EXIT
下層街の南の端にある壁際から、採掘機が通れるほどの巨大なゲートを抜け、通路を渡った先の扉をくぐると、岩肌が露出した広大な資材倉庫へとリュウは出た。
天井は底が見えないほど高く、朝のライトに照らされていた下層街からここへ来ると、また夕闇に戻ってしまったような、不思議な感覚になる。
下層街より下にある採掘坑で働く人々は、ここを通り抜け、さらに先にある縦穴のホールから、毎日それぞれの穴へと降りていく。
採掘坑へと下降するエレベータからは、地熱のため廃棄された街や、最下層と呼ばれる、IDをもたない人々の暮らす街も見える。
最下層は、野良ディクがいつ出てもおかしくないような治安の届かない地域で、さすがのリュウもそこへ向かうときには、覚悟がいった。
とりわけ、レンジャースーツを、身につけているときは。
政府の実験施設、バイオ公社が、失敗した実験動物を、排気孔から下へと捨てているために、最下層には人を襲うエラーディクが絶えない、などというあやしげな噂まで聞いたことがある。
下層街を基点に、下は地下2000メートルの採掘坑から、上は中層街に近いところまで、縦に突き抜けたホールへの中継地点が、ここ資材倉庫となっている。
幸い、今日のパトロールは、もちろん危険な最下層や採掘坑に降りるわけではなく、その入り口にあたる資材倉庫を巡回する予定だった。
スライドドアをくぐり抜けたリュウの目に、扉を入ってすぐの壁際に背を当てて、腕を組んだまま、唇を引き結んでいるパートナーの姿が飛び込んできた。
(へぇ……)と、内心、リュウは思う。 (あの目立つ金髪と、高価な特注のレンジャースーツ着て、ひとりで立ってるなんて。)
暗い闇の中でも浮かび上がるような容姿は、数メートル先からも目を引いた。
(いや、最下層がどんな場所か、知らないだけかも……。)
「…遅いな。」
横柄なその言い方に、”この俺を待たせるなんて”という響きを感じ取る。
「基地で点呼だったんだ。知らなかったの?」
「点呼? 必要ないだろ。」
それで話はすんだ、というように、ボッシュはさっさと歩き出し、リュウは一瞬あっけにとられて、その後を追った。
このパートナーの癖が、まだつかめない。
資材倉庫は、くぐり抜けてきた通路よりもさらに暗く、ほとんど夜の色をしている。
青い色をしたコンテナが壁際に積まれ、そのコンテナを積み上げる巨大なクレーンが、大きな獣のような影を、部屋の半ばあたりにまで落としていた。
ここの天井もまた、底が見えないほど、深い。
背の高いクレーンがどれだけ首をのばしても、積み上げるコンテナが天井につかえることは、絶対にありえなかった。
リュウは、右手の懐中電灯で物陰を照らし、ボッシュは、倉庫の壁際ぞいに進みながら、黒い岩肌をなでていた。
「ここの天井は、中層街の底付近まで届いてるそうだな。」
まるで、相手が説明するのが当然というように、上を見て、リュウに問いかけた。
「そう。この部屋と隣のエレベーターホール、床全体が丸いだろ。倉庫にしては変じゃない?」
「岩肌も、丸い。もとから、倉庫だったのか?」
「噂じゃ、ずいぶん前に、排水孔として掘られたって話。
ちょうど、中層街に地下水が噴き出して、水没しはじめたころ、」
中層街には行ったことないけど、と付け加えるのを、リュウは忘れない。
「――最初は、街にたまり始めた水を、どうにかしようとしたらしい。
大急ぎで、排水のための穴を、下層街から上へと堀り上げた。
でも、中層街を沈めた地下水は、手に負えない量だったんだ。
ここを掘っているうちに、とても街は救えないことがわかって、
最後の段階で、天井を掘りぬくのをあきらめたんだそうだ。
そのあと中層街は水没して放棄され、いまじゃ、ここは倉庫として再利用されてる。」
「ふーん……。」 自分が訊ねた割に、そっけない反応だった。
「そういえば、倉庫で思い出したけど……、」 リュウは切り出した。
「昨日、部屋に大量の荷物が届いてさ、いま、倉庫状態なんだけど。
仕事が開けたら、荷解き手伝うよ。」
「昨日のは、勝手にうちの者が、やったんだ。
家具屋から報告を受けて、今日のうちにも全部入れ替えることになってる。
コーディネーターも入れたから、今日からちゃんと住めるようになるぜ。」
振り返った金髪頭は、初めて笑顔を見せ、それを見て目を丸くしたリュウの反応に、はっとしたように横を向いた。
「そう。なら、いいよ。」
リュウがさっぱりと話を終わらせ、ふたりは、自分たちの前に伸びた広大な空間に目を向ける。
労働者たちが採掘抗へ向かう時間は過ぎて、いまはひっそりしているけれど、毎日大勢の人間が通り過ぎる場所だから、臆病な野良ディクなどは滅多に入り込まない。
もしもここに入り込むとすれば、人間を恐れていないディクだけだろう。
下層街の住人としてではなく、レンジャーとして足を踏み入れるとき、ここがまったく別の場所のように見え始めたことに、リュウは気づく。
支給されたばかりの武器を確かめて、そのすがすがしさと、心地よい緊張感を、リュウは思い切り、胸の中に吸い込んだ。
いままで住んでいただけの街は、今日から、リュウには、守るべきものへと変わっていくのだ。
暗い通路に並べられたコンテナの間を縫うように見回るふたりは、倉庫の一番奥まった地点へと行き着いた
奥の壁には、またスライドドアがあり、その先は、採掘抗や最下層へと降りるホールになっている。
倉庫の奥までたどり着き、ふたりは壁際にそって、また入り口のほうへと戻ろうとした。
コンテナの影になったわきの壁に、高さ1メートルくらいの四角い黒い線が現れた。
線はたちまち厚さをもち、四角い図形は、壁に隠された扉となって、倉庫街のほうへと、開かれた。
壁にしこまれた扉の中から、茶色い革でできた防寒着と、頬まですっぽり覆う形の防寒帽を身につけた、7歳くらいの子供が飛び出してきて、奥へと駆け出して来ると、壁際に立っていたリュウとボッシュの姿に突然気がつき、いきなり立ち止まった。
すぐに後ろを振り返り、右手の岩壁と左手のコンテナにはさまれている状況を見回すと、無茶なことに、左手のコンテナの下に開いている数十センチの隙間に、もぐりこもうとした。
その背後に、2本の角を持った、カローヴァと呼ばれる大きなディクが、子供の出てきた穴から這い出す姿が見える。
「!」
それを見たリュウが飛びだし、ボッシュは、様子見を決め込む。
コンテナの下に隠れるのは明らかに無理だと判断したリュウは、腹ばいになった子供の体に後ろから腕を回し、引っ張り出そうと、ひっつかんだ。
「落ち着け。そっちには、逃げられない。」
パニックに陥ってもがく子供は足をばたばたさせて、抵抗するばかりだ。
その体を抱きとめるようにして、ようやく引き剥がしたリュウの左手に、追ってきたカローヴァが、のっそりと至近距離まで近づいた。
手にはコンクリの欠片のついた鉄筋を持ち、むき出した歯の間から、ねばねばの唾液を、顎の下にまで、したたらせている。
背筋にひやりとしたものを感じながら、リュウは、子供を抱いて咄嗟に地面を転がると、さっき立っていた通路まで駆け戻った。
ボッシュが、そのわきをゆっくりした足取りで通り過ぎる。