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Theobroma ――南の島で5

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「どうした? 虫にでも刺されか?」
 アーチャーは呑気なもんだ。
「な、なんでもないよ。それより、どんな料理だろう?」
 くよくよしていても仕方がない。今は、島のカカオマスを使った料理のことだけ考えよう。
「さあな、オレも楽しみだ」
 アーチャーが笑うと、もうほんとに、どうでもよくなった。アーチャーとの休日を楽しもうと素直に思うことにした。


 アーチャーとランチを終えて、料理長と話していると、
「っ!」
 アーチャーが、小さく呻いて、前のめりになった。
「え?」
 アーチャーの背後を確認すると、アーチャーのシャツを握って、女の子が涙を浮かべてアーチャーを見上げている。
 アーチャーに体当たりなんて、と思ったけど、よほど慌てていたのかな?
「あ、アル――」
「アーチャーっ!」
 ロビーに反響する声に、歓談に耽っていたセレブたちが静まり返った。一斉にこちらに目を向けている。
「アーチャー! 食事を、どうか! 食事を作ってください!」
 呆気にとられるアーチャーに、女の子は必死に訴えている。すごくきれいな英語だ。
「アルトリア、いったい、どうしたんだ……」
 アーチャーの知り合いなのか。
 きれいな金の後ろ髪をきちんとまとめ上げ、ブラウスとスカートっていう普通の格好で、宝飾品で着飾っているわけでもないのに、彼女からは、なぜだか気品が感じられた。
「足りないのです、量も美味しさも、アーチャーの作る食事が食べたくて! ですが、あなたは、このホテルにはもういませんし……」
 なんだか切実に訴えているけど、アーチャーはもうここのシェフじゃないし、食事を作るとか、無理だろう。
 それに、そろそろ買い物を済ませて港に向かわないと、最終の定期船に乗り遅れてしまう。
「あーちゃあぁぁ、お願いですぅぅぅ」
 涙目で必死に訴えて、本当に可哀想だけど、断るしかないよな……。
「はぁ。仕方がない」
「え?」
 驚いてアーチャーを見上げる。
「シロウ、悪いが、少し待っていてくれるか? 料理長、厨房の隅でいいのでお借りしたい」
 俺の返答も聞かず、アーチャーは料理長と女の子を貼りつかせたまま行ってしまった。
 ホテルのロビーに、ひとり取り残されて、呆然としてしまう。
「えーっと……」
 どうして、俺はここにいるんだっけ……。
 突っ立っていても仕方がないから外に出た。
 本国は領事館と空港しか俺は知らない。今日初めて街の中に来たんだ。よく知らない場所だし、行くところもないし、アーチャーに待ってくれと言われたから、歩道のわきのヤシの木の下に腰をおろして、ぼーっとしている。
「暇だな……」
 船の時間までは少し買い物しようと思っていた。
 アーチャーに指摘された通り、靴が限界に来たから買おうと思ってた。それから調味料も、どんなのを売っているのか見て回りたかったし……。
「午前中は街中を案内されながら頼まれた買い物をするだけで終わったし、これから、と思ってたんだけどな……」
 買い物もそうだけど、何より、アーチャーと二人で出かけるってことが俺には重要で、けっこう楽しみにしていたんだけど……。
「また来週、買いに来たらいいか……」
 アーチャーは来週も漁を休むわけにいかないだろうから、ひとりで来ることになるけど、仕方がない。
「あの子、可哀想なくらいお腹を空かせてたんだろうな……」
 あんな可愛い子にねだられたら、アーチャーだって断れないよな。
「…………」
 何度も何度も、仕方がないって思おうとした。
(でないと、俺は……)
 唇を噛みしめて項垂れる。
「ただの……、知り合いだろ……」
 自分に言い聞かせようとしたのに、たいして声にならなかった。

「シロウ!」
 アーチャーの声に振り返ると、
「こんなところにいたのか、探しただろう」
 咎めるように言われてしまう。
「ごめん、中にいても――」
「悪いが、シロウ、先に帰ってくれないか」
「え?」
 信じられない言葉を聞いて、反応ができない。
「彼女は本当に参っているようなんだ。世話になった人だし、断ることも心苦しい、というか、断りたくないんだ」
(断り、たく、ないって……)
 ずきり、ずきりとアーチャーの言葉を理解するたびに、胸の辺りが鈍く痛んだ。だけど、
「……そっか、じゃあ、仕方ないな」
 必死に言葉にした。笑顔になろうとした。ここで俺が無理を言ったら、アーチャーを困らせるだけだ。
 俺は上手に笑えているだろうか?
 アーチャーの話に頷きながら、ちゃんとした受け答えをしているだろうか?
 アーチャーの話していることは聞こえているし、理解もできているんだ。
 だけど、なんだ、これ……。
(気持ちが……置き去られてったみたいだ……)
 慌ただしくホテルに戻っていくアーチャーの背を見送って、それからどうやって島に戻ったのか、あんまり覚えていない。
 港に降りて、島の人たちと話した気がする。けど、気づいたら夜で、アーチャーの広いベッドに座っていた。
 現実感がなくて、今の自分の状況が客観的に見られない。
 寂しいんだろうか?
 広いベッドだから……。
 悲しいんだろうか?
 アーチャーが他の人を優先するのが……。
「せ、世話になった人って……」
 あの女の子は、真っ直ぐにアーチャーだけを見ていた。俺がいることにも気づいていなかった。アーチャーしか見えていないんだってことくらい、俺にでもわかった。
「アーチャーも……」
 拳を握りしめて立ち上がる。ベッドに転がったフカフカの特大枕を持って、自分の部屋に向かった。
 机と棚と窓。あとは俺の持ってきたインスタントフードの段ボール。
 それだけしかない俺の部屋は、ほとんど使っていない。
 残り僅かなインスタントフードを机の上に出して、段ボールを切り開いて床に広げた。
 遠坂おすすめの大きな枕と、タオルケットを段ボールの上に放り投げ、部屋の電気を消して横になる。
「あんな広いベッド、ひとりじゃ落ち着かないし……」
 強がりを口にして、無理やり寝ようと目を閉じた。



***

「アーチャー、まだですか?」
「まったく……」
 厨房まで押しかけてきて、この大食漢は催促だ。
 さっさと島に帰りたいのだが、アルトリアの調子が悪いと言われれば、無碍にもできない。
 もう二週間、ホテルの厨房と部屋を行ったり来たり。缶詰状態が続いて、さすがに気が滅入ってきている。
 島には電報を打っておいたが、シロウの顔が見たい。
 先々週、先に帰ってくれと言ったら、シロウは文句も言わなかった。少しくらい拗ねてくれてもいいものを……。
「仕方ない、と笑っていたな……」
 そんなものなのだろうか?
 普通なら、怒るまではなくても、気分を害するものじゃないのか?
 シロウはやはり、そういうことには鈍いのか?
 いや鈍くとも、これは感情の問題であって、シロウは妬くとか、そういう気持ちがあまりないのか?
 オレはそれほど想われていないということだろうか?
(オレばかり、いつもヤキモキしている気がする……)
「アーチャー、まだですか!」
 苛立たしく言われて、
「ああ、もう少しだ、おとなしくしていろ!」
 苛立たしく返す。
 物思いに耽る暇もない。
作品名:Theobroma ――南の島で5 作家名:さやけ