57 ミハイルの最期
このところ家にいても沈み込んでいるアレクセイの傍らに、そっとユリウスがやって来て隣に腰かける。
頭を抱えて項垂れるアレクセイの頭をそっと抱えて胸元に抱きしめる。
アレクセイの纏っていたささくれた空気が忽ち和らいでいくのが感じられた。
「ごめんね。アレクセイ。苦しんでいるあなたに…ぼくはこうやって傍に寄り添って抱きしめてあげることしかできない」
ユリウスは胸元に抱き寄せたアレクセイの耳元でそっと呟くと、サラサラの亜麻色の髪を指に絡めてゆっくりとゆっくりと梳き続けた。
「…お前の胸…、温かくて柔らかいな…」
ユリウスの胸に頭を預け、されるがままになっていたアレクセイが、彼女の胸に顔を埋めたまま呟いた。
「そりゃあそうだよ。ムッターの胸だもん!」
ユリウスが少し誇らしげに答えた。
― ぼくもね、昔、こうやって母さんの胸に顔を埋めて、遣る瀬無い気持ちや悲しい気持ちを慰めて貰ったんだ。お母さんの胸って…魔法だよね。どんな悲しみもどんなにささくれだった気持も、ぜ~んぶ受けとめて呑み込んでくれるんだ。
そう言ってユリウスはアレクセイの髪を指で梳き、小さな子供をあやすように背中を優しくゆっくりと叩く。
「…ちょ~っとボリュームには欠けるがな…」
やっと復活したアレクセイの憎まれ口に、ユリウスが夫の頭を軽くはたく。
「意地悪!」
― はは…。悪い。でもお前の胸…大好きだ。柔らかくて温かくて、いい匂いがする。
そう言うとアレクセイは胸から頭を起こし、そのまま妻の顔を引き寄せ唇を啄んだ。
「やっぱり、ムッターの胸は魔法だな…。何だか浮上してきたぜ」
ユリウスの髪を指に絡めて弄びながらそう言った彼の口調は、もういつも通りの明るい口調だった。
「そう…。よかった」
― ねえ、アレクセイ。ぼく、あなたがシベリアへ行っている間…、ミハイルといっぱい話をしたよ。…彼の想いを寄せている女性の話も聞いたんだ。…彼、その人の事をとても愛しているようだった。でも…、その人の話をしているときの彼は…何だかとても悲しそうで辛そうで…、ぼくはその時「一緒にならないの?」という言葉を呑み込んだんだ。…今思うと、一緒に命を絶った…アナスタシアのお姉さんだったんだね…。ミハイルは…こんなことになってしまったけれど…本当に彼女の事を真剣に愛していたんだ。だから破滅への道を…彼女と共にすることを選んだんだと思う…。彼の事を色々という人もいるかもしれないけれど…、ぼくたちだけは彼の…彼らの冥福を心から祈ってあげよう?
アレクセイの肩に金の小さな頭を預けてユリウスは遠くを見ながらぽつりぽつりと語り始めた。
彼女の語りに「うん…うん」と相槌をうちながら耳を傾けていたアレクセイの両の瞳から、いつしか熱い涙が零れ落ちていた。
ユリウスは敢えてその涙に気付かないふりをして、二人はお互いの顔を敢えて見ずに身体だけをそれぞれに預けて、その温もりを分け合っていた。
作品名:57 ミハイルの最期 作家名:orangelatte