PEARL
2.
「まったく検討違いな場所を探していたんだな。よく、こんなところにあるなんて知ってたな、おまえ?」
教皇宮の執務室に現れたシャカは目の前の山と積まれた書類に呆れたような顔をして、アイオリアに苦言を呈していたが、書類の山に埋もれていたカノンがヒョッコリ顔を出してから、途端に口を噤んでしまった。何となく居心地悪そうにカノンは苦笑しながらも、アテナに直接頼まれたものを渡そうとアイオリアと共にシャカの後についていったところ、案内された場所は寝所であった。
すでに日も傾き、暗闇と化したそこに入ると、アイオリアがランプに火を灯した。
シャカは暗闇でも関係なくスタスタと目的の場所に進んで壁際に置かれた机を何やらゴソゴソと探ると、何か鍵らしき物を取り出して見るからに高級そうな大きな鏡のある壁に向かい、豪華な装飾が施された縁取りに何やら差し込んだ。
すると重い音を伴ってその鏡が左側に移動し、そこにはあるはずの壁がなかった。
「螺旋階段の先に君たちが探している書庫がある」
シャカは一度指で指し示すと胸の前で手を組んだ。
アイオリアとカノンは互いに目を合わせて苦笑を浮かべる。あとは自分たちで探せということなのだろうと思ったのだ。
「ありがとう。シャカ……っと」
「どうした?アイオリア?」
カノンがアイオリアの顔を覗き込むと少し渋い顔をしていた。誰かと小宇宙で会話しているようだ。
しばらくその様子を眺めていたカノンだったが、すっと壁の穴に消えていくシャカを見た。
「あ……おい」
どうしようかと考えを巡らしていたカノンにアイオリアが申し訳なさそうに声をかけてきた。
「悪いが、ちょっと白羊宮まで行かなきゃならなくなった」
「トラブルか?」
「大したことではないが、侵入を試みようとしたヤツがいたらしい。ムウから検分に立ち会うように言われたんでちょっと行って来る」
「わかった。お疲れさんだな。こっちはあいつがどうやら探してくれそうだから、構うことないぜ」
ポンとアイオリアの肩に手を置き、ランプを手にするとカノンはぽっかりと切り取られた壁穴に向かって行った。
狭くて細く続く螺旋階段を降りていき、ようやく行き止まりに辿り着いた。そこにあった扉を開けると割合に広い空間が姿を現す。といっても所狭しと本棚が乱立し、ひどく圧迫感を感じる場所である。
独特の羊皮紙の匂いと埃っぽさに少し顔を歪めながらも、シャカが事前に灯してくれた明かりのおかげで迷う事無く前に進む。カタと音のするほうに進むと、梯子に登っていたシャカを見つけた。
「……何だか危なっかしいな」
そう呟きながらシャカがいる所に辿り着き、上を見上げる。
「君たちが探していたのはこれのことかね?」
ふわりと降りてきた分厚い本に少し驚きながら、ムウ並みにこの男も便利な能力を持っているのだな、と変な感心をしながらそれを受け取る。
パラパラと捲ってみるが、カノンにはさっぱり何が書かれてあるのかわからなかった。
「……過去の聖闘士たちの功績やアテナの偉業について書かれてある。それにたぶんアテナが一番お知りになりたいであろう蘇生についても」
淡々と語るシャカに苦虫を潰したような表情を浮かべたカノンである。
「よく、わかったな。アイオリアに聞いたのか?」
「いや……そうではないかと思ったまでだ」
ストンと羽根の生えたように上から降りてきたシャカを見て、カノンは首を竦めた。
「アイオリアなんかより、おまえが教皇になったほうが良かったんじゃないのか?」
思わずそんなことを言うと、シャカは眉根を少し寄せた。
「……下らぬ冗談は言うな」
「………」
本気で怒っているらしいシャカの微妙な変化に、もう一度カノンは首を竦めてみせた。
どうも、この男は苦手だとカノンは思った。あからさまというわけではないのだが、ムウ同様カノンの存在を煙たがっているように感じるから。
ムウに関してはシオン前教皇の件があるから仕方ないにしても、シャカとはそういった何かしらの理由というものが浮かばず、正直どうしたものかと思っていたところである。
ある意味、聞くなら今がチャンスかもしれないなと思ったのだが、聞いても十中八九答えは返ってこないだろうと思い直して、差し障りない会話をすることにした。それでも会話が成立しない可能性もあるなと思いつつ。
「―――ところで。おまえはここによく来ていたのか?」
なるべく自然を装うように、びっしりと詰まった古書の背表紙を見ながらカノンは尋ねた。
シャカからの返事はない。
ああ、やっぱり会話は不成立か、と思いながら取り出した本をパラパラと捲る。
時折図解もあってどうやら何かの技についての解説だろうと勝手に思いながら、元に戻してまた別の本を取り出す。
今度のは一部分ではあるが文字も読めるものだったが、内容は陰惨なものだった。聖域への背信行為に対する過酷な刑罰……拷問方法などが事細かく記されてあった。
その中には「スニオン岬」についても書かれてあった。どんな風に息絶えたかまでも詳細に記録されており、顔を歪ませながらもカノンは目を通した。
最後のページにはその刑に処せられ者の名前が列挙されてあった。もし、あのまま死んでいたら、俺の名前もここに記されていたのかもしれないと思うとカノンはゾッと背筋を凍らせた。
厭な物を見てしまったと小さく溜息をつき、ふと感じた視線に振り返る。
一瞬、カノンは息を呑んだ。
仄かに灯るランプの光は真昼の太陽の光よりも時に人を美しく見せるものなのだろうか。
まっすぐにカノンを見つめるシャカの蒼い瞳がひどく綺麗だと思った。すっと閉ざされていくのを残念に思いながら、それと同時に何を馬鹿なと自嘲した。
自分を誤魔化すようにウンっと大きく背伸びをすると目的の物は手に入れたし……と、戻ることに決めたカノンはシャカに声をかけた。
「そろそろ戻らないか?」
何だか変にシャカを意識してしまいそうで恐いと思うのもあった。さっさとこの息の詰まるような空間から立ち去るべきだと警鐘が鳴ったのもあり、シャカに提案した。
するとシャカは軽く首を振り、「先に行きたまえ」とカノンを促した。
「じゃあ、あとでここの鍵はおまえからアイオリアに渡してくれないか」
あまり長居をしたくないカノンはそう言ってこの場を立ち去ろうとシャカにそう告げ、扉へと向かいかけた。
だが途中で足を止め、くるりと振り返るとまた元の位置に戻った。
ふと思い出したことをシャカに聞いておこうと思ったのだ。
この場所を知っているシャカならば、もしかしたら知っているかもしれないと思ったから。
「あ、おまえ知らないか?」
「……君もアイオリアもそうだが、どうして……そう主語を抜かすのかね。いったい私が何を知っているというのだ」
呆れたように溜息を付くシャカにすまんなと一応謝ったカノンだがあまり反省している風ではなかった。