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Theobroma ――南の島で5

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 振り返ったところに、
「シロ――」
 拳をぶち込んだ。しっかりと鳩尾に。人を殴ったのって初めてだけど思ったよりもきれいに決まった。
「っ……」
 腹を押さえて崩れ落ちたアーチャーを見下ろす。
「シ、シロ……ウ?」
『大っ嫌いだ!』
 言って踵を返した。



***

「いっ、つ……」
 まだ痛む。
 シロウにくらったボディブローが、いまだに……。
 これは頬を打ったことへの仕返しか?
 それにしては、大きすぎやしないか?
「アーチャー、食事はまだですか?」
「っ、それどころじゃない!」
「何故です?」
「シロウが、帰ってしまっただろう! オレもすぐに島に戻る!」
「なぜ、あなたがシロウを追うのです?」
 なぜって、昨夜のことを謝って、それから、それから……。
 部屋に着替えに向かっていた足が止まる。
「オレは……、なぜ、シロウに殴られた?」
 ドアチェーンをかけられている、とアルトリアに聞き、昨夜は部屋に向かわなかった。ドア越しにする話でもないし、オレも話せる状態では……、いや、会うのが怖かった、と言えばいいのか……。
 シロウもそうなのだろうか?
 オレと同じように、シロウも話せる状態ではなかったのか?
 部屋に閉じこもったのは、そういうことなのか?
「アーチャー? どうかしましたか?」
「……アルトリア、昨夜、シロウがチェーンをかけてしまっていたと言ったな? 応答は? 顔は見たか? どんな様子だった?」
「ええ。少し話をしましたが、途中で彼は扉を閉めてしまって、」
「話? そ、そんなこと、ひと言も言っていなかっただろう?」
「ええ、言っていませんから」
 すました顔でアルトリアは答える。いったい、彼女はシロウと何を話したのか。まあ、彼女の話すことなど、オレの料理がどうとか、そういったことなのだろうが……。
「な、なぜだ……。ああ、いや、それより、何を話した?」
 気にはなるので、訊いてみる。
「あなたには関係のない話だから言いませんでした。シロウとお互いに自己紹介をしただけです。それから、アーチャーの恋人に伝えてほしいと頼みました、アーチャーを愛してくれるようにと。仕事ばかりでなく、アーチャーのことを――」
「なんだとっ!」
 そんなことを、シロウに言ったのか?
 シロウはオレを愛してくれている。それは、仕事と秤にかけることじゃない。
 シロウは確かに、すべてをカカオに懸けていて、頭の中はカカオマスのことでいっぱいだ。だが、それでもオレと一緒にいたいと、朝までいてほしいと言って……、オレと一緒に住むことが幸せだと言って……。
 そんなシロウに、オレを愛してやってくれ、だと?
 それでは、シロウはオレを愛していないだろう、と言っているようなものじゃないか。そんなことを言われて、シロウが怒らないはずがない。
 いや、怒るくらいならいい、まだマシだ。シロウはどこをどんなふうに考えてしまうか、未知数なんだぞ。
 そんなことを言ったら……。
「っくそ……」
 オレはこんなところで何をしているんだ。
 シロウには、理解できるように話さなければだめだとわかったのに、それもせず、シロウを一人にして、オレが一緒にいたいと言ったのに、シロウを放っておいたままなのは、オレじゃないか……。
 オレの家に来たから安心していたのか?
 もう出て行くことはないと、オレはタカを括って……。
「あの、アーチャー? わ、私は、何か悪いことをしましたか?」
 心配そうな顔で見上げてくるアルトリアに怒りをぶつけるのもおかしな話だ。元はと言えば、オレがシロウにきちんと話していなかったからだ。
 シロウが納得しているかどうかを、確認しなかったのはオレだ。
「いや……、君のせいじゃない。ただ、アルトリア、一つ間違いを正しておこう」
「間違い?」
「ああ。オレの恋人は、シロウだ。君が愛してやってくれと頼んだ、張本人だ」
「え……?」
「だから、君の言った言葉は、オレの恋人に届いているよ」
 彼女の肩を軽く叩き、部屋に向かう。
「だから、だったのですか……」
 アルトリアを振り返る。
「どうした? 何か――」
「逆だと……」
「何がだ?」
「微かに聞こえたのです、シロウの声が。日本語だったので、すぐに解すことができませんでしたが、アーチャーは恋人よりも、あなた、つまり私を取る人だ、と言っていました」
「な……」
 愕然とする。それは、明らかに、シロウのやり切れなさを表す言葉だ。
 恋人の自分よりも、アルトリアを優先させる。自分がその程度なのだと思わされる……。
「そんな……」
 少しも、そんな素振りはなかった。
 シロウは仕方がないと笑っていたんだぞ?
 昨日ここに来たのも、サグに船から降ろされたからで、二週間ぶりなのに、オレの顔も見なくて……。
 オレが、シロウよりもアルトリアを取る?
 馬鹿な、どうして、そういう思考に……。
(いや、現状を見れば、そのままか……)
 シロウはわかっているものと思っていた。
 あの時は何も、文句も言わず、拗ねることすらしなかったのに、シロウは我慢していた?
 世話になった人だから無碍にできないとオレが言ったから、シロウはただ頷いただけだったというのか?
 本当はシロウは……?
「もう……何が何やら……」
 片手で顔を覆った。
 わけがわからない。
 シロウは、どうしてオレに言わないんだ。
 どうして帰って来てくれと言ってくれない?
 ああ、そうだ。
 シロウは恋愛初心者で、よくわからないことを言い出す。
 理解し合うために話をしようと、なんでも言ってくれと、シロウの思うことを聞かせてくれと言ったのに、オレは聞く耳を持たず、シロウが言葉にしないから、態度に出さないからと安心して……。
 本当は、どんな気持ちでいたんだ。
 また、泣いていたのか、いや、今も泣いているのだろうか……。
「あの、アーチャー、私は何かしてしまいましたか?」
 おずおずと訊くアルトリアに、項垂れたまま目を向ける。
「……ああ。これでシロウと別れることになったら、一生恨む」
 アルトリアは唇を引き結んだ。
「冗談だ。半分、いや四分の一は君のせいだが、ほとんどは、オレとシロウの問題だ」
 そうだ、何も言わなかったシロウにも問題がある。それに、何も言えない状況を作ったオレにも問題がある。
 シロウと話し合わなければならない。
「アルトリア、休暇は終わりだ。土曜にオレは帰るぞ」
 今すぐに、と言えないところが情けない。
「わかりました。正直、今のアーチャーの食事では私の舌は満足しませんから」
「なん、だと?」
「せいぜい帰るまでは、腕を振るっていただきましょうか」
 殊勝な態度は一変して、いつものアルトリアだ。
 部屋に戻ることをやめ、厨房に向かった。
 アルトリアの食事を作ってから部屋に戻ることにした。でなければ、ゆっくり考えることもできない。この大食漢の催促は待ったなしだからな。


「は……」
 部屋に戻り、ベッドに座り込み、そのまま後ろへ倒れた。スプリングが強く反発してくる。
「怒っていたな……」
 オレに拳を打ち込んだシロウの顔が二週間ぶりに見た顔だった。
 怒っていて、瞼が少し腫れていて、
作品名:Theobroma ――南の島で5 作家名:さやけ