PEARL
3.
これが真珠。
手の中に一粒の真珠を転がしながら眺め見る。
何度か宝石店に訪れたことはあったが、女たちはどちらかというと冷たい光を放つ石を好むことが多かったために、あまり真珠を真剣に眺めたことはなかった。
男一人で訪れるのは気恥ずかしさもあったが、それでも真珠がどういったものか、一度きちんと見てみたいと思い、訪れたのはミロ御用達の宝石店。
女店主はいつもなら女性連れで来店するミロが、今日は珍しく一人で訪ねたのを不思議そうに見たが、「今日は特別な方へのプレゼントですか?」とにっこりと上品に微笑んだ。
「まぁ、そんなところだ」
「以前にもおひとりでいらっしゃったことがありましたね……その時は確か……燃えるような赤いルビーをお求めでしたね。今日もルビーでしょうか?」
よく覚えているものだ……と少し気恥ずかしくなりながら、ミロは苦笑を浮かべると小さく首を振った。
「いや、今日は違う。ここには真珠はあるのか?」
「ええ、勿論ございますよ。そうですか。その方は真珠がお似合いになられる方なのですか」
「似合うかどうかはわからないが、そういうイメージらしい」
サガ曰く、であるがと思いつつ、奥へと移動する女店主についていく。何故だか女店主はニコニコと営業用の笑みだけではない、心底嬉しそうな笑みを浮かべながら、ショーケースに並ぶ真珠を順々にミロに見せた。
「そうですか。きっと、とても素敵なお方なのですね。―――真珠は古代ギリシアでは『MARAGARITES(光の子)』として尊ばれていましたが、ご存知でした?これは日本の真珠です。石の持つ輝きとはまた違った柔らな輝きを醸し出していますでしょう?取引先の者に聞いた話ですが、真珠を産み出す貝は自らの痛みを美しい光へと変えていく我慢強さや生命力を感じさせることから、悲しみを喜びに変える女性の力を重ね合わせ、気品と富のシンボルとされているそうです」
「へえ……知らなかったな」
いつもは連れ合いの女の言うままに黙って宝石を出していた女店主であったが、今日に限ってやけに饒舌に語り、その話に聞き入った。
「光の子……か」
連なる真珠に指を滑らせながら、柔らかな輝きを放つなめらかな肌触りひとつひとつ確かめるように触りながら、ミロは呟いた。
―――サガの深い愛情を思い知らされる。
きゅっと一度ミロは唇を噛み締めると、目元を細めた。
―――敵わない。だが……痛みを美しい光へと変えるために。
「もっとシンプルなほうが似合いそうだから、そういうのを出してくれ。あと……一粒だけっていうのもあるか?」
ございますよ、と女店主はミロにそう告げると幾つかデザインの違うものを見せた。
その間にもビゼーの『真珠とり』の悲恋話なども聞かせてくれた。
幼馴染のふたりの男がひとりの女を巡っての恋愛劇。
美しい巫女レイラに一生処女を誓わせた男ズルガと情熱のままに愛を告白し、巫女レイラを抱いた男ナディール。抗いながらもナディールの腕に抱かれたレイラ……ふたりの関係を知り、嫉妬に狂ったズルガはふたりを捕らえ、死を宣告する。だが真珠の首飾りを見て、レイラがかつてズルガを救った少女であることに気付き、ふたりを助けるために自らが村に火を放ち、ふたりを逃したズルガはひとり孤独に残された……。
その話を聞きながら、ミロは内心で笑った。
自分はどちらの男なのだろうかと。
情熱のままにシャカを抱き、サガに奪われることはないナディールなのか。それとも、サガに心を傾けるシャカに想い焦がれながら、孤独に生きるズルガなのか――。
そんなことを思いながら、気に入ったものを選び出し、それとは別にもうひとつ、細工もされていない真珠を一粒購入すると、ミロはその宝石店を後にした。
「シャカ、少し邪魔するが……」
そう言いかけて口を閉じた。
考えてみれば深夜に近い時間だ。眠っていて当然だったと、そっと足音を忍ばせながら寝台に近づくと、シャカは静かな寝息を立てていた。ミロの気配にも気づかない様子だ。
今日はミロとアルデバランに代わってムウとシャカが子供たちの面倒をみていたから、疲れたのだろう。それに双児宮でまだ起きていたカノンから聞いたところによると、今日新たに加わった子供のひとりが騒動を起こしたことも原因にあるのだろう。
どんな子供なのかは知らないが、カノン曰く、『コントロールのできないシャカ!』だったらしく、それは相当、手古摺ったことだろうと想像する。
恐慌状態に陥ったその子供が、誰彼かまわず攻撃したというのだ。いや、攻撃というのは違うかもしれないが、暴走した力を抑制できず、剥き出しの感情のままに周囲にいた者たちを傷つけたということだ。
薄暗さの中で目を凝らしてよく見ると、シャカの頬や首筋、腕をいったあちこちに裂傷のあとがうっすらと残っていた。
『―――シャカが身体張って止めていなければ、大惨事になってたかもな。一瞬の出来事に面食らって、ムウも子供たちを守るのに手一杯だったし、俺が抑えようにも相手は来たばっかりの防御できないチビだろ?攻撃することになるから下手に手も出せなくて参った』
冗談だろうとカノンの言葉を聞いていたが、どうやら冗談ではなかったらしい。
そっと、指先で頬の傷をなぞると、シャカは僅かに睫毛を揺らした。
「う…ん…ミ……ロ?」
「―――随分威勢のいい子供が来たらしいな」
さらりと伸びる髪に指を差し入れながら、その感触を楽しむ。
「ああ……あの子供。誰かに聞いたのかね?」
「カノンに、今日のことを聞いた。傷は浅いみたいだが……大丈夫か?」
無用の心配だろうとは思ったが、シャカは意外にも僅かに顔を曇らした。
「あの子供……連れてきたのは私なのだが……」
ゆっくりと起き上がると膝を抱え込み、額に手を添えて考え込むシャカの姿に訝しんだ。
「どうした?」
「迎えに行ったときあの子供は……飛び込むように私にしがみついて。聖域に連れてきてからも離れなんだ……アイオリアと話をするためにムウに任せて、私があの子から離れようとしたら、ひどく興奮して……このざまだ」
白い腕についた傷をそっとシャカは撫でながら自嘲的な笑いを浮かべた。ひどく疲弊しているような感のあるシャカをそのまま抱き寄せると、こつんとミロの胸にシャカは頭を当てる。
「……今、その子供は?」
「私の結界(ゆりかご)で眠りについている。引き摺られて、自分まで眠ってしまったようだがな。あの子は……サガと同じ瞳で私を見つめ、私に縋る」
そう云うとシャカは薄く笑んだ。心許無げな笑みを浮かべながら、シャカはそっと指をミロの頬に伸ばした。
「シャカ……」
いつもとは様子が違うシャカに戸惑いを覚えるミロの口をシャカが塞いだ。
僅かに伝わる唇の震え。それはシャカの心の震え。
しなやかな指先がそろりと首筋の裏へと周り、そのままミロを自らの上に乗せるように引き倒したシャカの囁きが耳に届く。
「何も……考えられないほどに……粉々に砕け散るまで私を……抱いてくれ」
シャカの口から齎された言葉にミロは一瞬目を瞠ったが、何も言わずにきゅっと一度固く口を結んだのち、薄く開かれたシャカの唇に荒々しく口づける。