EXIT
最初に、その通信を受け取ったのは、ゼノの補佐役をしているファーストレンジャーのヒッグスだった。
目の前のディスプレイに要約された報告内容は、おおよそ信じがたいものだったが、長年の勘にひっかかるものを感じ、すぐさま隊長室へのコールボタンを押していた。
「ヒッグス、どうしました。」
「ゼノ隊長。発信元不明の通信が入っています。下層街Z地区より地下掘削抗へ下降するエレベータ内に、人質を取っているという内容です。発信者は、隊長と直接つなげと要求しています。これまでの通信内容は、いま電送いたしました。」
「…受け取りました。現状確認は?」
「近くを巡回中のレンジャーを向かわせましたが、1基のエレベータが故障中で、中間の地下1350メートル地点で停止したまま、連絡がとれません。数分前いったん350メートル下降しましたが、その後は宙に浮いたままです。念のため、ほかのエレベータも保守点検中ということで止めるよう指示を出し、あやしい人間が乗っていなかったか、調べさせています。」
「そちらは、任せる。いま、通信が入っているのですね? すぐ、ここへつなぎなさい。」
隊長室のデスクに置かれた通信機に、新たに赤いライトが灯った。ゼノは、ライトのついたボタンを押す。
「下層街レンジャー隊長、ゼノです。……あなたは、どなたですか?」
「私の名前など、どうでもいい、奪われた者、とでも言っておこう。そちらの関心は、ほかにあるはずだ。ちがうかね?」
返事を待たずにいきなり決めつけるような、尊大な態度の男の声が、回線のはざまにいるように、くぐもって、聞こえてくる。
ゼノは、通信機に耳を当てたまま、デスクの前の椅子をくるりと回し、そこへ腰掛けた。
「奪われた? なにを奪われたのです?」
「そうだな。下層街では、多くのものが、毎日奪われている。いま、こうして、われわれが話している間にもだ。
たとえば、時間だ。だれかの命の時間が、こうしている間にも、奪われてしまうことも、ある。よくわかっているのでは、ないかね?」
「だれの時間が、うばわれているというのですか?」
「そろそろ単刀直入に行こう。地下へ降りる、7番エレベータの中に、いま、4人の人間が乗っている。そのエレベータだけは管理系統から切り離して、こちらからコントロールできるように、ちょっとした仕掛けを施した。現在の状況は、そちらでも、確認済みだろう。こちらにある手元のスイッチで、上昇も、下降もできる仕掛けになっている。その4人は、いま地下1700メートル地点で、そちらの決断を待っている。以上だ。」
「決断と言いましたね。あなたの目的は?」
「ようやく、本題に入ってくれたようだ。」
男が、言葉の間をあけた。ゼノには、男が座っている椅子を回して、体の向きを変えるようすが目に見えるようだった。
「先日、集積庫を襲ったわれわれの仲間を、解放してほしい。仲間のデータは転送した。2時間後に、仲間が解放されない場合、もしくは、エレベータに対してなんらかの細工がされた場合、遠慮なく、落とさせてもらうよ。解放が確認されたら、エレベータは、何事もなかったように、地下へと降りる。要求は、それだけだ。」
「待ちなさい。」 通信を切ろうとする相手の空気を読んで、ゼノが制止の声を上げた。
「中に誰が乗っているというのです? 内部カメラも、そちらが制御しているのです、こちらでは、知りようがないでしょう。エレベータの中が、からっぽではないことを、あなたは、証明できますか。」
「エレベータが停止する前に、内部カメラで撮影した画像がある。それも送ろう。」 今度は、制止する間もなく、通信は途切れた。
ゼノは、目の前のスクリーンに展開する画像を見ていた。眼鏡の前面のガラスに、画像から漏れる光が、ちらちらと映った。
すぐに、ヒッグスから、連絡が入る。
「発信源、探知できません。解放を要求された襲撃犯のデータは確認しました。エレベータの内部画像は……」 ヒッグスは息をついだ。「確認中です。どうしますか、隊長。ほかの連中に、このことを知らせますか?」
「人質が誰かは、まだ伏せて、4人が人質になっていることだけを伝えるように。それより、子供を含む残り2人の人物特定を急ぎなさい。同時に、技術課と救急隊チームの編成、E班に襲撃犯解放の準備を。1時間に作戦会議。こちらの意図を気取られないよう、最終指示があるまで、勝手な言動は禁止します。」
「…あいつらは、まだひよっこです。現場に出たばかりだ。襲撃犯の解放の可能性は……。」 ヒッグスが、珍しく余計な口をさしはさむ。口にしないほうが、苦しかったのだろう。部下思いの男だ、とゼノは思った。
「わかっていると思いますが、政府は絶対に、取引は、しない、」 ゼノは、眼鏡を押し上げ、つぶやいた。
「……反政府組織とは、な……。」
「跳べるかな?」 宙ぶらりんのエレベータから一番近い岩壁に等間隔に取り付けられた、金属の四角いバーを見ながら、リュウがたずねた。
「俺たちは、な。残りをどうするか。」
リュウは、ボッシュが振り返った先の、四角い穴のところへいき、ひょい、と中をのぞきこんだ。
リュウの頭の影の分だけ、暗くなったエレベータ内部で、まっすぐな光がちらちらと動き、リュウのいる天井のほうにおずおずと伸びてきた。
「いま、中にもどりますから、動かないでくださいね。」
うなづくようにライトの光が揺れ、リュウは、四角い穴に足をさしこんで、ふちに手をかけてぶら下がり、エレベータ内部の床に降りた。
少女を後ろにおいたまま、母親が、飛び降りたリュウのもとへと、一歩、近づいた。
「どうなっているんでしょう。故障は、直るのでしょうか…?」
「直るでしょうが、時間がかかるかもしれません。パートナーと相談して、箱から外に出て、どこか避難できる場所まで移動しようということになりました。さっきのようなことがあると、心配でしょう? 外に梯子があります。マップによれば、その梯子をしばらく昇ると、横穴に通じています。少し冷えますが、そこへ避難して、助けを待ちましょう。」
「でも…いつ動き出すか、わからないし、ここにいたほうが……。」
「助けを待つのなら、どちらでも、同じです。エレベータの中に、メモを残しておきますから、もしも箱が無事に動き出したときは、メモを見て、われわれの仲間が助けにきてくれますよ。どちらにしろ、今日の夕食には、戻れます。」
しかし、赤茶色の髪と眼をした母親は、片隅に穴の開いたエレベータの天井を見て、かたくなに頭を振った。
「無理だわ…、この子はとても、あんなところへ上がれるわけがない……。」
リュウは、身をかがめて、母親の履いた厚い暗色のズボンを、ぎゅっとつかんでいる少女の顔を見た。
耳のすぐ下あたりで切りそろえた褐色の髪は、風に吹かれたようにあちこちにやわらかくなびいていて、同じ色の大きな瞳が、まっすぐに、リュウを見上げている。
エキゾチックな二重の瞳と、ふんわりとして横に平べったい唇、幼いなりに鼻筋が通っていて、大人になればかなり美人になりそうだ。
天井の穴から漏れたオレンジの光が、少女の瞳にさしこんで、その瞳の底をぴかりと照らした。