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Theobroma ――南の島で5

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 ずっとだ、とアーチャーは広いベッドに横になって、俺を抱きしめる。
(そうできればいいな……)
 そんなことができたら、すごく幸せだと思う。
(アーチャー……)
 その胸元に擦り寄る。優しく頭を撫でてくれる手があったかくて、子ども扱いするなって拗ねることもあったけど、この手がずっと好きだった。
(働き者の、ごつごつしたアーチャーの手に、俺は最初から甘えていたよな……)
 夢が見たいと思った。
 この島で愛する人とカカオを育ててって……、そんな夢を。
 世界中で愛されるカカオマスを作るっていう俺の夢は叶っているのかもしれない。明日にはそれも壊れるかもしれないけど。
 今まで品質を落とさずにカカオマスを作ってきたことは、俺の理想の仕事だった。
 そういう仕事をして生きられればいいって思っていたのに、今は、アーチャーといられればいいなんて思っている。
(俺は、身勝手だな……)
 夢が叶えば、今度は愛する人をって……。
 俺はいつからこんなに貪欲になったんだろう?
 風に揺れるカーテンと、その向こうの明るい陽射し。
 この島とアーチャーが、俺の中ではとても大きな存在になってしまった。
(島を出ることになったら……)
 アーチャーはここにいればいいと言ってくれるけど、そんなことは許されないかもしれない。カカオマスを作るしか能のない、他になんの価値もない俺がこの島にいても仕方がないって、そのうちに気づくはずだ……。
 アーチャーのシャツを握りしめて、しがみついた。
「シロウ?」
 涙を堪えようと必死になった。
 アーチャーに心配をかけたくない。昨夜からずっと気遣ってもらってるんだ、これ以上、迷惑をかけたくない。
「シロウ、震えているのか?」
 優しい声、優しい掌、あったかい腕、熱い身体、アーチャーの全部を感じていることができるのに、俺は、不安で不安で、どうしようもなくて、ただ震えていた。



***

 土曜の午後、カカオマスの作業は午前で終わり、広場にぞろぞろと島人たちが集まりはじめた。
 少し前に到着したマトウの妹と、その秘書だとかいう背の高い女も同席している。
(シロウ……)
 カカオマスの生産者代表として、シロウはマトウと並んで立っている。
 顔色はまだ、あまりよくない。
 昨日からずっと、それに、今朝もゆっくり休ませていたが、体調が回復しないのは精神的に不安定だからかもしれない。
 シロウは泣いて、震えていた。島を出て行かなければならないかもしれない、と。
「シロウは大丈夫なのかい?」
 ターグのおふくろさんの声に目を向ける。
「食事も睡眠も昨日からきちんととっているから、大丈夫だ」
「でも、調子がいいようには見えないねぇ」
 心配そうにシロウを見つめるおばさんたちは、これからの島のことよりもシロウの体調の方が気がかりなようだ。
「島のみなさん、お集まりいただきまして、ありがとうございます」
 マトウの通訳の声が聞こえ、広場は静まりかえった。
 はじめにマトウは妹を紹介し、間桐商事から来たことを説明して端に退いた。
 マトウの妹が、マトウに代わり島のカカオマスの販路をさらに広げていく、というようなことを話している。
(同じようなことがあった……)
 シロウのカカオマスを作る権利がマトウに奪われた、あの時と酷似している。
 間桐商事の掲げる増産と収入アップの話は、今の島人にどれだけ響くだろう。
 シロウとともに立て直したカカオマス生産と、マトウが世界を飛び回って手に入れた販路。
 堅実な道を進み始めたオレたちに、マトウの妹がぶら下げたエサは、あまりにも陳腐で興味すら持てないとオレは思うが、島人にはどう見えるのだろうか。
 オレは他人事のように一歩引いてその様子を窺っている。
 島の未来を決めることなのだから大事なことだし、心配ではある。だが、それより他に、オレにはもっと気がかりなことがある。
「アーチャー、大丈夫かい、シロウは」
 斜め前にいたターグのおふくろさんも気づいたようだ。
 シロウの顔は血の気が失せている。立っているのもやっとのようだ。
「アーチャー」
「アーチャー、早く」
「こっちだ、こっち」
「そら、行きな」
 前にいた何人もの島人たちが振り返って、手招きする。
 マトウの妹の話もそっちのけで、オレに道を開け、腕を引き、早くいけ、と背中を押してくれる。
 島人の中を抜け出たところで、マトウの妹の秘書が咄嗟に彼女の主を守るように盾になったが、オレはマトウの妹などどうでもいい。
「シロウ!」
 オレの声にマトウも気づき、手を伸ばしている。
 ふらり、と倒れていく身体。
 その腕をマトウが掴み、オレが身体を受けとめた。
(間に合った……)
 受け止めたシロウは、意識を失ってはいないが、立っていられないようだ。片膝立ちでシロウを抱き支える。
『衛宮、まだ体調が……』
 マトウが心配そうに声をかける。
『大丈夫、ちょっと、立ち眩み』
 マトウに笑顔を見せたシロウは、話を中座しているマトウの妹に顔を向けた。
『あの、先輩、大丈夫ですか?』
『邪魔して悪い……』
 マトウの妹に謝り、シロウはオレのシャツを握り、立ち上がろうとしている。
「シロウ、無理しなくていい、もう休め」
「大丈夫、立てる」
 シロウは頑なに首を振って立ち上がったが、ふらついている。仕方がないので、テコでも動きそうにないシロウの腰に腕を回した。
「支えているから、掴まっていろ」
「あ、あり、がとう」
「シロウは、自分のやることだけを考えていればいい」
「ん……」
 オレに身体を預けて、シロウは成り行きを見守ることにしたようだ。
 マトウの妹の話は終わったようで、マトウが代わって島人の前に立った。
「……僕は、僕が一度潰した島のカカオマスを、もう二度と潰す気はない。間桐商事に委ねてしまうと、大量生産に押し潰されて、島のカカオマスはまた粗悪品の代名詞になってしまう。確かに間桐商事の販路は大きい。けれど、それに見合う供給はこの島では難しい。僕は、量より質を求める顧客を開拓してきたつもりだ。それは変えたくない、いや、変えられない。二度と僕が同じ轍を踏まないために、この島のカカオマス生産を代々続けていける産業にするために、品質だけを武器に僕はカカオマスを売ってきた。
 僕はあの失敗を今も重く受け止めています。だから、間桐商事への全権移行は避けたいと思っている。けれど、カカオマス生産は、島の人たちの産業です。僕の一存では決められない。だから、島のみなさんに集まってもらったんだ」
 島人からは色々な意見や質問が湧いて出ている。それに一つ一つ答えるマトウは、島に来た当初と比べて、別人のようだ。
「慎二、変わったよな……」
「ああ」
 変わっていく彼をオレたちは見ていた。
 それに、変わったのは彼だけじゃない。島人もずいぶん変わったと思う。島を食い物にする外国人だと決めつけて、ただ拒むのではなく、その本質を見極めて受け入れるようになった。
 マトウとシロウは島人ではないのに、オレたちは彼らの体調まで気にかけるようになっている。
(本当に、変われば変わるものだな……)
作品名:Theobroma ――南の島で5 作家名:さやけ