36 別れ
「ユリウス、ちょっといいかしら」
ある日の昼下がり―
ユリウスの生活する離れの棟にヴェーラが、若い女性を連れてやって来た。
ヴェーラの知り合いと言っても恐らく同じ貴族の身分ではないのだろう。
ヴェーラよりも質素な服装に身を包み、明るい茶色の髪を二本のお下げにし、ショールを被っていた。腕には生まれたばかりの赤ん坊を抱いている。
「この子ね、私の乳兄弟のアーニャといってね。先日子供を産んだばかりで、今日は子供を見せに来てくれたのよ。ほら、可愛いでしょう。坊やなのですって」
ヴェーラは日々時間を持て余し、ゆえに物思いに沈みがちなユリウスの心を慰めようと、訪ねて来た乳兄弟の可愛らしい赤ん坊をわざわざ連れてきてくれたようだ。
母親の腕の中に抱かれたその子供は母親と同じ茶色の髪をしており、白くふっくらとした手や頬がなんとも愛らしい。
ユリウスが二人に近寄り赤ん坊を覗き込む。
「可愛い…」
その時―、
ユリウスの心にチクリと小さな棘が刺さる。
「よかったら抱いてあげて下さい」
アーニャと呼ばれた娘がユリウスに自分の腕の中の子供を手渡した。
そろそろと子供を受け取ると腕に子供を抱く。
子供の温かな体温と、柔らかな感触、そして甘い香り―。
それらの感覚の全てが―、一気にユリウスの脳内に流れ込み、固く閉ざされていた記憶の扉を突き破る。
― ミーチャ、いい子ね…。
子供を抱いてあやしている…あれは…あれは…、ぼくだ!!
ユリウスの全身がブルブルと震えて来る。
ただならぬユリウスの様子にアーニャがユリウスの腕の中の子供を取り戻す。
その瞬間ユリウスは震えながら両手で口を押え―、だけど身体の奥底から湧き上がる声を抑えることが出来ず、
「あぁあぁあぁあああ~~~~!」
と叫ぶと、もはや立っていることが出来ずその場に崩れ落ちた。
「イゾルデ?…誰か、誰か来て!」
― なぜ…!なぜあの愛しい子の事を、忘れていられたのだろう!!
思い出した!
全て思い出した!!
作品名:36 別れ 作家名:orangelatte