Theobroma ――南の島で5
「いや、とにかくシロウだ。会いに来てくれたのか……。いや、サグの口ぶりだと、単純に会うために来たとは言い難いか……。まあ、ロビーで待っていればいいな」
港からはゆっくり歩いても三十分はかからないだろう。そのくらいの時間なら、アルトリアの食事もシロウが来てからでいい。一緒に食事をして、きちんと彼女を紹介しよう。
「二週間ぶりか……」
シロウに会える。
もちろん今夜は泊まっていくのだから、久しぶりに抱き合える。
「ああ、その前に、アルトリアに夜食は無しだと言っておかなければ」
彼女は夜中であろうと明け方であろうと、腹が減れば遠慮なく呼び出しに来る。
「あの食欲は、やや病的だと思うのだが……」
彼女の親は、いったい彼女にどんな食生活を送らせてきたのか、少々心配なところだ。
「二十代の今ならいいが、年齢を経ていくうちに代謝が衰え、カロリー過剰となれば、肥え太るだけだぞ……」
見た目が少女だから騙されそうになるが、彼女はオレと同い年だ。三十路を過ぎると、男女問わず体質が変わってくる。
そんなことをつらつら考えているうちに、三十分はあっという間に経過した。
「まだか……」
ロビーの時計を見遣って、玄関口を確認する。いっこうにそれらしい姿は見えない。
「まあ、慣れない場所だからな……」
もう少し待ってみることにした。
「遅い……」
あれから一時間以上が経つのに、シロウの影も形も現れない。
「何をしているんだ、シロウは……」
道に迷ったか?
迷ったとしても、このホテルは目立つ。道行く人に訊けば済む話だ。
誰かにホイホイついて行ったりは?
いや、子供じゃないんだ、あるわけがない。
ならば、自分の意思で来ないのか、もしくは、来ることができない……?
ぞく、と背筋が寒くなった。
「まさか……な」
可能性が全くないわけじゃない。
それに、サグが言っていたことが気になる。
色気がありすぎて驚くぞ、と……。
どういうことだ、シロウにいったい何が?
色気って……。
「いったい……?」
いや、とにかくシロウを探さなければ。
そんな状態ならなおのこと心配だ。
フロントにシロウの容姿を伝え、到着すれば待つようにと伝言してホテルを出た。
港へ向かう道路を見渡すが、それらしい姿はない。日が暮れてしまえばもっと見つけにくくなる。気ばかりが焦る。
シロウの姿を探しながら港へも行ってみたがいなかった。
見かけた者はいないかと探したが、すでに人の姿自体がない。
「シロウ、どこだ……」
焦燥感が半端じゃない。
頭が回らない。
港からホテルへ戻りながら、ビーチに目を向ける。
薄闇に覆われはじめたビーチには、人影もほとんど――、
「!」
言い争うような、声?
「なんだ?」
気配を殺して近づく。大柄の男二人と、小柄な男……。
「シ――」
声を上げそうになって飲み込む。
大柄の男二人は厄介な奴らだ。
どこのだったか忘れたが、成金社長の馬鹿息子どもらしい。ホテルの従業員に要注意なのだと写真を見せられた。
奴らの身勝手さにはどのホテルも眉を潜めていると聞く。このホテルに宿泊していたのか、面倒な……。
(しかし、そいつらがなぜシロウに?)
いくらなんでもありえないだろう。だらしないほどの女好きらしいのに、成人男性に言い寄るとは、奴ら、プロの女にも相手にされなくなったか?
そんなことを考えながら、どう切り抜けようかと思案して、薄闇の中のシロウの姿が見えた。
(これは……)
その姿を見て、男二人がシロウに目を付けたことに合点が行く。
(サグの言った通りだ……)
色っぽい。
オレの贔屓目か?
あれからたった二週間会わないだけで、オレの目は支障をきたしている?
いや、あいつらの目を引いたんだ、オレだけじゃない。
いったい何があったんだ、シロウに……。
じっくり考えたいところだが、
(とにかく、この場をしのいでからだ!)
あの兄弟と揉めるのは面倒だ。
穏便に済ますには、アルトリアの名を借りるしかないな。彼女の名はセレブの中で知らぬ者の方が少ない。
(まあ、いいか。それ以上のご奉仕はしている)
事後承諾でかまわない、と、結論を出して声をかけた。
案外あっさりとシロウを解放した奴らの視線は、まだシロウを追っている。その手前、親しげにすることもできず、部屋に着くまで一言も話さないことにした。
どこに奴らの知り合いがいるとも限らないし、金をちらつかせて防犯カメラの映像を見せろとも言いかねない。
後々何を言われても対処できるよう、ことさらシロウに触れず、事務的に扱う。シロウも何も言わず、黙って従ってくれるので助かった。
(早く抱きしめたい……)
宿泊している部屋のフロアに着き、廊下を足早に歩き、人気のないことを確認し、防犯カメラがないことを確認して、部屋にシロウを押し込んだ。
少し力がこもってしまい、シロウは壁に少し当たったみたいだ。
改めてシロウの姿を見ると、スラックスに白いワイシャツを着ている。
(どうして、こんな格好で……)
膝に手をついていた身体を起こしたシロウは、顎を伝った汗を手の甲で拭っている。
ぞく、と腰のあたりが重く震えた。
(なん……だ……)
俯いて、無防備に晒される項に吸いつきたくなる。
たった二週間会わなかっただけだ。
(オレは、何をこんなにも昂奮しているのか……)
手を伸ばしかけて、ハッとする。
こんな状態で、あんな奴らに捕まって、オレが間に合わなかったら、どうなっていた?
奴らにいいようにされてしまうんだぞ?
オレじゃなく、あんな奴らに触られるんだぞ!
カッと頭に血がのぼった。
その光景が、浮かばなくてもいいのに浮かんだ。
「何をしているんだっ!」
シロウを抱きしめたい気持ちを抑えたためか、声がどうしようもなく荒くなってしまった。
びく、と震えて振り向いたシロウに、さらに苛立つ。
定期船の最終便が出てから今の今まで何をしていたのか、どうしてすぐにホテルに来なかったのかと問い詰めるも答えない。
その上、心底反省してもいない謝罪の言葉を口にする。
(オレがどれ程心配したと思ってるんだ!)
シロウは何もわかっていない。
苛立ちと安堵と、腹立たしさで、頭はパンク寸前だ。
気づいたときには、シロウの頬を平手で打っていた。
ドンドン、と扉を叩くアルトリアの催促に、ドアを開けて応える。
シロウはオレを見ない。
どれ程心配したのかを伝えたいのに、溢れる言葉はシロウを責め立てるものばかりだ。
シロウは反論しない。
シロウはオレの打った頬をこちらに向けたままだ。
掌が痛い。
シロウの頬が赤くなっている、黄白色の頬が……。
呼び出しに来たアルトリアに、正直なところ感謝して部屋を出た。
オレはシロウから、逃げた。
抱きしめたかったのに、シロウはオレに、会いに来たというのに……。
「手を……上げてしまった……」
いつまでもシロウの頬を打った掌が痛い。
アルトリアの食事を作る手がおぼつかない。
「アーチャー、まだですか? もう、一時間も経っていますが?」
作品名:Theobroma ――南の島で5 作家名:さやけ