52 聖痕
「お前―、この傷!」
アレクセイがユリウスの古傷を知ったのは、帰還した日の夜だった。
ミーチャを寝かしつけ、リビングの長椅子で妻の身体を抱き寄せ、熱いキスを交わしながらドレスの背中ボタンに手をかける。
ドレスがスルリと彼女の身体を滑り落ち、白い首が、胸元が、そしてしなやかな腕が、6年の間焦がれ続けた眩い妻の肌が露わになる。
その白く柔らかな肌に眩惑されるようにアレクセイはユリウスの項から喉元、鎖骨、胸元へ口付ける。
アレクセイの唇に触れられ、花が開くようにユリウスの白い肌が徐々に熱を帯び、薔薇色に上気していく。
アレクセイはそのまま唇を彼女の華奢な肩先に移し、そのまま二の腕へと下りてきた、その時―。
「これ―。この傷!」
アレクセイの愛撫に陶酔の表情をみせていたユリウスが現実に引き戻される。
泣き笑いのような、少し困ったような複雑な表情をその整った顔に浮かべ、左手でそっとその傷跡を覆う。
「これね…。市街で起きた暴動に巻き込まれて…ね。流れ弾が当たっちゃったの。もう四年も前。幸い後遺症も残らなかったから、もう全然大丈夫なんだけどね!…何ならピアノだって弾けるよ」
白く美しい腕に穿たれたその痛ましい傷跡を呆然と見つめるアレクセイに、ユリウスは殊更何でもないようにその傷の事を説明する。
が、目の前の夫の打ちのめされたような表情を目の当たりにし、ユリウスが少し悲しげに目を伏せる。
「…こんな傷跡…みっともないよね。…ゴメンね。綺麗な身体で待っていてあげられなくて…」
そう言って自らの両腕を抱き項垂れるユリウスを、アレクセイは強く強く抱きしめ、その傷跡に口付けを落とす。
「誰がみっともないなんて言った!このばかたれ!」
― 俺は…、6年を経て再会したお前が、俺の知っていた筈のお前より、ずっとずっと美しく、女らしくなってたのに、感動したんだ。ああ、生きていて…本当に良かったなあと、改めて思ったんだ!
そう言って、ユリウスの髪を両手で掻き上げ、頰を引き寄せると、アレクセイはもう一度、彼女の唇を激しく奪った。
長い口づけの後、アレクセイは唇をそのまま彼女の耳元にずらし囁いた。
― この傷跡は…お前の聖痕だ。尊い尊い…聖痕だ。
アレクセイに囁かれたユリウスの碧の瞳が涙で滲む。
そのまま夫の肩に頭を預け、涙が流れるにまかせる。
アレクセイはそんな妻の金の小さな頭を撫で続けた。
やがて、アレクセイの肩に頭を凭せかけたまま、ユリウスが呟いた。
― ぼくもね、6年の時を経て再会したあなたは…、ぼくの胸の中にいたあなたよりもずっとずっと素敵で…暖かくて…生きているあなたが愛おしかった。あなたに触れた瞬間に、あなたの温もりを感じた瞬間に、ああ、生きていて良かったと思った…。
「ああ、そうだな。…生きているって…素晴らしいな」
昔のようにユリウスの額に自分の額をくっつけて、アレクセイが笑う。
ユリウスが焦がれて止まなかった、出会った時から惹かれて止まなかった、目の前の明るい鳶色の瞳に、無言で頷いた。
「さ、夜は長いんだ!…続きはベッドでな」
ニヤリと笑うとアレクセイはシュミーズ姿のユリウスを、抱き上げた。
6年前のあの夜のように―。
作品名:52 聖痕 作家名:orangelatte