Theobroma ――南の島で5
「生まれ育った環境か、それとも、シロウの性格か……」
シロウは気持ちや、思ったことを口に出すことがあまりない。
カカオに関しては、ものすごくアグレッシブなのだが……。
「自分の感情を表すことが苦手なのか……?」
シロウはオレの恋人だと言っても、喜ぶでもなく戸惑っていた。
恋愛というものがわからないのだろう、ということはわかったが、それ以前に、シロウにはもう少し改善すべき点がいくつもある。
他人を頼らないところ、ひとりで抱え込んでしまうところ、おかしな方に思い詰めてしまうところ、言葉に表すのが苦手なところ……。
そのすべては、ある一つの環境によるものだと思う。
「ひとりで、生きていたからか……」
幼馴染みや友人はいたのだろうが、シロウは養父を亡くしてから家族というものがいなかった。
何もかもを自分一人でこなさなければならない環境にあって、他人に頼る、などという考えに行き着く方がおかしい、ということなのか……?
「どう……するか……」
とにかく、まずは叩いてしまったことを謝って、それから、オレがそうしたことを、シロウにきちんと説明しなければ。
「明日、アルトリアに捕まる前に部屋に行くか……」
まだ迷いがある。シロウに面と向かって、オレは冷静に話すことができるだろうか。つい抱きしめてしまいそうで、そのままなし崩しに抱いてしまいそうで、腹を括るのが難しい。
「いや、そんなことを言ってる場合じゃないな」
また夜の街に目を移し、苦いため息を吐いた。
「アーチャー!」
額に手を当て、ため息がこぼれた。
「アーチャー! 朝食を!」
アルトリアに見つかる前に、と思っていたのに、彼女にはセンサーでもあるのだろうか……。
「アルトリア、少し待ってい――」
「アーチャー、め、眩暈が、して、もう、ダメです……」
「お、おい! 待っ、オ、オレは、これから、」
ズルズルと壁にもたれてへたり込んでしまったアルトリアにため息を吐いて、その腕を掴み引きずっていく。
「すぐに用意する」
さっさと終わらせてシロウと話をしなければならない。
そう思いながら、アルトリアに捕まったことにほっとしている自分がいた。
アルトリアに朝食を食べさせ、今度こそ部屋に向かおうとすると、エレベーターホールからシロウが現れ、思わず駆けだそうとした時、ロビーの隅に昨夜の男たちがいるのに気づいた。
一人がシロウを追いかけるように足早に歩いていく。
(あいつら、まだ諦めていないのか!)
思考をフル回転で対処法を導き出す。
振り返るシロウ、その姿が艶めいている。
白いシャツに包まれた肩のライン、スラックスに隠された細い腰、襟から覗く首筋、少しシャープに見える顎のライン。
眩暈がする。
たった二週間会わなかっただけで、どうしてこんなにも、オレはシロウに惹きつけられているのか。
いや、見惚れている場合じゃない!
ロビーにいる者は見て見ぬふりだ。関わり合いたくないのだろう。
シロウを捕まえた二人に近づく。焦る気持ちを押さえつつ、ツカツカと歩を進める。できるだけ平静を装って。
あの二人は、おそらくシロウのすれていない所が気に入りなのだろう。
シロウのような、なんにも知らない、という感じの初心な者を、めちゃくちゃにしてしまいたい、という欲求に駆られて……。
そんな奴らにシロウを渡すわけがない。そして、こいつらがシロウから興味を失くすように仕向けなければ、おそらく、いつまでも付きまとうに違いない。
ここは、上手く穏便に、尚且つスマートに済まさなければ、ホテルにも迷惑がかかる。
息を詰めて、面には出さないが、やや緊張してその二人に声をかけた。
***
顔を洗って鏡を見ると、瞼が腫れていた。
サングラスでも持っていれば隠せたと思うけど、そんなもの、持ってない。
靴擦れの痛みを我慢して、部屋を出た。
昨日使ったエレベーターの場所がわからなくて、仕方なく普通のエレベーターに乗り込んだ。お出掛けの時間帯なのか、数人のセレブたちが乗っている。香水の匂いがちょっとキツくて胸焼けしそうだ。
「あなた、大丈夫?」
不意に訊かれて、
「大丈夫です、すみま……、あ、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げると、年配の女性はにっこりと笑った。
俺はそんなに酷い顔をしているんだろうか?
赤の他人にも心配されるほどに?
そりゃそうか、瞼も腫れて、ちょっと顔色もよくなかったし、昨日寝てないから目元も疲れた感じだし……。
ロビーに着いて、ひと通り見渡す。アーチャーの姿がないことを確認して、玄関口へと向かった。
「Hi! 少年!」
肩を掴まれて、振り返る。
「あ……」
昨夜の誘拐犯の一人……、じゃないか、このホテルの宿泊客だったんだ……。
『お出掛けかい? どこ行くの? 連れて行ってやるよ』
何を言われているかわからない。何語だろう、声をかける時だけは英語だったけど……。
「あの、すみません、急いでいるので」
このホテルに泊まってるってことはVIPだろうから、失礼をしてはダメだろう。とにかく逃げておいた方がいいと判断した。
『そう言うなよ、おれたちと楽しいことしようぜー』
もう一人が背後から現れて、肩を組んでくる。
いつから後ろにいたんだ?
なに、この人たち……。
明らかに俺、困ってるように見えると思うけど、なんで、誰も見て見ぬふり?
「あの、は、放して、ください、俺、仕事が――」
『失礼します、お客さま』
その声の方から顔を背けた。
顔、合わせられない。
『ちっ、また、お前かよ』
『申し訳ございません、主からの伝言です』
『なんだってんだ?』
男たちは俺を放して、アーチャーに歩み寄った。
もしかして、この人たちを伸したりしちゃうんだろうか、と期待混じりで様子を窺う。
『彼は、どうしようもないあばずれでしてね、あなた方のような初心好みの方をカモにしているのです。お気をつけください、彼に貢いで身を滅ぼした方もいらっしゃるそうなので』
『あ? んじゃ、プロなのかよ?』
『あんな初心な感じなのに?』
『ええ、どうしようもないそうで』
アーチャーと男たちは、意気投合して話し込んでいる。
なんだかわからないけど、今のうちに行こう。
「ちょっと、君」
ホテルを出ようとしたところで、中年の男性に声をかけられる。ダンディーな感じのセレブだ。
「え? 俺、ですか?」
「君、あれは本当かい?」
「え?」
「君は、プロなんだろう? 一晩いくらだい?」
ニコニコとして訊く、そのダンディーの言っている意味がわからない。
「いくら、って?」
「ああ、もしかして、フリーではない? どこかに所属しているのかい? それは、どこ?」
「え? あの、所属って、え?」
「だって君、男娼なんだろう?」
「はあっ?」
でっかい声で訊き返してしまった。
「今、あそこにいたシェフが、初心好みをターゲットにしたプロだと言っていたよ」
「な……」
あそこにいたシェフ?
アーチャーのこと?
アーチャーが、俺を、男娼だって?
「ち、違いますっ!」
ダンディーに言い切って、さっきの男たちを見送ったアーチャーに歩み寄る。
作品名:Theobroma ――南の島で5 作家名:さやけ