん。アーチャーは、恋人よりも、あなたを取る人だよ』
日本語で言っても、わからないだろうけど。
ああ、それに、俺も、ちゃんとした恋人ってわけじゃないけれど……。
まだ扉を叩く音がしている。扉に背を向けて、壁にもたれてそのまま座り込んだ。
やっぱり俺じゃダメなんだな……。
彼女の言う通りだ。
俺はアーチャーをちゃんと愛せていないんだろう。
だから、アーチャーはアルトリアさんを優先するんだろう。
アルトリアさんはアーチャーをちゃんと愛してくれるんだろうな。
アーチャーがダーダさんを亡くした頃からの知り合いなら、きっと彼女がアーチャーを支えていたんだろうし。
誰かを愛するって、どうすればいいんだろう。
そういえば俺、愛するってどうすることなのか知らない。
アーチャーと一緒にいて、キスをして、抱き合ってるってだけで……。
俺はアーチャーといるだけで幸せだと思っていたけど、アーチャーはそうじゃなかったんだろう。
具体的に何をすればよかったんだ?
『言ってくれないと……わかんないよ……』
泣かないつもりだったのに、涙が膝に落ちた。
絶対泣かないって思ってたのに、あとからあとから涙がこぼれていく。
『っ……ひっ……く……、っ……っく……』
子供みたいにしゃくりあげて、涙腺がバカになったみたいで、涙が止まらなかった。
***
「は……」
部屋に戻れないため、ホテルのバーの片隅を借りて寝静まった街を眺める。
シロウが部屋のドアチェーンをかけてしまっているため入ることができない。アルトリアが訪ねた時にはすでにその状態だったという。
物理的に入れないということもあるが、部屋に足が向かなかったのが正直なところだ。
シロウの頬を叩いてしまった。
いくら心配が過ぎたとはいえ、暴力に訴えるのは、やはりいけなかった。
何も言わなかったシロウが気になる。
いくらシロウに非があるとしても、平手など浴びせては、さすがのシロウも怒るのではないかと思ったのに、何も言わず、反論もせず、まるでどうでもいいことのように……。
「くそ……」
拳を額に当てて悪態をつく。
うまくいかない。
どうしてオレたちは、こうもギクシャクしてしまうのだろうか?
シロウは、どうして素直になんでも話してくれないのか?
思ったことを言えばいい。言いたいことがあるならはっきりと言葉にすればいい。そうすればオレも答えられる。
以前のように、オレが勘違いしていることもあるだろう、シロウが思い違いをしていることもあるだろう。
だが、口に出さなければ、それすらわからず、またオレもシロウも勘ぐってしまって、特にシロウは思いもよらない方へ向かってしまう。
「どうすればいいんだろうな……。恋愛初心者のシロウを相手に、今までの経験値など……」
通じるはずがない、と思ったが、自身を省みてみると、
「オレも、本気で誰かを愛しいなど、思ったことはなかったか……」
そんなことに今さら気づく。
「オレも、シロウも、初心者、とは……」
笑いがこみ上げてきた。
誰かの気持ちがわからず右往左往する。そんなことで悩むなど今までにはなかったことだ。
島の連中とは気心が知れていたし、何を言わずとも察し、察され、衝突すれば、互いに胸襟を開いて話し合うことができた。
しかし、シロウはそれが通じない。
作品名:Theobroma ――南の島で5 作家名:さやけ