PEARL
4.
『―――麦の穂とか針……刺々しいものとかいう意味で呼ばれているようだが、青白い輝きから“真珠星”と呼んでいる国もあるらしい。私はその呼び名がとても気に入っているんだ』
そう呟いた横顔が優しく微笑を浮かべていたのを今でも覚えている。
『真珠の乙女』に綴られた愛の言葉。
サガの好きな星に喩えられた女はどのような女性なのだろうか。
サガは誰に愛の言葉を伝えたかったのだろう。
サガが愛した人が誰なのか私は知らない。
ただ誰かを想っていることは知っていた。
年追うごとにひどく思いつめた瞳はその愛の深さを物語っていた。
届かぬ想いに、伝えられぬ想いにシャカが苦しむようにサガもまた苦しんでいたようだった。
気持ちを伝えて楽になればいいという私に頑なにサガは『それはできない』と答えた。
『失うのが恐いのだ……』
『拒絶されたら私は何をするかわからない……相手を殺してしまうかもしれない』
シャカに縋るような瞳でサガは苦悩を吐露していた。それは私も同じだった。
だからずっとサガには自分の気持ちは隠していた。
サガが少しでも幸福を感じることができるのならば――と痛む心を押し隠し、何度もサガに諭したけれども結局、サガは求めてやまぬ相手に心を打ち明ける事無く命を散らせたのだろう。
綴られた愛の言葉にサガは心を遺したまま。
込み上げる悲しみに胸が押しつぶされそうになったその時、ふわりとシャカを温かく包み込む者がいた。
「―――ミロ?」
覚えのある香りが鼻腔を掠めた。
ただそっと抱きしめる腕の力強さが今はなぜか心強く感じた。
頬に当たる少しクセのある髪を感じながら、そろりと腕を伸ばし背中に回す。
「こんなところでしゃがみ込んで。埃塗れになるぞ」
僅かに苛立ちを含んだ声ではあったが、それでもどこか労わるような声。
「聞いていたのか?」
そう尋ねるとミロは僅かばかりに腕の力を緩めてシャカに向き直る。
「ああ」
「いつから?」
「カノンが日記の話を持ち出したところから」
忌々しそうに顔を歪めて横を向くミロを不思議そうにシャカは見た。
「なぜそんなに不愉快そうな顔をするのかね?」
「別に。俺が不愉快になったところでおまえには関係ないだろうが」
突き放すようなミロの言葉に少し痛みを感じながらも、シャカは小さく溜息をついた。
「そうだな。私には……関係ないことだ」
呟くようにシャカが言った言葉に顔色を変えたミロ。
不味いことを言ったのだろうかと思いながらも、ミロを思いやる余裕がなかったシャカは逃げるようにミロを押し退け、立ち上がろうとした。だがグイッとミロに押さえつけられ、バランスを崩しながら本棚へと強かに背中をぶつけた。
「―――っ!」
打ち付けた箇所を押さえ顔を歪める。
「逃げるなよ……おまえ、なんでカノンと二人きりでこんなとこにいたんだ?カノン一人で本は探せないからか?違うだろ。おまえはサガが恋しくなったんじゃないのか?思い出の場所にただ似てるヤツの姿を見てサガを偲びたかったのか?それとも、あわよくば手の内に入れようと思った?カノンはサガじゃない。サガのようにおまえを愛したりしないさ!」
さっきまでの優しい言葉は嘘のように消え、鋭く冷たい刃のような言葉が矢継ぎ早に紡がれた。そして確実にその言葉は鋭くシャカを傷つけていた。
傷ついていると感じるのは何故なのか。
図星だから?
違う。
サガに求めなかったものをカノンに求めたりしない。
そんな風に鋭い言葉を放つのが他でもないミロだったから……心が痛いのだ。
「違うっ!!違うっ」
絞り出すように叫び顔を覆ったシャカを、強く押さえつけていたミロの腕の力がふっと急に抜けたのを感じた。
「―――すまない。つい…カッとして……悪かった」
心底すまなさそうにいうミロに顔を手で覆ったままシャカは小さく首を振った。
「カノンは……サガではない。カノンはカノンだ……たとえ同じ姿で同じ声で同じような癖があっても。サガは…もういない……」
消え入りそうなシャカの声につらそうな表情をミロが浮かべていることなどシャカにはわからなかった。
「それに……サガは私ではない…別の誰かを愛していた…サガは私を愛したりしていない。それでも……それでも私は―――」
「おまえ、どうしてサガがおまえを愛してないなんて思うんだ?」
シャカの手を退かせ顔を覗き込んだミロはそのままシャカの頬を優しく撫でた。
時に優しく、時に残酷にシャカを苛む指先。
「…………」
そのまま黙り込んでしまったシャカにミロは言葉を促すように続けた。
「おまえたちはその……心身ともに深く繋がりを持っていたのだろうに。どうしてそんな風に思うんだ?」
慎重に言葉を選ぶミロの気遣いが逆につらいと感じながら、ミロはどうやらサガとシャカの関係を根本的に勘違いしていると気付いた。
「ミロ、私とサガに繋がりなどないのだよ。私は勝手にサガを慕っていただけのことだ。むろん、君とのように深く繋がるように肌を重ねたこともない」
「――――え?」
シャカに触れていたミロの手が離れる。
虚を衝かれたような表情のミロからそっと離れ、立ち上がるとシャカはもう一度呟いた。
「サガと私は一度たりとて通い合ったことはないのだ」
彷徨うように言葉を告げると、シャカはミロを見る事無く書庫から立ち去った。
サガの余香に満ちた寝所へと続く螺旋階段。
ひどく長い道程のような錯覚を感じながら、重い足取りで一歩一歩シャカは昇っていった。