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四畳半に、ちゃぶ台ひとつ

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 けばけばしい電飾。幾何学模様のように連なった釘の群れ。チカチカと瞬くアニメーションに、喧しい音楽。背後ではジャラジャラジャラジャラ、止むことはない。
 ぐるぐる回り続けるスロット、それを覆うようにガラス板にはサンジの呆けた顔が映っていた。咥え煙草に、ボサボサの髪。よく見れば白い肌は乾燥し、荒れている。元から細い首筋は更に痩せ、骨がくっきりと浮いている。ああ、やつれたのだ、まるで昔に戻ったみたいに。
 グリップからそっと手を外し、両の手で顎の筋をなぞる。いつか、ゾロがこんなふうにサンジ顎をそっと撫でて、こう言ったっけ。
『……痩せてるな』
 あのときは、ゴツゴツといかついゾロの手がまるで壊れ物でも扱うように自分に触れるものだから、可笑しくて仕方がなかった。クスクス笑うサンジにゾロは暫し不満げな顔をして、それでも、小さく笑ったのだ。
 ぽろりと、煙草の灰がサンジの腿に落ちた。つまりそれにすらも気が付かないくらいに、サンジの気持ちはあらぬところへ旅立っていた。パチンコ店の中はばかみたいにうるさいのに、サンジにはその喧騒がどこか遠くに聞こえている。
「兄さん、大変っす、兄さん……!」
 おなじみの声が背後から聞こえて、サンジはなんだこりゃ、と思った。ガラスにはヨサクの、いつもどおり慌てふためいた顔が映っている。
 ゾロはいなくなって俺はパチンコ三昧で、今はフィーバーで背後では下っ端がわめいている。なんだこりゃ。もう、考えるのも面倒臭い。
「ちょっとさァ、お前その玉交換してきてくれよ。煙草でいいよ。全部煙草でいい」
 灰皿に煙草を押し付けながら、ぼんやりとサンジは言った。やっべ、ウォーズマン来たよ。逆転キン肉バスターの巻だよ当確だよ。
「兄さん、そんなこと言ってる場合じゃねえって! 頼むから、お願いっすから、兄さん……逃げ、」
 ガラス板に映っていた血まみれのヨサクが、どさりと音を立てて崩れ落ちた。ディスプレイではキン肉マンが勝利のポーズを決めているところだ。
「やべ、キン肉マン超カッコイー」
「おい、お前がサンジだな」
「あ?」
 ポケットに手を突っ込むと、中身の無い煙草がくしゃりと音を立てた。あーあー、めんどくせえなァ、と、椅子をぐるりと回せば、そこにあるのは、崩れ落ちたヨサク、そしてふんぞり返る厳つい男。
 ゾロもかなり体格の良い方だが、あれは締まりに締まっているから、遠くから見ればそこそこの一般人程度には紛れるだろう。ただ、目の前の男は違った。まず馬鹿みたいに巨大だ。で、次に巨大だ。その次も巨大。とりあえず巨大な男が、ふんぞり返ってサンジを下目に睨みつけていた。
「うちの下っ端を、こんなふうにしてくれちまって」
 ジャケットの方から新しい煙草を取り出して、ピリ、とセロハンを捲る。横で打っているオバチャンが手を止め不審げにサンジたちを見つめていた。そりゃそうだろう。
「……そういえばこいつ、もう、俺とは関係ねえんだったっけ」
「そんなことはどうだっていい」
 どうだっていいたァなんだよ、そう言って軽く笑いながら、サンジは新しい1本を口に咥えた。マッチ――は、空だ。ジッポを、カチン、カチン。
「……ああ、ガス切れだったわ」
 ハハ、と笑うと、その瞬間男のいかつい手が勢いよくサンジの横っ面を張った。脳みそが揺れるくらいの衝撃だ。おばちゃんはいよいよ目を見開いて口もぽかんと開けている。お構いなく、と言ったはずなのに、サンジの口からはぼやぼやとした言葉しか出てこなかった。
「ロロノアがうちから盗ってった金、耳揃えて返してもらおうか」
「盗ってったって、んな生ぬるい話だったのかよ? てっきり俺はお前ら全員、皆殺しにされたもんかと思ってたぜ……」
「お前が殺されたいか」
「はいはい、わかった、わかったっつの」
 ゴソゴソと全身のポケットを探ってみた。ズボンに4つ。上着に1つ。のそのそと動くサンジを、大男はこめかみをピクピクさせながら見下ろしている。なんだかサンジは、愉快な気分になった。冗談のひとつでもかましてやりたくなった。
「わり、これしかねえや」
 ガス切れライター。煙草のセロハン。空のソフトパック。
 ギャハハ、と笑い声を上げたのと同時、腹だか肋骨だかよくわからないがそのあたりに衝撃が走って、サンジの視界は暗転した。ギャーア、と、まるで南国の鳥のような叫び声が聞こえた。きっとあのオバチャンのものだろう。



「大変だ、兄貴、大変っす……!」
 汚いドブ川のコンクリ貼りの橋の下、そこに慌てふためき駆けつけたのは、ジョニーだった。よほどのことがなければ常に一緒に行動しているはずのヨサクの姿が、そこにはない。つまり、"よほどのこと"があったのだ。
 ジョニーが傷まみれで鼻血を垂らしているのは、彼が兄貴と慕うロロノア・ゾロの暴虐のせいで日常茶飯事のことだったが、この日ばかりは少々趣が違った。ジョニーは足を引きずり左腕はだらりと垂れ下がり、顔面の3分の2は不気味なくらいに腫れ上がっている。殺そうと思ってやらなければ、これほどのことはできない。もっとも、鼻がやや折れ曲がっているのは、ゾロの仕業だが。
「兄貴ッ!」
 身体を引きずりながら、ほうほうの体でやって来たジョニーを待ち構えていたのは、橋の下で悠長に煙草を吸っているゾロだった。視線は何もない欄干をじっと見上げ、元より鋭い目は確かに冷たいが、どこかぼんやりと夢うつつだ。
「兄貴、大変なんだ、聞いてくれ」
 息を荒げながら、必死の口調でそう呼びかけてもゾロの視線は動かない。表情すら、ぴくりとも変わらない。いったいどこを見ているのか? 何がしたいのか、それとも何もしたくないのか? ゾロの姿から、そのどれも推察することができない。何も無いのだ。空っぽなのである。
「兄貴! ……兄貴、お願いだ、聞いてくれ。あんたが兄さん、や、サンジさんと喧嘩別れしたことはわかってる。でも、あんた、あの人のことが好きなんだろ? 愛してるんだろ!? 俺たち、バカだけど、そのくらいわかるんだよ! なあ、兄貴、聞いてくれ。オヤジとサンジさんの店だよ。あそこは、大事なところだろ。なあ」
 よろよろと、ジョニーは這い蹲るようにしてゾロの真正面に躍り出た。
 胸倉を引っつかんで、噛み付くようにして。ジョニーはそれが、死ぬほど大切なことなのだと知っていた。誰よりも、ゾロにとって一番大切なことなのだと、知っていたのだ。
「――バラティエが、襲われた……!」
 ゾロの瞳が、ぎろりとジョニーを睨みつけた。