EXIT
リュウは、ボッシュの肌の上に、じんわりと汗がにじんでいるのに気がつき、そこまで暑くはないのに、と不思議に思った。
「くそッ!! どうやら、停止してるのは、この箱だけらしい。しかも警報が出ているようすがない。連絡もとれない。」
「地下に降りる箱は7つもあるから。どれかひとつは、いつも故障してるから、気がついてないかもね。」
「気がつかないじゃないだろ。閉じこめられてるんだぜ?!」
「落ち着けよ、ボッシュ、」 リュウは、声を小さくした。「あの子が怯えるだろ。」
「そうだな、それじゃ、もっといいことを教えてやるよ。」 ボッシュが、リュウの耳元に顔を寄せて、囁いた。
「ここに、ゲージがあるだろ、この箱のまわりの空気を測定してるんだ。
そのガスゲージがさっきから、ゆっくり、上昇してる。」
「それで?」 リュウがのぞきこんだゲージは、確かに、赤い横線がわずかずつ、上がっていくようだ。
「いまいるこの辺の地層から、おそらくガスが出てるんだ。30分かそこらならもつが、何時間もここに閉じこめられたら、間違いなく、全員息をしなくなるぜ。」
「どうにか、管理システムに連絡できない?」
「いま、警報システムのシグナルを解読して、同じ信号を管理側へ送れないか、やっている。」
リュウは、念のため、身につけている本部への無線を試してみるが、やはり下へ降りすぎていて、回線がつながらない。
しかたないので、モニターに集中しているボッシュに管理システムへの侵入は任せて、手にしたライトで、箱の中をくまなく調べまわった。
扉正面の細い窓からは、赤黒く濡れた岩壁が見えている。床を一通り照らしてまわり、壁にパネルや隙間がないか、しらみつぶしに調べた後で、天井に明かりを向けてみる。
天井の隅に、四角い筋があった。
「リュウ!」
ボッシュの制止の声が響く前に、リュウは、エレベータの内壁を蹴って身軽にジャンプし、天井の隅を手のひらで押し上げていた。
四角い筋は、やがて赤黒い裂け目となって、人一人ぶん通れるほどのパネルが、外へと押し開いた。
「勝手な真似をするな。」
「ゴメン。ちょっと、外を見てみるよ。」
リュウは、四角く開いた天井の穴のふちに指をかけると、勢いをつけて、体を持ち上げようとした。
そのとき、ざざっ、と機械のノイズが、パネルの方から聞こえ、応答ランプが赤く灯るのが見えた。
「ボッシュ!」
リュウは、天井の穴にあがるのを中止し、ボッシュの隣へと飛び降りた。だが、ボッシュは、体を硬くしたまま、無言でリュウに静止のジェスチャーをしている。
全員の目が、パネルの上部にあるスピーカーへと注がれた。
「……か、いるか。返事を……。」
明らかに、スピーカーから聞こえてきた男の音声に、リュウがパネルに飛びつき、声をはりあげた。
「こちら、最下層行き7番エレベータ、地下1075地点で緊急停止、4人が閉じ込められています。至急救助をこう。」
「…もう一度、繰り返せ……。」
「7番エレベータ、地下1075地点で緊急停止中、至急救助を! 4人閉じ込められているんだ!」
「…お前…は…。」
「リュウ1/8192、サードレンジャー。パートナーのボッシュ1/64と、あと民間人2名が閉じこめられている。聞こえるか?」
「…了解…そのまま、待機せよ…。」
「オイ!」 と、ボッシュが割り込んだ。「ふざけるな。このあたりの地層でガスが噴き出してる。現在メタン濃度2%だ、すぐ上下どちらかに動かせ!」
「………。」 しばらく返答はなく、ホワイトノイズだけが、続いたかと思うと、唐突に、ぷちん、と通信が途切れた。
リュウは唖然として、赤いランプの消えてゆくスピーカーを見つめ、ボッシュは、握りこぶしで、思い切りパネルを殴りつけた。
だあん、という音が、静まり返った外の岩壁に反射して、戻ってくるとほぼ同時に、エレベータが落下しはじめた。
心臓が上に持ち上がるような不快な浮遊感が数秒続いたかとおもうと、落ち始めたときと同じように、エレベータは唐突に、がくんと停止した。
押し開けた天井のパネルが、完全に外側に跳ね飛ばされ、そこからの明かりで、リュウは、なんとか、全員の無事を見て取ることができた。
ふたたび箱は沈黙し、奥で震えていた親子は、もう言葉もなく、隅に追い詰められたように、へたり込んでいる。
「だいじょうぶですか?」 とリュウが声をかけても、母親はうなづくのが精一杯、少女にいたっては、顔を母親の腕の中に埋めて、こちらを見ることもできない。
それでも、2人にけががないことがわかり、リュウは、ほっとした。
「……さっきのつづきだ、天井へ登れ、リュウ。」
パネルと格闘していたボッシュが、端末を放り出し、上に向けて顔を振ったので、リュウは、黙ってうなづき、ぽっかりと開いた天井の四角い穴のふちに手をかけて、身軽に体を引き上げた。
エレベータの四角い箱の上に乗り、赤く錆びた太いワイアに手をかけて、箱の中を覗き込むと、中にいたボッシュが、つづいて穴に手をかけたので、腕をつかんで、なんとか引き出した。
下から数百メートルの高さに吊られた金属の箱は、反動で不気味に揺れ、その上に乗った下っ端レンジャー2人の肝をひやりと冷やした。
あたりを見回すと、上下ともに真っ暗な空間の中に、てんてんとにじんだような赤いランプが、遠くにあるものほど次第に小さくなり、闇に溶けているようすが見て取れた。
まわりの岩壁までは、近いところで1.5メートル、遠いところでは10メートルほどの距離があり、そのすきまを風が吹き上がってきていた。
ボッシュの手には、パネルから取り外したガスセンサーが握られている。
「どう?」
「すこしましになったて程度だな。それより、あいつらに、話を聞かせたくないんだろ?」
「聞かせたくないような話が、あるんだね。」
「さっきの通信、接続したのは、俺じゃない。」 ボッシュは、リュウの顔を見ずに、遠い方の岩壁をにらみつけている。
「あっちからつないで、あっちから勝手に切ったんだ。その上、この箱を動かしてみせた。」
「だから?」
「このエレベータは、誰かが操作してる。しかも、俺たちを殺す気が、あるかもしれない。」
「まさか。どうして、そんなことまでわかるの?」
「よく考えろよ、主電源は落ちてないのに、この箱だけ、管理系統から切り離されてる。
ガス濃度が上昇してると言ったら、箱の位置を少し、変えただろ。
俺たちを、すぐには死なせたくないんだ。
しかし、途中で止めるんじゃ、助ける気もなさそうだ。
自分の都合にあわせて、いいときに、箱を落としたい。
そのときまで、無事に生かしておきたいのかもしれない。」
「それじゃ、意見は一致?」
「ああ、一刻も早く、この箱を離れた方がいい。相手の目的も、正体もわからない。
このままじゃ、いつ落とされるか、わからないぜ。」
リュウは、1.5メートルの距離のある一番近い岩壁を、見ていた。ボッシュもその視線の先を見た。
岩壁に、赤いペンキで塗られた四角いバーが、数十センチおきに、打ち込まれている。
「あいつ、梯子、登れたっけ?」 風の吹き上げる底のない隙間を見ながら、ボッシュが、つぶやいた。
3.