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Theobroma ――南の島で5

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 アルトリアの食欲にも困ったものだ。こんな細く小さな彼女のどこに、これほどの食べ物が入っていくのか……。
 洗い場に置かれた食器を見遣り、ため息をこぼす。
「アーチャーは、いつまでこちらに? 今はお休みか何かですか?」
「何を言っているんだ君は……。オレは、たまたまこちらに買い物に来ていて、ここでランチを食べていただけだ」
「そうなのですか? 料理長と話し込んでいたので、てっきりこちらのシェフに戻ってきたのかと」
「そんなわけがないだろう。オレは島を出るつもりはないと言ったはずだが?」
「勿体ない話です、あなたのように才気あふれる料理人が島に引っ込んでしまうなど――」
「アルトリア」
 オレの声が低くなったことに、アルトリアは肩を竦めた。
「ここにいた時も、一時的なつもりだったし、オレははじめから島を出る気はない。君は重々承知していたと思っていたが」
「すみません。あなたが育った島を愛していることは知っています。ですが、私にはその腕が勿体ないと思うだけのことです。悪く思わないでください」
 そんなことを言う彼女には本当に悪気はないのだ。島を卑下するわけでもなく、貶めるわけでもない、ただ、オレの食事が食べたいという、ただそれだけの欲求だ。
「まったく……。料理の腕を褒めてくれるのはありがたいことだが……。君のおかげでオレは今、恋人と別居中だ。さっさと帰らせてくれ」
「こ、恋人っ?」
 アルトリアが碧い瞳をキラキラさせて訊き返す。
「あ、ああ」
 しまった、迂闊に口にしない方がよかったか……。
「では、その恋人もお呼びしましょう! すぐに手配します」
「無理だ」
「職場にお休みをいただきましょう、私から、」
「やめろ、アルトリア。余計な世話だ。それに、仕事を休んでくれと言って休んでくれる相手じゃない」
「え……っと、それは、“仕事が命”というような方とお付き合いしている、ということですかアーチャーは。私と仕事、どっちが大事? とは女性が口にするものなのですよ!」
「どこで、そんな言葉を覚えてきた……。まあ、確かに仕事をおろそかにする人ではないが、それをオレもわかっているからな、そんな選択を迫ったりはしない」
「どうしてです? アーチャーは一緒にいたいでしょう?」
 それを邪魔している君がそれを訊くのか……。
「夢だったからだ。ずっと追いかけていた夢を仕事にしているから、君が何を言っても仕事を休んだりはしないだろう」
 そうだ。シロウはずっと描き続けてきた夢を島で実現した。だから、カカオマス生産とオレとは比べたりするような事柄じゃない。
「そうですか……。アーチャー、寂しいですね……」
「君が帰らせてくれたらいい話なのだが?」
 目を据わらせれば、
「う……、では、部屋で待っていますから、お願いします」
 ぺこり、と頭を下げて、さっさと逃げていったアルトリアに、呆れたため息を一つ送る。
「二週間か……」
 シロウに触れていない。顔も見ていない。
 シロウは平気なのだろうか、オレはもう、ギリギリだが……。
 今すぐ島に戻りたい気持ちを断ち切るように軽く頭を振り、調理に没頭した。



***

「シロウ、靴、ボロボロだな」
 ルトに言われて、自分の足を見下ろす。
「あ、ああ、うん」
 とうとう靴底が剥がれたみたいだ。
「はは、どうも歩きにくいと思ったよ」
「なに、今まで気づかなかったの?」
「あー、買い替えようと思ってたんだけど、」
「先々週、本国に行ったんだろ? その時、なんで買わなかったんだ?」
 デュテに言われて、曖昧に笑みを作る。
「ちょっと時間なくてさ」
「じゃあ、明日また行けば?」
「え?」
「サグたちが買い出しに出るって言ってたぜ? 伝えといてやるよ! 昼一の定期船だって言ってたから!」
 デュテが言いながら駆けて行く。止める間もなかった。
「別に、明日じゃなくても……」
「それ、もう履いてられないだろ?」
 ルトに指摘されて、思案したあげく頷いた。
「新しいの買ってきなよ。そんなのじゃ仕事もやりにくいだろ?」
 ルトもそう言って今日の仕事を終わらせてしまった。
「ほんと、人の話聞かないんだからなぁ……」
 だけど、そんな島の人たちに俺は助けられている。アーチャーがいない寂しさを、どうにか誤魔化せる。
 アーチャーが帰って来ないことを島の人たちは、時々あるんだって言っていた。お得意さまがいるらしいんだ、って、島の人たちは我が子のことのようにアーチャーを自慢する。
 いつ頃だとか、毎年だとか、定期的ではないけれど、ふた月も帰らなかった時もあるんだと、ターグのお母さんが教えてくれた。
「ふた月……」
 今回も、そのくらいになるんだろうか……。
 そんなことを考えてしまって、拳を握る。
 早足でアーチャーの家に戻って、シャワーを浴びて、すぐに自分の部屋に入った。
 段ボールの上で膝を引き寄せて、頭からタオルケットを被る。
 寂しい、なんて知らなかった。
 いや、知っていた。
 親父が亡くなってからしばらくは、家の中に誰の気配もないことに慣れなくて、夜になると家中の照明を点けたり、見てもいないテレビの音を大きくしたりして、無意味なことをしてやり過ごしていた。
 だけど、そのうちに慣れて、そんなこともしなくなった。電気代の無駄だって、自分に言い聞かせて、納得させて、そうやって寂しさなんて忘れていった。
 日々の生活に埋もれていった寂しさが、こんな時にひょっこり現れるなんて、迷惑だ。
 こんなこと、感じたくない。
 寂しいなんて、知りたくない。
 ぎゅ、と腕を握りしめて、唇を引き結んで、寂しさから逃げようと必死だった。


「あー、靴が……」
 完全に壊れてしまった靴を見て、部屋の片隅に置いたままの箱から革靴を取り出す。
「仕方ないよな、他はサンダルしかないし……」
 そうして、ハタと思い至る。
「この靴に、この格好は、ちょっと……」
 自分の服装を見下ろして苦笑する。
 着替えを納めた棚からスーツのスラックスとワイシャツを手に取った。
「堅苦しいから好きじゃないけど……」
 革靴にハーフパンツとTシャツとか、合わないし……。
 なんだか本国に行くためにこんなカッコしたみたいで気恥ずかしいけど、仕方がない。
「みんなに、なんて言われるだろ……」
 一緒に行くサグたちに何か言われることを覚悟していたのに、港に行く途中に会う島の人たちに、どうしたんだ、と何度も声をかけられ、港に着くころには言い訳するのも慣れてしまった。
 船着き場にはサグとマハールとトマが待っている。
「靴屋に一番に連れてってや……る、から……」
 マハールの咥えていたタバコが、ぽろ、と落ちた。
「うん、頼むよ。あの靴、ダメになっちゃって、他に靴って、革靴しか持ってなくてさ。ラフな格好じゃ変だから、こんなカッコだよ……。さすがにジャケットは暑いし、ネクタイもしないけどさ」
 目を丸くして、ぽかんと口を開けて、三人ともおんなじような顔で俺を見るから、苦笑してしまう。
「シロウ、痩せたか?」
 不意にトマに訊かれて、首を傾げる。
「そうかな? 変わんないと思うよ?」
「そうか? 体調が悪くなったら言うんだぞ?」
「あ、うん」
作品名:Theobroma ――南の島で5 作家名:さやけ